2011年05月24日

御幸(みゆき)|株式会社小泉本店

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 174蔵目

御幸(みゆき)|株式会社小泉本店

広島市西区草津東三丁目3-10
代表銘柄:御幸(みゆき)、延寿菊(えんじゅぎく)
創業:天保年間(1830〜1843年)6代
杜氏:社員杜氏(広島杜氏)
仕込み水:中軟水
訪問日:2011/5/24

代表銘柄
御幸(みゆき) 特選 本醸造
御幸(みゆき) 上撰 広島の酒
御幸 しぼりたて 生生地

株式会社小泉本店は天保年間(1830〜1843年)に小泉 来助(らいすけ)氏によって酒造業を創業した酒蔵です。 御幸(みゆき) 株式会社小泉本店|蔵の外観

小泉本店の酒造業の経緯を遡ると戦国時代に始まります。

小泉 来助氏の祖先は戦国武将である小早川隆景の家臣団の一人といわれています。
主君である小早川隆景が隠居後、その家臣団は毛利氏に帰参しますが、来助氏はその際に帰参した家臣の一人だったようです。

毛利家の家臣となった小泉氏ですが、途中から毛利家臣団に加わり草津城の城代に任命された児玉氏の目付として現在酒蔵がある草津の地へやってきます。

その頃は戦国武将の一人で、児玉氏と共に度々戦場に出向いたそうです。
しかし毛利輝元が関ヶ原の戦いで西軍側についていたと判断され、120万石あった所領が37万石に減封されます。
それにより家臣の多くは失業する事になります。
小泉氏は周防・長門に移動して行った毛利氏には付いて行く事はなく、草津の地に残ります。

毛利氏が去った後、この地の領主は福島正則となり、その後は浅野家となります。
そのような背景から、かつての毛利家の家臣であった小泉氏は江戸中期には庄屋化し、米が豊富にあった事から天保年間に酒造業を開始したようです。


御幸(みゆき) 株式会社小泉本店|仕込み部屋

草津は戦国時代には毛利の軍港でありその経緯から水運が発展していた町でした。
鉄道が出来る以前の時代は、水運が栄えていた場所には酒蔵が多かった事から、この周囲も酒蔵が多かった事が想像できます。

小泉本店は古くから延寿菊(えんじゅきく)酒名の酒を造っていましたが明治18年に明治天皇が広島に行幸された際、この蔵でご休憩されます。
それを記念し御幸(みゆき)という酒名に改めます。


写真は仕込みタンクです。小規模の四季醸造システムが入っていました。 御幸(みゆき) 株式会社小泉本店|四季醸造

小泉本家では昔ながら酒造りを行う一方で、蔵の一角に四季醸造を行える設備があります。

写真のタンクで1升ビン換算で約100本少しの酒を仕込むことが出来ます。

蔵元は日本酒は「旨味で飲む酒」という考え方をされています。日本人は旨味が解る人種なので良い旨味を表現した酒造りを目指されています。

酒造りに用いる原料米は広島産の千本錦、中生新千本が中心。兵庫産の山田錦の使用は止めて、広島の米と水と人で造る地元にこだわった酒造りをされています。


タンクの中は醪(もろみ)が発酵していました。 御幸(みゆき) 株式会社小泉本店|醪


私が訪問したのは5月24日。
大半の酒蔵では今の季節に訪問しても醪を見ることが出来ませんが、思わぬところで醪を見ることが出来ました。

部屋の温度は空調でコントロール可能。
ステンレスタンクの外側の層に冷水が流れるようになっています。


超小型の薮田(やぶた)です。 御幸(みゆき) 株式会社小泉本店|小型の薮田
手前の円筒形のものが甑(こしき)です。 御幸(みゆき) 株式会社小泉本店|小型の釜場

奥の装置で蒸気を作り、手前の円筒形の釜で米を蒸します。


御幸(みゆき) 株式会社小泉本店|記念撮影

訪問の証の記念撮影ですが、四季醸造が行える蔵の前で撮影してみました。

広さとしては20坪もないでしょうか?コンビニ1件分の広さがあれば酒蔵が出来てしまう事に驚く自分。
酒造業への参入ですが、免許さえ何とかなれば私にでも参入は出来なくない、と思う吾郎でした。




商品の購入・質問は御幸(みゆき)|株式会社小泉本店へお問い合せ下さい。
TEL:082-271-4004 御幸醸造元 株式会社小泉本店
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。

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