2012年04月24日

花の露(はなのつゆ)|株式会社花の露

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 249蔵目

花の露(はなのつゆ)|株式会社花の露

福岡県久留米市城島町城島223-1
酒名:花の露(はなのつゆ) ■創業:1745年(延享2年)13代 ■杜氏:三潴杜氏 ■仕込み水:軟水 ■訪問日:2012/4/24

代表銘柄
花の露 純米
花の露 純米吟醸 山田錦
花の露 上撰

九州の酒処「城島」。
筑後川沿いに多くの酒蔵が並ぶ、九州を代表する酒造りの産地。
その城島で最も長い歴史を持つ酒蔵が株式会社花の露です。
花の露(はなのつゆ) 株式会社花の露|蔵の外観

花の露(はなのつゆ) 株式会社花の露|蔵の外観
日本酒「花の露」を製造する株式会社花の露は、江戸中期にあたる延享2年(1745年)、を酒造業の創業年とする現在で13代続く酒蔵です。
蔵のルーツを遡ると、冨安一族がこの地に来た戦国時代末期に遡ります。

城島にはかつて「城島城」という城がありました。
この城は戦国時代に佐賀県周辺を支配した龍造寺氏に属する西牟田氏によって1585年(天正11年)に築城された城です。

株式会社花の露の祖先、冨安氏は、幼かった城島城の城主を補佐する役割として西牟田氏の家老としてこの地に来ます。

当時、九州地方は大友氏、龍造寺氏、島津氏による三つ巴の抗争が展開されていて、城島城はその境界線に位置しました。
しかし天正14年(1586年)に島津氏から攻撃を受けた際に、西牟田氏は肥前に逃れて行きます。

その後、豊臣秀吉の九州平定によって、大友氏の一族、立花 宗茂氏の所領となり、秀吉没後は、関ヶ原の戦いで石田三成を捕らえる手柄を挙げた田中 吉政氏が筑後一国32万5000石の大名となりこの地を統治します。

しかし二代藩主田中忠政氏に跡継ぎがいなかった為、この地は有馬氏の所領となり久留米藩(有馬藩)が明治時代まで続きます。

戦国末期に西牟田氏の家老として城島に来た冨安氏ですが、戦国が終わって久留米藩(有馬藩)の時代に入ると、領主に上手に取り入りながら地域の庄屋としての地位を確立。
この地域の下見役として金融業、庄屋の仕事、瓦を焼いていた時期もあったそうですが、その事業の一つに、当時事業として回りが良かった酒造業も行った、というのが酒蔵誕生の経緯だそうです。

庄屋として、とても大きな持ち分があって一番多かった時には300町の土地を持たれていたとか。
1町が9917平方メートルなので300町だと297万5100平方メートルになります。
東京ドームの広さが4万6755平方メートルなので、東京ドーム63.6個分の広さの土地を所有されていたことになります。

写真の方は13代目蔵元、冨安 拓良さん。
花の露(はなのつゆ) 株式会社花の露|冨安拓良蔵元
冨安家に残る資料によると、江戸中期にあたる延享2年(1745年)に酒造業をしていたという記録が残っている事から、蔵はこの年を創業年とされています。

ちなみに延享2年という年は、徳川吉宗が将軍をされていた時代です。
江戸時代の屋号は泉屋といい、一族から分家が生まれ「北泉屋」「西泉屋」といった感じに「◯泉屋」という屋号で酒屋をはじめたため、次第に「本家」と呼ばれるようになったそうです。

城島といえば九州の灘と称されるほど、大変多くの造り酒屋が存在する地域ですが、蔵元の話によると、酒蔵の多くは明治時代にかけて誕生したもので、西南戦争、日清・日露戦争による特需が城島の酒蔵を大きくさせたとの事。

「九州の灘 城島」(毎日新聞社)という本によると、西南戦争の時には街には諸藩の志士でで溢れかえり、町はさながら戦場のよう。宿屋だけではなく民家も下宿人がいっぱいである。
物価は急騰し1升、5〜6銭の酒が50銭の高値を呼んだ。
城島の酒蔵は造っても造っても足りない戦争景気により、止まらぬ笑いをもたらした。
残していた古酒まで引っ張りだこ。酒と名がつけば醤油みたいな色の酒でも売れた。
日清・日露戦争では、「小作 米を売るよりも酒を作るが如く」と言われるくらい酒蔵が増加。
明治31年には蔵の数は85社もあった。

と書かれています。すごい時代があったみたいですね。

明治以降、急速に酒蔵の数が増えた城島において、江戸中期から酒造りをされていたという長い歴史があると同時に、城島町長を務めたり、大川鉄道という鉄道会社を立ち上げたりと、この地域の名家的な存在です。

花の露(はなのつゆ) 株式会社花の露|商品
話を現在に戻します。写真は花の露を代表する銘柄「花の露 純米酒」。

花の露では、原料米は福岡県産の山田錦、夢一献を使用。
地下180メートルから汲み上げている硬度が約30という強軟水を用いて酒造りをされています。

ボリューム的に一番沢山売れている商品は上撰 花の露ですが、蔵を代表する商品は「純米酒」。
福岡国税局では平成15年から「純米酒の部」という、お燗を付けて審査をするといった新たな部門の品評会が行われているそうです。
この純米の部において過去に一回も賞を外した事が無く、去年は大賞をとってという酒が純米酒との事。

蔵元が目指す酒とは「地元の酒であること。」
福岡の醤油や味噌にあう食中酒、食に寄り添う酒。
福岡の醤油・味噌には甘さがあり、煮物でも少し甘くなるのが特徴だそうです。
そういう味付けには濃醇でキリッとした酒よりも、優しくて膨らみがあるふくよかな味の方がよく合うとの事。

流行りの味はそれをしたい他の蔵にしていただいて、ウチは昔ながらの味の酒を造っています。 第一印象で「この酒はスゴイ」という酒では無く、いつの間にか沢山飲んでいた、というクラッシクなスタイル。

お燗して飲んだりする時には負けない。
お寿司屋さんで使って頂く率が高い。

「上撰が美味しい」「普通のお酒が一番美味しい」と言われた時が一番嬉しい。
もし普通酒コンテストがあればウチの酒は絶対いいところに行きます。
きき酒会をしても本醸造を純米と間違えるくらい。それくらい普通酒、本醸造には自信がある。 との事です。

ワインで例えるとテロワールにようなもので、福岡の米と東北の米と溶け方が違います。
冬の冷え込みも東北では下からモロミを温める事がありますが、福岡ではそういう事はまずありません。それどころか仕込み水の一部を氷にして投入しているくらいですから、福岡の酒味が出やすいのです。

福岡が持つ気候風土によって、その土地の料理の味が出来上がるのでって、酒も地元の料理に寄り添う酒を造っていきたい。 有明海で採れる、クチゾコ(しらびらめ)を甘辛く煮た煮付けと花の露は最高、との事です。

福岡県の中で一番広と言われる木造の蔵、北部九州でも一番広いとの事。 花の露(はなのつゆ) 株式会社花の露|蔵の中
写真の通り、昔ながらの建物の中で酒造りが行われています。
第一印象は、とても広くスペースが十分にある事。

蔵元の最近されている試みが「この土地が江戸時代と変わらない酒造りが今でも出来る土地なのか」という事への検証。

5年前から江戸時代と同じ製法の酵母などを添加しない生もと造りを実施。初年度は2本仕込んで1本はアルコール度数が7度しか出なかったそうですが、翌年から16度以上出るようになったとの事。
しかしこの試みはまだ準備段階。

写真は仕込み部屋。
花の露(はなのつゆ) 株式会社花の露|仕込み部屋

蔵元が考えている最終的な目標とは「化石燃料を用いずに酒を造ること」。
化石燃料とは石炭、石油、天然ガスなどでもちろん電気もこれに含まれます。
原料米の製造から消費者への販売に至るまで、石油・電気を使いません。

これが出来て始めて「この土地が江戸時代と変わらない酒造りが今でも出来る土地」とであることが実証できます。

先ず何が難しいかというと一番最初の原料の調達が難しい。
農家さんにその話をしたところ「どうやって田んぼを耕すんだ」「どうやって田んぼに水をいれたらいいのか?」というところから始めなくてはいけません。

話を進めると農家さんも次第に昔に事を思い出してこられ、
昔は農家では馬を飼っていて馬小屋があって、馬にすきを引かせて耕していた。
川の水を田んぼに入れるのは、昔は足踏み式の水車があり、田んぼの横に流れている堀に水車を設置して人間が踏んで田んぼに水を入れていた。

精米は、米を大八車に積んで牛に引かせて、佐賀の山の方まで行くと、山の斜面を流れる水を利用した水車小屋があったそうで、そこで米を突いて持って帰ってきたそうです。 もちろん米の運搬にも自動車は使いません。大八車による陸運、または手漕ぎの船で水路を運搬する事になります。

仮にそうやって、原料米が調達できたとして、次にその米をどうやって蒸すのか?
現在はボイラーをひねれば蒸気が出ますが、昔は薪を燃やしていたはずなんです。その薪をどうやって用意するのか?
酒を造るとなるとかなりの量の薪が必要になります。となると蔵の近くに森が無くてはいけません。

蔵には180メートルの深さの井戸がありますが、当然電気や石油を使うからこんな深い井戸が掘ることが出来たわけで、化石燃料を使わず手作業で井戸を掘るとなると浅井戸になるでしょう。浅井戸で酒が造れるだけの沢山の水が出ないといけません。

そうやって一つづつ考えると、江戸時代の酒造りとは、地理的な条件が重要なファクターであった事が解ります。

写真は麹室です。
花の露(はなのつゆ) 株式会社花の露|麹室

酒造りに用いる道具も木製。パイプもポンプもシューターも用いません。
タンクに仕込み水をいれるのも人が手で運びます。
昔は麹室はどうやって温度や湿度の調整をしていたのか?

火入れもどうするのか。火をおこす薪が必要になります。
ビンも使わずに陶器で販売。キャップも無いわけで、昔のような量り売りでの販売となると商圏が自ずと近所に限定されます。

そう考えると、現在の酒造りというのは伝統的な産業であるかのように言われていますが、実はそうではなく、石油や電気に頼りきった環境で造られてい事が浮き彫りになります。

そのひとつひとつどうやってクリアするかを考えると、とても面白いです。
そう考えると、かつて日本酒はとても高価な飲み物であったそうですが、それもうなずけます。
とても壮大な話になるのですが、そういう事をぜひやってみたいと語られました。

最後に訪問の証の記念撮影。蔵のおすすめ商品「花の露 純米酒」に感心する吾郎。
花の露(はなのつゆ) 株式会社花の露|記念撮影
とても面白いお話を聞かせて頂きました。

現在酒蔵では日本酒が当たり前のように製造されていますが、よくよく考えるととても不思議な事です。白いお米から透明なお酒が出来てしまうわけですから。
しかも最初から作り方のマニュアルが存在していたわけではありません。
奇跡とも思える様々な偶然が積み重なって、現在の日本酒というものが形となって出来上がったのです。

それが文明化によって酒造法がマニュアル化され、生産性は向上し無難に造ることが出来るようになりました。
しかし生産性の向上と共に、新たな奇跡が生まれる可能性も限りなく減ったのではないでしょうか。
どの蔵もが美酒を造れるようになったものの各社、似たり寄ったりで、とても狭い範囲で味を表現しているように思います。

恐らく江戸時代に造られていた日本酒はもっとバラエティーに富んでいたに違いありません。
蔵元の試みは決して「美しい酒」「美味しい酒」を目指しているものではありませんが、日本酒の世界に新たな奇跡を生み出す可能性を秘めています。
もし実施に移される時が来たら是非、再び蔵に訪問して出来上がった酒を飲んでみたいと思いました。




商品の購入・質問は花の露(はなのつゆ)|株式会社花の露へお問い合せ下さい。
TEL:0942-62-2151花の露醸造元株式会社花の露
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。

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