2011年06月21日

富久福(ふくふく) 結(ゆい)|結城酒造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 199蔵目

富久福(ふくふく) 結(ゆい)|結城酒造株式会社

茨城県結城市大字結城1589
酒名:富久福(ふくふく)、結(ゆい)、つむぎ娘、大福井 ■創業:1594年(文禄3年)37代 ■杜氏:蔵元杜氏(諸派)
■仕込み水:軟水 ■訪問日:2011/6/21

代表銘柄
結 特別醸造酒
富久福 特別醸造酒
古拙

関東平野の中央部に位置する茨城県結城市。
鎌倉時代、平家追討の功績により結城朝光氏(ゆうき ともみつ)がこの地を拝領します。

そして桃山時代、徳川家康の次男であった徳川秀康氏が結城家の養子(結城秀康)となり、この地を統めます。
その結城秀康と関係が深い酒蔵が結城酒造株式会社です。

富久福 結 結城酒造株式会社|外観

結城酒造株式会社は関ヶ原の戦いが行われる6年前の1594年(文禄3年)、近江商人であった近江屋 久右衛門(きゅうえもん)氏が創業した、現在で37代続く長い歴史を持つ酒蔵です。

安土桃山時代、久右衛門氏は摂津周辺で酒造業を営む近江商人の次男〜3男であったと伝えられています。

徳川家康の次男、徳川秀康氏は豊臣秀吉への養子として伏見城にいたのですが、お酒がとても好きな方で秀吉が愛していた僧坊酒 天野酒を秀康氏も、好んで飲まれていたそうです。

そして1589年、徳川秀康は北関東の大名「結城氏」へ婿養子に出され京都から離れる事になります。
お酒が大変好きであった秀康氏は関東に下ったら天野酒を口にすることが出来ません。

そこで「天野酒を造れ」という事になり、摂津周辺で酒造業を営む商家の次男〜3男であった近江屋久右衛門氏がこの地に連れて来られ酒造業を開始します。

同様のケースとして高知の司牡丹は、山内一豊の主席家老、深尾和泉守重良と共に土佐に入国。御用商人として商いを仕切っていたと言われています。

創業当初の屋号は「近江屋」。江戸時代の中期頃の看板には酒名の記載がなく、富久福(ふくふく)という酒名は江戸末期から明治時代頃に付けられたのだろうと言われています。


写真の方が37代蔵元、浦里 和明さん
富久福 結 結城酒造株式会社|蔵元

久右衛門氏はお殿様から連れてこられるという立場で酒造業を開始したため、御朱印堀と言われる「お堀の内側」に蔵を構える藩の御用商人となります。
御朱印堀の内側というのは固定資産税がかからない地域だったそうです。

日本酒が好きだった結城秀康氏は、酒屋からの冥加金を街づくりや政治に充てたそうです。

同時に秀康氏は、お酒に対する法度を作ります。
その内容とは「飲む量はお茶碗2杯までにしなさい」とか「他所から家来を連れ来客が来る際は、金銀で飾りつけうんと良い酒を飲ませなさい」といった飲酒のマナーに関する法律。

そしてもう一つは、現在の税務署のようですが酒蔵の容器(樽・桶)は、お上が量をきっち測り検定したものを使いなさい、という法律。
これの法律は量をごまかして販売する事を防ぐ為のもので、量り売りであった当時は「1升」に対し「9合」くらいの量しか容器に入れなかった酒屋が多かったそうです。
消費者保護の為、正しい量を販売するよう、検定に合格した容器で酒を測って酒を売る事を義務付けます。
このようなお酒の作法や、売り方のルールといったお酒に関する法度が存在するのは全国でも結城藩のみとの事。

その後、関ヶ原の戦いの功績によって結城秀康は福井県へと国替えとなりこの地を去ります。
その後は幕府の代官、水野氏が管理する天領となり、酒蔵はこの地に残ることになります。

鬼怒川を利用し江戸の新川まで酒を運んだという書付が沢山残っている事から、近江屋の酒は江戸にも流通していたようです。
近江屋は江戸時代には推定で約400石の酒を造っていたのではないかと考えてれています。
当時の400石という数量はとても大きな数量になります。


写真は蔵に残る「酒造渡世」の鑑札。
富久福 結 結城酒造株式会社|鑑札1
こちらは原料米である米を農家から買い取る為の鑑札。
富久福 結 結城酒造株式会社|鑑札2

酒蔵が農家から米を買うにも鑑札が必要だったようです。
他にも鑑札を見せてもらいましたが人を雇うにも鑑札が必要だったようです。

このような資料が残っている蔵はとても少なく199件回って初めて目にしました。


写真は仕込み部屋です。
富久福 結 結城酒造株式会社|仕込み部屋

当初は結城藩の御用商人として、お堀の内側に蔵を構えて酒造りをしていましたが1850年に火事をおこしてしまいます。

その罰によって堀の外に出ていくこととなり、現在の蔵が建つ場所に引越しさせられてしまいます。
それ以降、他の酒蔵同様に固定資産税を払うようになります。

蔵には江戸時代の中〜後期建物に建てられた建物が残っていますが、建物の大きさの割には用いられている材木が細かったりと、専門家によると苦労をして蔵を建て直していた事が伺えるそうです。


富久福 結 結城酒造株式会社|麹室

現在結城酒造では蔵元自らが酒造りをされています。
代表銘柄は富久福(ふくふく)ですが、今後は「結(ゆい)」という銘柄を代表銘柄にすべく力を入れているとの事。
飲んで「旨いなー」と感動していただく酒を目指し酒造りをされているとの事。

そして蔵元が特にこだわって造っている酒は、蔵の起源となった「天野酒」。
これは過去の資料を元に天野酒を再現した酒で、真っ赤な色をしておりポルトガルのマディラのような味わいだとか。


写真が天野酒を再現したという酒「古拙(こせつ)」。
富久福 結 結城酒造株式会社|古拙

そして蔵元が目指している酒は「青い酒」。

昭和61年にとても青い色をした酒が出来たとのこと。
味はとても淡薄、香りが華やかでお酒が服に着くと1日香りが取れないとか。
お酒をビンに詰めた状態でも、店に並べるとどことなく吟醸香が香っている感じがするという酒。
そんな酒が偶然に出来てしまったそうです。

これには鑑定官の先生も驚き「これは批評も何もない、ただ黙って飲んで楽しみたい。」
そう言われたそうです。

そしてその翌年、今後はうっすらとブルーのお酒が出来たそうです。
蔵元はその酒を25年間貯蔵、今年「古吟」の名前で発売開始。
とても神秘的な話で、日本酒の可能性の深さを感じました。
そんな酒ができたら是非飲んでみたいものです。

蔵元はとても歴史に詳しい方で「自分の家の歴史、町の歴史、日本酒の歴史、これを一週間寝ないでしゃべれる」くらいの勉強をされ、日本酒の歴史、この土地の歴史については誰にも負けない知識があると自負されています。
酒造史が好きな方は、話をしていても足りないかもしれません。歴史が好きな方にはお薦めの酒蔵です。




商品の購入・質問は富久福(ふくふく) 結(ゆい)|結城酒造株式会社へお問い合せ下さい。
TEL:0296-52-2448富久福、結醸造元結城酒造株式会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。

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