2012年10月25日

梅錦(うめにしき)|梅錦山川株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 283蔵目

梅錦(うめにしき)|梅錦山川株式会社

愛媛県四国中央市金田町金川14
蔵元のサイト:http://www.umenishiki.com/


酒名:梅錦(うめにしき)、綺麗心(きれいごころ) ■創業:1872年(明治5年)5代 ■杜氏:但馬杜氏 ■仕込み水:中軟水 ■訪問日:2012/10/25

代表銘柄
梅錦 純米原酒 酒一筋
梅錦 吟醸酒 つうの酒
梅錦 純米吟醸 しずく媛

名前の通り四国の中央に位置する四国中央市。
平成16年に川之江市、伊予三島市、宇摩郡土居町、宇摩郡新宮村が合併して誕生した市です。

合併したことによって大きくなった市ですが、現在存在する酒蔵はたった一社のみ。その酒蔵が愛媛県で最も大きな酒蔵、梅錦山川酒造です。
梅錦(うめにしき) 梅錦山川株式会社|外観
梅錦山川株式会社は明治5年(1872年)に山川由良太氏が創業した現在で5代続く酒蔵です。

由良太氏は酒造業を開始する以前は、川の水力を利用した水車でなたね油を精油する商売をされていたそうです。
当時は「水車業」という産業が存在し、佐賀にある天山酒造も酒造業の前身は水車業でした。

恐らく水車では、なたね油だけではなく米の精米や、製粉など幅広く利用していたのではないでしょうか?当時、酒造業へは免許が取得しやすかった事と、酒蔵の景気が良かったという背景から酒造業に参入されたのだと思われます。

創業当時の屋号は藤井商店。
蔵に残っているラベル等の資料をみると「伊予の花」「梅の素」「藤の沢」「梅錦」など様々な商標の酒を造っていたようで、当時からミリンも造られていたようです。

日本酒業界の有名社長、山川浩一郎蔵元です。
梅錦(うめにしき) 梅錦山川株式会社|山川浩一郎蔵元
梅錦というと愛媛で最も大きな酒蔵として有名ですが、かつては1000石位の酒蔵だったそうです。本当の地元ローカル市場が大半で、松山にも出まわっていなかったそうです。

その梅錦が、浩一郎蔵元の代で最盛期には2万3千石を超えるという西日本でも有数の酒蔵に成長される事になります。
その最初のきっかけは、昭和40年に全国新鑑評会で金賞を受賞して以来、12年連続で受賞した事にはじまります。

昭和40年台というとまだまだ普通酒が全盛で特定名称など無い時代ですが、その後の昭和の後期から平成の頭にかけて日本酒ブームが起きます。

12年連続で受賞したことがきっかけで、昭和52年に発刊された「ほんものの日本酒えらび」という本で、梅錦が西の大関として紹介されます。

昭和52年というと、日本酒ブームが起こる夜明け前の時期。

ほんものの日本酒えらびを目にした日本名門酒会が、高知の司牡丹に訪問した際に梅錦にも寄られたそうです。それがきっかけで日本名門酒会と取引開始。東京を始め全国市場へと販路を広げます。

その頃から徐々に日本酒ブームが始まり、雑誌「特選街」では日本初特集が組まれ、そこで1位、2位を独占。その後、特選街では何度も日本酒特集が組まれますが、その度にランク・イン。

それがきっかけで東京市場に一気に火がついて、それが地元にも戻ってきた、というのが大躍進の経緯だそうです。

写真は釜場です。
梅錦(うめにしき) 梅錦山川株式会社|釜場
私が訪問した時期には今季の酒造りが開始していました。
造りは毎年10月からスタートし、3月の終わりに甑倒し。

兵庫県から但馬杜氏が来て酒造りが行われています。
社員で酒造りを手伝うのは1名のみとの事。
まかないのおばちゃんを除く、蔵人など全て但馬杜氏が引き連れてくるそうで、社員が酒造りを手伝うのは杜氏と蔵のパイプ役の為だそうです。

写真は放冷機。 梅錦(うめにしき) 梅錦山川株式会社|放冷機
写真では解りにくいのですが横に2機並んでいます。
放冷気が2機並んでいる光景を観るのは初めてです。
思わずここで驚こうかと思いました。

写真は酒母室です。
梅錦(うめにしき) 梅錦山川株式会社|酒母室
ドアの向こうは釜場に繋がっています。

写真は麹室。
梅錦(うめにしき) 梅錦山川株式会社|麹室
写真では上手に写っていませんがかなり広いです。普通の蔵にある室の倍ぐらいあります。
こことは別の場所に更に室があります。室の広さにも驚きます。

写真は仕込み部屋。
梅錦(うめにしき) 梅錦山川株式会社|仕込み部屋
タンクが綺麗に並んでいます。昔ながらの古い建物の中に、どうやってはめ込んだのでしょうか。ぴったり収まっていますね。

写真は槽場。
梅錦(うめにしき) 梅錦山川株式会社|槽場
ご覧のとおり圧巻です。
ここまで驚く場所に困らない蔵は早々ありません。

ヤブタだけではありません。 梅錦(うめにしき) 梅錦山川株式会社|槽
昔ながらの槽(ふね)もあります。
写真は撮らなかったのですが、この槽の横には美しい木桶が並んでいて、木桶を用いた酒造りも行なっているとの事。

最後に訪問の証の記念撮影。
梅錦(うめにしき) 梅錦山川株式会社|記念撮影
大量に積まれた、麹蓋に驚く吾郎。

梅錦ではかつては、全ての麹をこの麹蓋で造っていたそうです。
訪問した際に蔵のビデオを見せていただいたのですが、実に大勢の蔵人がせっせと麹の世話をされている光景は圧巻でした。

麹蓋の正確な数はわかりませんが、1万箱くらいあるとの事。
現在は、理由があって使用されていないとの事ですが、あまりにも多さに驚く吾郎でした。




商品の購入・質問は梅錦(うめにしき)|梅錦山川株式会社へお問い合せ下さい。
TEL:0896-58-1211梅錦、綺麗心醸造元梅錦山川株式会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。  

Posted by 佐野 吾郎 at 15:00TrackBack(0)愛媛県の酒蔵巡り

2012年10月25日

華姫桜(はなひめさくら)|近藤酒造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 282蔵目

華姫桜(はなひめさくら)|近藤酒造株式会社

愛媛県新居浜市新須賀町1-11-46
蔵元のサイト:http://www.kondousyuzou.com/


酒名:華姫桜(はなひめさくら)、群青(ぐんじょう) ■創業:1878年(明治11年)5代 ■杜氏:蔵元杜氏(諸派) ■仕込み水:中軟水 ■訪問日:2012/10/25

代表銘柄
華姫桜 しずく媛 無濾過純米吟醸原酒
華姫桜  特別純米 無濾過生原酒
華姫桜 無濾過純米吟醸

四国の中北部、瀬戸内海に面する愛媛県新居浜市。
ここは江戸中期に発見された別子(べっし)銅山によって今もなお栄えている街です。
別子銅山とは、当時世界最大級の産銅量を誇る銅山で住友が所有していたそうです。
別子銅山から採掘される動は280年にもわたって住友の重要な事業の柱となり財閥となった出発点といわれています。

生成された銅や金は船を用いて輸送していた為、港町が発展。工業都市というイメージを持たれる方も多いと思いますが、水が綺麗なところで2008年に愛媛県では唯一となる平成の名水百選に選ばれた場所でもあります。
現在の蔵元が生まれた1970年代には6社の酒蔵が存在していたそうですが、現在残っているのはわずか1社のみ。

その最期の1社が平成13年に後継者が復活させた近藤酒造株式会社です。 華姫桜(はなひめさくら) 近藤酒造株式会社|外観
近藤酒造株式会社は明治11年(1878年)に創業した現在で5代続く酒蔵です。

創業者は近藤荒助清隆(こんどうあらすけきよたか)といい、酒造業をはじめる以前は何をされていたのか不明とのことですが、朝野屋(あさのや)という屋号で詔(みことのり)という酒名の酒を販売されたとの事です。

その後法人化し近藤酒造株式会社となり「ひめさくら」という酒名の日本酒を製造。最盛期は約1000石の酒を製造されていたそうで、同時に問屋など流通業務も行います。

しかし日本酒が一番のピークであった昭和48年を過ぎてからは生産量は徐々に減少。 代わってビールなど他のアルコール飲料が伸びてきたことにより、問屋業務が忙しくなります。そして問屋業務に一本化する事から自社での製造を休止する事になります。

写真の方は蔵を復活させた5代目蔵元、近藤 嘉郎(よしろう)さん。
華姫桜(はなひめさくら) 近藤酒造株式会社|近藤 嘉郎蔵元
しばらく他社に委託製造していた近藤酒造でしたが、学校を卒業し蔵に戻ってきた嘉郎さんによって自社製造が復活します。

嘉郎さんは東京農業大学の醸造学科を卒業後、外で働いた後に酒蔵の後を継ぐため蔵に戻ってきますが、その時までは「自社でまだ酒を造っている」と思っていたそうです。

自社で製造していない事を知った嘉郎さんは、酒造りを復活させたいと考えます。
造り酒屋の息子が酒造りの道に進む事は普通の事で、周囲も「頑張れ」と応援するのが一般的です。しかし当時の近藤酒造は違っていました。

既に近藤酒造は卸業務が主体となり、周囲は嘉郎さんに流通の仕事をしてもらう事に期待されていたそうです。
先代の蔵元に復活の話を切り出しても反対を受けます。
社長からは「酒造りを再開するのにいくらお金がかかると思っているんだ」とお決まりの文句。周囲からは「忙しい時期に手伝わずに酒を造るなんて、社長の息子の道楽じゃないの?」と冷ややか。

嘉郎さんはトラックを運転しお酒を配達する仕事に追われる傍ら、愛媛の若い後継者と度々集まり復活の道を模索。杜氏制を廃止して蔵元・社員だけでどうやって酒を造って行うのか、という共通の悩みを持った若い後継者がい多かったので、彼らと集まっては情報交換や勉強会をされていたそうです。
同じように酒造りを復活させた蔵を何件も回ってアドバイスをもらいます。

地下で3年間活動した結果、自身で一人でも酒を造る事は可能である事を知ります。
新たな機器を買い揃えなくても今、蔵にある道具を改造するなどして使えば酒造りが出来る事がわかってきます。

そして29歳となった平成13酒造年度に見切り発車で米を発注。
酒造りを復活させる事に皆が賛成してくれた状況では無かったので、お金を掛けることも出来ず、人も使うこともできず。残っていた設備を改造するなど一人で酒造りを再開。
酒造りをサポートしてくれる杜氏さんもなく600リットルの小さなタンクで2本の酒を造ったそうです。

華姫桜(はなひめさくら) 近藤酒造株式会社|商品
嘉郎さんが造った酒は「ひめさくら」という名称で販売。しかし商標の問題から、新たに「華姫桜」を酒名を命名。

当時の番頭さんが、若いメンバーが試行錯誤し酒造りをする姿を見て「群青それは青春の群れ」の言葉を思いついた事から、後に「群青(ぐんじょう)」というセカンドブランドも誕生します。

翌年には4本、更に翌年には8本と製造量を増やし、3年目の愛媛県の鑑評会で金賞を受賞。 復活当初は地元でさえ、簡単に振り向いてもくれなかったそうですが、金賞受賞を機会に地元でも徐々に華姫桜が認知されるようになります。
現在では約100石まで生産量を増やし委託製造は廃止。今では全量が自社生産に至っています。

近藤酒造が造る酒は、愛媛酒のスタンダードと言える料理に合う旨口の酒。
ただ一般的な愛媛酒より、米の味わいを更に強化した、り濃い口の味。

愛媛の料理は甘い味付けが多く、その影響で少し甘く感じられる酒が多いとの事で、華姫桜も日本酒度はプラス(少し辛口)に造っているのですが、口にされるお客様の多くは「これ甘口ですか」と言われるそうです。
麹を強めにしてお米の味わいを乗せた酒造りを基本にされているとの事。

写真は蔵の庭に植えられている桜。 華姫桜(はなひめさくら) 近藤酒造株式会社|桜
この桜は木の沢山の柱で支えられていますが、何年か前に折れて倒れたそうです。
しかし起こしてやれば復活するのでは?と柱を用いて枝々を支えたところ翌年には花をさかしたそうです。
この桜の復活が、蔵の復活とストーリーが重なる事から蔵は大切に育てられているとの事。

写真は仕込み部屋。
華姫桜(はなひめさくら) 近藤酒造株式会社|仕込み部屋
温度調整の為にタンクに巻いているホースに苦労の後が伺えます。

この建物の中に、釜場、麹室、仕込み部屋、槽場が集約して配置されていました。

最盛期で1000石との事でしたので、それほど大きく無かった事が残っている道具で酒造りが可能だったのではないでしょうか。

写真は槽場です。
華姫桜(はなひめさくら) 近藤酒造株式会社|槽場
立派な圧搾機です。
圧搾機は酒造道具の中でも圧搾機はとても高価で、この大きさでも新調しようと思えば1000万くらいかかってしまいます。
先日、とある蔵元のブログを見たら、中の板を全部新調しただけで250万と書かれていました。
よく使える状態で残しておいたものですね。

最後に訪問の証の記念撮影。
華姫桜(はなひめさくら) 近藤酒造株式会社|記念撮影
華姫桜の味に感動する吾郎!

訪問に当たる前、愛媛県酒造組合のサイトでこの蔵の情報を見た時は、今ひとつ特徴がわからず、昔の自分なら訪問すること無くスルーしていた蔵でしょう。

しかしネット上などから得られる情報と、実際に現地に足を運んで得られる情報とは大違いである事は多く、まさかこんなに情熱をもって酒造りを復活された蔵だとは思っていませんでした。

現地に足を運んで、まわる事ができる蔵は回っておくべきだと改めて思うと同時に、華姫桜の味のクオリティーが高かった事に驚く吾郎でした。




商品の購入・質問は華姫桜(はなひめさくら)|近藤酒造株式会社へお問い合せ下さい。
TEL:0897-33-1177華姫桜、群青醸造元近藤酒造株式会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。  

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2012年10月24日

山丹正宗(やまたんまさむね)|株式会社八木酒造部

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 281蔵目

山丹正宗(やまたんまさむね)|株式会社八木酒造部

愛媛県今治市旭町3-3-8
蔵元のサイト:http://www.yamatanmasamune.jp


酒名:山丹正宗(やまたんまさむね)、丹波屋治兵衛 ■創業:1831年(天保2年)8代 ■杜氏:越智杜氏 ■仕込み水:中軟水 ■訪問日:2012/10/24

代表銘柄
山丹正宗 しずく媛 純米吟醸
山丹正宗 特別純米酒
山丹正宗別撰醸 丹波屋治兵衛 純米吟

造船とタオルの製造で有名な愛媛県今治市。
タオルは染める際に水が必要になるそうで、良い水が豊富にあることからこの地でタオルの生産が盛んになり、国内シェアの5割が今治で作られているとの事。

今治は人口16万という四国の中で5番目に大きな街で水にも恵まれ、かつては多くの酒蔵があったそうですが現在、酒を造っているのはわずか1社。その最後の一社が山丹正宗(やまたんまさむね)という酒を造る株式会社八木酒造部です。
山丹正宗(やまたんまさむね) 株式会社八木酒造部|外観
株式会社八木酒造部は江戸時代の後期、天保2年(1831年)に八木 治兵衛氏が創業した現在で8代続く酒蔵です。

1830年、奈良県の大和八木から今治に移り住んできた八木治兵衛氏は、丹波屋という屋号で木綿と醤油の製造業を開始し翌年に酒造業に参入。「丹波屋」という屋号は、愛媛で商売をはじめる際に買い取った店の屋号との事。

治兵衛氏が酒蔵をはじめた天保2年とは、大飢饉が発生する2年前。
天保の大飢饉は天保4年に始まり、天保6年から8年にかけてが最もひどく、天保10年まで続いたそうです。
米相場は高騰し、幕府は度々減醸令を出すなど、酒造りに対する規制が厳しくなり酒蔵は大打撃。
多くの酒蔵が姿を消した時期ですが、そんな大変な時に創業されます。

これは私の推測ですが、木綿業や醤油業があった事でリスク分散されこの厳しい時期を乗り越える事ができたのではないでしょうか?

創業から約100年後の昭和10年には、市内で最も良い水が出るとされる現在の場所(旭町)に蔵を移転。
1950年に法人化した際に、醤油事業が丹波屋という屋号を使い、酒造業は八木酒造部という名称になりそれぞれ独立。現在に至っています。
醤油製造の丹波屋は2006年までは存在していたそうですが、今は無くなっているとの事。

写真は釜場。筆者が訪問した10月24日には今季の造りが行われていました。
山丹正宗(やまたんまさむね) 株式会社八木酒造部|釜場
山丹正宗では毎年10月頭から仕込みを開始。11月の中頃に蔵の駐車場に屋台を出し新酒祭りというイベントを行うそうで、そのお祭りに間に合わせるようこの時期から酒造りを開始。甑倒しは3月の末という約半年に及ぶ長い仕込み期間です。
製造石数は約800石、愛媛県では2番手クラスに位置します。

代々、越智杜氏がこの蔵で酒造りを行って来ましたが、後継者不足によって越智杜氏組合は解散。 組合は解散したものの、現役で酒造りを続けている杜氏が4人いるらしく、その3名が山丹正宗で酒造りをされているとの事。

写真は酒母室。
山丹正宗(やまたんまさむね) 株式会社八木酒造部|酒母室
酒造りに用いる米は極力地元米を使用する方針。
松山三井とその改良品種のひずく媛、フクヒカリの3種類をメインで使用。
あと鑑評会用にタンク1本だけ山田錦を使うとの事。

フクヒカリという米は、愛媛の中でも特に山奥にある久万高原町という村で、ごく少量のみこだわった製法で栽培されている品種。食米ですがそれが純米を造った時に面白い味になったので定番で使用されているとの事。
全国でも山丹正宗ともう1社、計2社しか使用していない珍しい米。

写真は仕込み部屋。
山丹正宗(やまたんまさむね) 株式会社八木酒造部|仕込み部屋
愛媛は温暖で穏やかな気候の土地柄で、人柄も比較的ゆったりした穏やかなところがあります。
お酒もそれに通じるところがあり、穏やかで優しい食中酒。

日本海で取れる白身魚、タイ、ヒラメなど淡白なものが多く、魚に味を乗せるために醤油や砂糖で味付がされる訳ですが、その影響か愛媛では料理の味付けが全体的に甘いそうです。

少し甘い味付けの料理に合わせるためには、酒も少し甘口の方が合うため愛媛のお酒は日本酒度が0からマイナス1くらいの少し甘いの酒が多いとの事。

そんな愛媛の酒の中で山丹正宗が造る酒は、愛媛酒の定番である「食事にあう優しくて穏やかな酒」を踏襲しつつ辛口のキレの良い酒。

「正宗」という名前を商品名に背負っている以上、キレの良さが求められます。
切れはどうしても必要だという事で「優しくとも切れがある酒」をコンセプトに酒造りをされているそうです。

写真は槽場です。
山丹正宗(やまたんまさむね) 株式会社八木酒造部|槽場

写真は創業者の名前を冠した商品「山丹正宗 丹波屋治兵衛
山丹正宗(やまたんまさむね) 株式会社八木酒造部|丹波屋治兵衛
丹波屋治兵衛という商品は、2011年にデビューした県外向けの特別品。
従来の山丹正宗とは全く異なる味を持つ酒で、コンセプトは「ワイングラスで飲む日本酒」。

何故、ワイングラスなのか? その理由は日本酒は本来香りが良い物ですが、盃やおちょこだとその香りがよくわからない事。
それともうひとつは最近は若い人の家にはワイングラスは置かれるようになりましたが、それに対しおちょこや盃など日本酒を飲むための酒器が置いてある家庭が少なくなった事。

8代目蔵元の八木 伸樹さんは家庭で日本酒を飲まれる際は必ずワイングラスを使われているそうで、だったらワイングラスで日本酒を飲む事を提案してみてはどうだろうか、と考えた事がきかっけだそうです。

食生活についても今の若い人の中で、昔ながらの和食だけを毎日食べ続けている、という人はほぼいなくなったといえます。パスタや中華、あらゆるジャンルの料理が食されている現在、それらの料理に合わせる日本酒を考えた結果、非常に華やかな香りと、酸味がきいてさっぱり飲める酒に仕上げたそうです。

洋食に合わせるには酸味が必要。
しかし酸味をきかすと、それが苦手という方も現れる。
そこには捨てるものも多くあったそうで、広く誰にでも飲んでもらう日本酒では無くなりましたが、現在の若い世代に訴えかける酒に仕上がったとの事。
2011年にデビューしたばかりの酒なので、今後どう進化していくのが楽しみです。

最後に訪問の証の記念撮影。
山丹正宗(やまたんまさむね) 株式会社八木酒造部|記念撮影
仕込みに使われていたという、大きなカメに驚く吾郎。

写真の大きなツボは蔵元の庭に長い間、置かれていたそうで下に呑口がついている事から、かつては水瓶なのか、酒を仕込んでいたのか何らかの酒造りに用いられていたそうです。

それに気がついた蔵元は、このツボで酒を仕込んだらどうだろう?と考え蔵に運んで税務署の職員さんを呼んで検定してもらい酒造りを開始。

醪を冷却する事が出来ず、室温を冷やしても中まで伝わらず、勝手に発酵しているのを見守った結果40日を超える長期醪。当初は田舎臭い酒をイメージしていたものの、とても綺麗で香りも華やかな酒に仕上がったそうです。

結局6造りを行った時点で、ツボにヒビが入って使用不可能。
修復する術もなく、現在蔵の片隅に置かれたままになっています。
面白いお話を聞かせていただき、ツボに感心する吾郎でした。




商品の購入・質問は山丹正宗(やまたんまさむね)|株式会社八木酒造部へお問い合せ下さい。
TEL:0898-22-6700山丹正宗、丹波屋治兵衛醸造元株式会社八木酒造部
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2012年10月24日

日本心(やまとごころ)媛一会(ひめいちえ)|武田酒造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 280蔵目

日本心(やまとごころ)、媛一会(ひめいちえ)|武田酒造株式会社

愛媛県西条市三芳1507
蔵元のサイト:http://www.yamatogokoro.co.jp


酒名:日本心(やまとごころ)、媛一会(ひめいちえ) ■創業:1904年(明治37年)4代 ■杜氏:蔵元杜氏(諸派) ■仕込み水:中軟水 ■訪問日:2012/10/24

代表銘柄
日本心 松山三井 特別純米
媛一会 純米吟醸 山廃仕込
媛一会 旨口 純米

この冬から若き後継者が酒造りを開始。愛媛県の注目の新進気鋭、武田酒造。
日本心(やまとごころ) 、媛一会(ひめいちえ) 武田酒造株式会社|外観
武田酒造株式会社は明治37年(1904年)に武田 近平氏が創業した現在で4代続く酒蔵です。

創業者の武田 近平氏は父の借金を抱えてこの地に移り住んだそうで、夫婦で小さなよろず屋を開業します。
しかし小さな店に夫婦が二人いても、という事になり、近平氏は店を奥様に任せて自分は近隣の酒蔵から酒を仕入れて馬に背負わせて行商に行くようになります。
やがて夫婦の中で、今日は「これだけ売った」と商売を競うようになり、そうなると商売は順調に発展。
そうこうしているうちに資金が出来、近平氏はお酒が好きだった事から「自らが嗜むお酒は自らが造ろうと」思い立ち、親戚・縁者を訪ねて投資をしてもらい集まった資金で、明治37年に角屋(かどや)という屋号で酒蔵を起業します。

創業した明治37年とは日露戦争が始まった年で、日本の強さや文化に誇りを持とうと「大和心(やまとごころ)」という酒名を命名。
大和心は高級酒に付けられた名称で、日常的なお酒には山角正宗(やまかどまさむね)という名前で販売。そして昭和27年に武田酒造株式会社と改め今に至ります。

武田酒造では伊方杜氏組合に所属する、上田 益男杜氏という方が酒造りをされてきました。

昭和2年生まれという上田杜氏は29歳の時にこの蔵の杜氏となり、それ以来54年間ずっとこの蔵で杜氏を続けてこれらました。
伊方杜氏の杜氏組合長を長い期間勤めてきたという実力者でもあります。
現在の蔵元がおしめをしている頃から、この蔵で酒造りをされていたそうです。

昭和2年生まれというと今年で85歳という高齢ですが、海軍にいたそうで姿勢もよく、体も柔らかく、かくしゃとされていたそうです。

しかし高齢である事から昨年の造りで引退。
今年から上田杜氏の元で7年間酒造りの勉強をしてきた蔵の後継者、武田昇三さんが酒造りが行います。

写真が武田酒造の代表商品、日本心(やまとごころ)。
日本心(やまとごころ) 武田酒造株式会社|商品
武田酒造が造る酒は、瀬戸内の白身魚のような淡白な料理に合わせやすい少し甘口の酒。 日本酒度がマイナス1から3で酸を少し高めで後味が切れるタイプ。

原料米は松山三井を中心に、愛媛の酒造好適米しずく媛を使用。
出品酒など特殊な酒に兵庫の山田錦を使っておられるとの事。

水にも恵まれており、仕込み水をはじめ道具を洗う水、全て地下水を使用。

山廃仕込を得意とする蔵で、かれこれ20年近く続けているとの事。
生粋の山廃だとお客様の反応が良くなかった事から、より普段飲んでいる酒に近い抵抗が少ないような山廃に仕上げているそうです。

ローカル市場なのですが、最近では「山廃」のお声をいただくようになり、ご指名買いが増えてきたとの事。また他県から声がかかるようになってきたそうです。

また2010年より「媛一会(ひめいちえ)」という名の新ブランドを誕生。この酒は県外市場向けのこだわりの酒として、1都道府県に1販売店を目指して今後展開していく予定との事です。

日本心、媛一会という日本酒ですが、現時点では首都圏ではまだ少ししか出回っていない銘柄ですが、今年から若い後継者が酒造りを開始。
ラベルデザインもよく今後は次世代蔵元として注目度が増していく銘柄ではないでしょうか。

最後に訪問の証の記念撮影。
日本心(やまとごころ) 武田酒造株式会社|記念撮影
「膳」という文字が逆に書かれていますがこの意味は、現蔵元がまだ幼かった頃に、両親から「膳を向け変えて考えなさい」とよく説教されたそうです。

配膳をする際、相手が食べる事を配慮し、自分の視点から見たらら膳を逆にして相手に差し出します。「膳を向け変えてる」とは、「相手の事を考えて行動しなさい」という意味が込められているとの事。

蔵元はこの意味を言葉ではなく形として後々に継承したいと考え、逆さに飾る事に前提に書家の先生にお願いして書いていただいたそうです。

酒造りにおいても客様のニーズに沿う商品を提供する事が重要で、商売でもおなじ事が言える。まだまだこの文字が意味の領域に遠いと語る蔵元。 その話を聞いて関心する吾郎でした。




商品の購入・質問は日本心(やまとごころ)|武田酒造株式会社へお問い合せ下さい。
TEL:0898-66-5002日本心醸造元武田酒造株式会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。  

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2012年10月24日

賀儀屋(かぎや)|成龍酒造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 279蔵目

賀儀屋(かぎや)|成龍酒造株式会社

愛媛県西条市周布1301-1
蔵元のサイト:http://www.seiryosyuzo.com/


酒名:賀儀屋(かぎや)、御代栄(みよさかえ) ■創業:1877年(明治10年)6代 ■杜氏:社員杜氏(自己流) ■仕込み水:弱軟水 ■訪問日:2012/10/24

代表銘柄
伊予賀儀屋 無濾過 純米 赤ラベル
伊予賀儀屋 無濾過 純米吟醸 黒ラベル
御代栄 蔵元の味 原酒

「鍵屋」と名の付くお店が全国各地にあります。
有名なところといえば、江戸の花火の「鍵屋」。

筆者が住む大阪府枚方市にもかつて「鍵屋」という船宿があり現在は市立枚方宿鍵屋資料館として利用されています。

花火屋といい、船宿といい鍵には関係ない商売なのに「鍵屋」という屋号を名乗っている訳ですが、ひょっとしたら古いルーツを辿ると鍵に関連した仕事をされていたのかもしれません。

愛媛県西条市にもかつて「鍵屋」と呼ばれ、現在でも賀儀屋(かぎや)と酒名の酒を造っている酒蔵があります。その蔵が成龍酒造株式会社です。
賀儀屋(かぎや) 成龍酒造株式会社|外観
成龍酒造株式会社は明治10年(1877年)に首藤 鹿之助氏が創業した現在で6代続く酒蔵です。

酒造業に参入する以前、鹿之助氏は庄屋の米蔵の鍵を預かる仕事を行う、鍵屋の9代目でした。

蔵が位置する周布という地域は、伊予8藩の西条藩と小松藩があり、便利の良い土地だったようで庄屋が多く住んでいたそうです。

「庄屋の蔵の鍵を預かるという職種」ですが、現代社会で例えると倉庫の金庫番のような存在だったのでしょうか。明治時代となり庄屋制度が廃止された事によって庄屋の鍵をあずかる仕事も無くなります。
鹿之介氏自身も土地を持ち、米があった事から当時魅力的な産業であった酒造業に転身されたというのが創業の経緯だそうです。

創業当時の屋号は「首藤醸造所」、御代栄という酒名の酒を製造・販売。 昭和46年に3社が合併し成龍酒造株式会社が誕生、現在に至ります。

写真は創業当時から続く御代栄。
賀儀屋(かぎや) 成龍酒造株式会社|御代栄

そして現在の主力商品が「伊予賀儀屋」。
賀儀屋(かぎや) 成龍酒造株式会社|商品
「酒は料理の脇役であれ」をコンセプトとし、製造される酒は食中酒が基本。
食中酒なので香りは控えめに。
新酒の荒々しい酒も料理に合わないため、一定期間熟成させ丸くなってから出荷。
賀儀屋ブランドについては全量ビンで貯蔵されている。

写真の方は7代目蔵元予定の首藤英友さん。家全体では15代目。
賀儀屋(かぎや) 成龍酒造株式会社|首藤英友蔵元
学校卒業後、お酒業界の流通の仕事を経て2006年に入社。
商品の企画などを担当されているとの事。

写真の方は製造責任者の織田和明さん。
賀儀屋(かぎや) 成龍酒造株式会社|織田和明製造部長
昭和46年に合併した蔵元の1家。
東京農業大学を卒業後、平成3年に成龍酒造に入社。 伊方杜氏、但馬杜氏の元で造りを経験。
約10年前、杜氏さんが引退を機に製造責任者となり酒造りをされています。

伊方杜氏組合の賛助会員に所属するものの、様々な杜氏のいいところを取り入れている事から「自己流」という肩書きで酒造りをされています。

賀儀屋(かぎや) 成龍酒造株式会社|貯蔵庫
現在、成龍酒造では12月の末から酒造りの準備に入り、年が明けてから本格的な造りを開始。
3月末に甑倒しが行われるまで半仕舞いのペースで仕込みを行い、年間製造数は約400石。

酒造りに用いる米には、ほぼ愛媛県産米を使用。松山三井を中心にしずく媛、ひのひかりなど。

打ち抜きと呼ばれる豊富な地下水に恵まれ、仕込み水をはじめ道具を洗う水に至るまで地下水を使用。水道代が全く必要しないという水に恵まれた酒蔵です。

訪問の証の記念撮影。
賀儀屋(かぎや) 成龍酒造株式会社|記念撮影
打ち抜きの仕込み水の味の綺麗さに驚く吾郎。

食事との相性を考え、酒本来の主張を極力抑えた酒、という難しいジャンルに挑戦されている蔵ですが、定番酒であるビン火入れ商品以外にも、無濾過原酒など印象に残るお酒も出荷されるなど、技の引き出しは豊富。

ネットで得られる情報と、実際に蔵まで足を運んで直接見て得てきた情報とは違いますが、来てみてとても可能性がある蔵だと感じました。
若い造り手たちが魅力的な酒を次々に造り出している愛媛県において、賀儀屋は間違いなく注目株です。




商品の購入・質問は賀儀屋(かぎや)|成龍酒造株式会社へお問い合せ下さい。
TEL:0898-68-8566賀儀屋、御代栄醸造元成龍酒造株式会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。   

Posted by 佐野 吾郎 at 13:00TrackBack(0)愛媛県の酒蔵巡り