2012年07月19日

森泉(もりいずみ)|森民酒造店

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 271蔵目

森泉(もりいずみ)|森民酒造店

宮城県大崎市岩出山上川原町15


酒名:森泉(もりいずみ)、奥の細道 ■創業:1883年(明治16年)4代 ■杜氏:蔵元杜氏(諸派) ■仕込み水:軟水 ■訪問日:2012/7/19

代表銘柄
純米 もりいずみ
森泉 特別純米厳守

かつて伊達政宗の居城であった岩出山城。
仙台城築城までの12年間、伊達政宗はこの地に居城を構えますが、その後は政宗の四男にあたる岩出山伊達氏の居城となります。

蔵が位置する大崎平野は仙台平野の北部であり、ササニシキが多く穫れた米どころ。
かつて江戸時代にはここで穫れた米を江戸に運んで販売されていたそうです。その為、この地域には酒蔵が多く大崎市内には現在でも7件の酒蔵が稼働。
岩出町だけでもかつては4件の酒蔵があったそうです。

現在、岩出町に唯一残っている酒蔵が森泉という酒を造る森民酒造店です。 森泉(もりいずみ) 森民酒造店|外観

森泉(もりいずみ) 森民酒造店|玄関
森民酒造店は明治16年に創業した現在で4代続く酒蔵です。

蔵のルーツは今でも仙台にある森民酒造本家という酒蔵からの分家になります。

現在、蔵が建っている場所の隣には有備館という仙台藩の学校があり、岩出山伊達氏の城下の中心地で武家が住む場所だったそうです。

しかし明治維新以降、仙台藩氏の多くは減封によって北海道に移住。この土地に住んでいた士族も北海道に移住したため土地が空きます。

この場所はとてもよい水が出る井戸があり、酒造りにとって邪魔になる鉄分の少なさは県内でも1位を争う少なさだそうです。
武家が出ていった後、良い水が出るという井戸がある土地を買い取り酒造業を開始されたそうです。

また資料によると、この蔵の本家にあたる森民酒造本家は、明治28年の全国酒造番付表によると西の前頭という全国で8位、東北では一番規模が大きかった酒蔵でした。
そんな蔵からの分家だったので資金力も有ったのではないでしょうか。

写真の方は4代目蔵元、森民典さん。
森泉(もりいずみ) 森民酒造店|森民典4代目蔵元
かつて森民酒造店では普通酒を中心に約1000石の酒を造られていたそうです。 しかし今から約20年前に生産規模を縮小。
当時は南部杜氏が来て酒造りをされていましたが、生産規模を落として蔵元自らが酒造りをするようになったそうです。

写真は釜場横にある蔵の井戸。
森泉(もりいずみ) 森民酒造店|井戸
現在は特定名称酒を中心に森泉(もりいずみ)、奥の細道という名称の酒を製造。
原料米は地元の食米「ヒトメボレ」を中心に、蔵の井戸から湧く軟水を使用。

宮城のお酒は全体的に辛口で綺麗なタイプの食中酒が多いと言われていますが、森泉は一般的な宮城の酒とは正反対の濃醇甘口酒。
蔵元が話すには「宮城県の中では異質の存在。近くの蔵とは全然違う酒だと思います。」との事。

何故、濃醇甘口の酒を造るのかというと、蔵元がそういう酒が好きだからだそうで、仕込み水も軟水であることから甘い酒が造りやすいそうです。

森泉(もりいずみ) 森民酒造店|商品
看板商品は純米 森泉という一升3千円という価格の純米ですがこの酒が一番良く売れているとの事。

あと宮城県内で一番初めに古酒を出した蔵元だそうで、20年物の古酒も販売されているそうです。

写真は釜場。
森泉(もりいずみ) 森民酒造店|釜場
蔵の外観同様、昔ながらの建物の中で酒造りをされています。

写真は仕込み部屋。
森泉(もりいずみ) 森民酒造店|仕込み部屋
現在の生産石数は年間で約100石。

この地は近くに温泉があることから観光客が多く、隣の有備館に立ち寄った際に、蔵でお酒を買って買えられる観光客が多いそうです。

20年前に1000石を造っていた頃は、人も雇わなくていけませんし遠くまで販売しに行く必要もありました。

しかし規模を縮小し、人を雇わずに家族でコツコツやってたら、観光客がそこそこ訪れるという立地もあることから経営はやっていけるとの事です。

最後に訪問の証の記念撮影。
森泉(もりいずみ) 森民酒造店|記念撮影
現役で使用されているという木の甑(こしき)に驚く吾郎。

辛口の食中酒が多い宮城県の中で、正に異質の存在といえる蔵元です。
蔵の近所は有備館をはじめ、甲冑や刀等を展示した美術館、伊達家の家臣「白石宗実」の甲冑などがガラス越しで見物できる施設などがあります。
観光などでこの近くを寄られた際には、お土産や旅館で飲むお酒として蔵によってみてはいかがでしょうか。




商品の購入・質問は森泉(もりいずみ)|森民酒造店へお問い合せ下さい。
TEL:0229-72-1010森泉、奥の細道醸造元森民酒造店
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。 。  

Posted by 佐野 吾郎 at 11:00TrackBack(0)宮城県の酒蔵巡り

2012年07月18日

山和(やまわ)|株式会社山和酒造店

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 270蔵目

山和(やまわ)|株式会社山和酒造店

宮城県加美郡加美町南町109−1
蔵元のサイト:http://www.nona.dti.ne.jp/~yamawa/


酒名:山和(やまわ)、わしが國、瞑想水(めいそうすい) ■創業:1896年(明治29年)7代 ■杜氏:南部杜氏 ■仕込み水:中軟水 ■訪問日:2012/7/18

代表銘柄
山和 特別純米 蔵の華
わしが國 特別純米

宮城県の北西部、山形県に接する加美町。
この地は山形や秋田に行くための要衝の地で、石巻湾につながる鳴瀬川が流れています。 その為、古くから商業都市として発展し、今でも加美町の中心街には歩いて行ける範囲に酒蔵が3件も存在します。

その一社が宮城県の新進気鋭、「山和(やまわ)」という酒を造る、株式会社山和酒造店です。
山和(やまわ) 株式会社山和酒造店|裏からの外観

山和(やまわ) 株式会社山和酒造店|外観 正面玄関
山和酒造店は明治29年に、この地で薬屋を営んでいた伊藤 和平衛氏が創業した、現在で7代続く酒蔵です。

現在でも歩いて移動できる距離に3件の酒屋が存在しますが、周囲は穀物地帯で米も豊富にあり、水(栗駒山系の伏流水)も良かったのでかつては多くの酒蔵が有ったそうです。

わしが國という酒名の酒を造り、地元や仙台で販売されていたそうで昭和40年台には宮城で1位を争う製造数があったそうです。

しかし現在では量産型から少量高品質型に路線変更され年間生産量が約800石。
7代目を継ぐ伊藤大祐さんが大学卒業後に蔵に戻って来られた際に「山和(やまわ)」という地酒専門店のみに出荷する特別ブランドが誕生します。

写真は麹室。
山和(やまわ) 株式会社山和酒造店|麹室
室はとても広く、通常の酒蔵の大きさくらいの室が2部屋あります。 一部屋が引き込んで床。
そして翌日はとなりに部屋へ運び、箱で8キロ盛りで麹を造られるそうです。

山和(やまわ) 株式会社山和酒造店|麹室2
室は石壁の建物の中にあり室の上にモミガラが2メートル、壁にも詰められているそうです。私が訪問した7月は中に入るとひんやり涼しく、外より10度は涼しいとの事。
室の広さからもかつて宮城を一位を争う大きな造りをされていた事が伺えます。

写真は仕込み部屋。
山和(やまわ) 株式会社山和酒造店|仕込み部屋
原料米には宮城の酒造好適米、蔵の華をメインに使用。
食米はヒトメボレを一部使用されているそうですが、それほど量は多くないとの事。

山和(やまわ) 株式会社山和酒造店|仕込み部屋
仕込みは大きくても1800キロ仕込みまで。
仕込み水は栗駒山系の伏流水(軟水)を用い、杜氏歴が40年もあるベテランの南部杜氏(小田島 稔さん)の指導のもと酒を醸されています。

酒母は南部杜氏の指示の下「手あんま」と呼ばれる手法で仕込みます。
手あんまとは酒母タンクに水、米、酵母、麹を入れて混ぜる際、桶棒ではなく手で混ぜる作業です。
5度くらいの室温の中で、酒母を手でかき混ぜる作業は辛いとの事ですが、手で行わないと入れたモノすべてが混ざり合った感触が解らないとの事。

手あんまをするのとしないのと経過が違うそうで、手で混ぜたものは反応が良いとの事。特にスタート時期は発酵が順調に進むのできっちり守り続けているそうです。

写真はお酒を搾る圧搾機。
山和(やまわ) 株式会社山和酒造店|槽場
とても大きな圧搾機ですが、全部を使わずに中央辺りに板をはめて半分だけ酒を詰めて搾っているそうです。やはり板には金属ではなくプラスチック素材のものが使用されているとの事。

ONV圧炉圧搾機というものが用いられています。
山和(やまわ) 株式会社山和酒造店|ONV圧沪圧搾機 永田醸造株式会社製

訪問の証の記念撮影。大きな圧搾機に驚く吾郎。
山和(やまわ) 株式会社山和酒造店|記念撮影
この蔵で驚くべき場所といえば、この大きな圧搾機だろうと、圧搾機の大きさに驚く吾郎。
この大きさからも、過去には大きな仕込みをされていた事が伺えます。

次期蔵元の伊藤大祐さんのお話によると、

僕達にとって日本酒は特別な酒ではなく身近な酒です。
なので日本酒が主役でどんと前に出る存在ではなく、母親が作った料理、嫁さんが造る料理より日本酒が目立つことはあまりない。
食事を引き立てながら食も酒も両方美味しく、楽しい団欒を過ごす。
そういう酒を造って行きたいとのこと。

蔵に訪問する前日に居酒屋で山和を注文したのですが、山和は洗練された綺麗な味わいが特徴の高品質な日常酒という印象を持つ酒です。
宮城県の注目の新進気鋭です。要チェックの酒です。




商品の購入・質問は山和(やまわ)|株式会社山和酒造店へお問い合せ下さい。
TEL:0229-63-3017山和、わしが國、瞑想水醸造元株式会社山和酒造店
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。   

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2012年07月18日

日輪田(ひわた)|萩野酒造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 269蔵目

日輪田(ひわた)|萩野酒造株式会社

宮城県栗原市金成有壁新町52
蔵元のサイト:http://www.hagino-shuzou.co.jp/


酒名:日輪田(ひわた)、萩の鶴(はぎのつる) ■創業:1840年(天保11年) ■杜氏:蔵元杜氏(諸派) ■仕込み水:中軟水 ■訪問日:2012/7/18

代表銘柄
日輪田 美山錦 純米吟醸
日輪田 蔵の華 純米吟醸
萩の鶴 手作り純米酒

日輪田(ひわた) 萩野酒造株式会社|外観
日輪田(ひわた)、萩の鶴(はぎのつる)という名の酒を造る萩野酒造株式会社は1840年(天保11年)に佐藤 兵三郎氏が創業した酒蔵です。

蔵の前の道は江戸まで続く旧奥州街道で、この坂を少し下った場所に「有壁宿本陣」というお殿様が泊まる特別な宿があります。

その有壁宿本陣の家に生まれた兵三郎氏が独立し、建てた酒蔵が萩野酒造と言われています。

写真の方は次世代蔵元、佐藤 曜平さん。
日輪田(ひわた) 萩野酒造株式会社|佐藤曜平氏
かつてこの地域は「萩野村」と呼ばれていたそうで、地名から萩の鶴という酒名の酒を造られています。

平成14年、大学で醸造学を学んだ佐藤曜平氏さんが、卒業後に蔵に戻ってきた年に「日輪田(ひわた)」という銘柄が誕生。
現在、萩野酒造のこだわりブランドとして全国展開中です。

日輪田という酒名は「お日様」と「田んぼ」の恵みを皆で「輪」になって楽しんでほしいという意味から来ているとの事。

この地域は仙台のような都市部でもなければ海からも遠く、料理と言えば芋の煮っころがしや辛い漬物が多いそうです。
日輪田は割烹着が似合うおふくろのような、すこし田舎っぽい酒をイメージして造られているとの事。発酵が進んで酸っぱくなりかけている青菜漬とか、山の田舎料理に合わせたい骨太な酒。

飾らない日常酒を上質な純米酒で提案したい、というのが日輪田のコンセプトだそうです。

曜平さんに蔵をご案内して頂きました。 日輪田(ひわた) 萩野酒造株式会社|建設中の新蔵
写真は現在建設中の新蔵の骨格。
鉄骨構造の1階建てです。

酒蔵の建物ですが、大正時代以前というと木造の2階建てで、仕込みタンクの口の部分が丁度2階にあり、その関係で酒母室や麹室が2階にあるという、1階〜2階を行ったり来たりして酒を造るという建物が多いと思います。

それが昭和以降になると、鉄骨の3階建ての蔵が建てられるようになります。
3階は洗米・釜場。2階で仕込んで1階に槽場で酒を搾るという、上から下に降りるに従って酒が出来上がるという蔵。

そして現在の蔵はというと、1フロアーの一箇所集約型。
洗米・釜場のすぐ向かいには麹室があり、直ぐ隣には酒母室、仕込み部屋があり、仕込み部屋の向かいには槽場が置かれています。
それぞれの距離が近く、導線が短いために、原料の移動運搬の効率がよく、少人数で効率良く仕込めるような蔵。

萩野酒造の新しい蔵は1フロアー集約型の現代風の蔵で3期醸造が可能との事。
仕込み部屋は冷蔵完備。搾り機ごと冷蔵庫で囲んでしまうとの事。
高さが有るように見えますが、仕込みタンクに櫂入れを行う作業を考えると、これくらい天井の高さが必要になるとの事です。

写真は今まで使ってきた麹室です。
日輪田(ひわた) 萩野酒造株式会社|麹室
萩野酒造では、搾り機が小型であるための、タンク1本の仕込みが最大で1トンまで。なので麹室への米の引き込みは多くて100キロ程度という事で麹室の大きさはコンパクトです。
室は石の建物の中に造られている為、私が訪問した7月だとひんやりと涼しく感じられました。
新しい蔵では、もう少し余裕をもった大きさの室を作る予定との事。

写真は仕込み部屋。
日輪田(ひわた) 萩野酒造株式会社|仕込み部屋
仕込みは大きいサイズで1トン、あとは600キロ仕込との事。

酒造りは蔵元自らが行なっていて、南部杜氏の流れをくむ独自流。
製造されている酒の95%が純米酒で、全量特定名称酒との事。
原料米は宮城県産の美山錦を中心に、宮城県の酒造好適米「蔵の華」や食米のヒトメボレを使用。県外の米としては山田錦、雄町を使われているそうです。

昔ながらの建物ですが、土地が広いせいか1階で全て収まっているためコンパクトな印象を受けました。

最後に訪問の証の記念撮影。
日輪田(ひわた) 萩野酒造株式会社|記念撮影
「吟洗スパイラル」という名の洗米機に関心する吾郎。
最近ではウッドソンと呼ばれる洗米機を使用する蔵が多いそうですが、まだまだ吟洗スパイラルを使っている蔵は多いとの事。

宮城県の新進気鋭、日輪田
新蔵完成後、どう進化していくのか楽しみな蔵元です。
次世代蔵元のイベント等に度々、出展されている蔵元なので、お見かけした際は是非お試し下さい。




商品の購入・質問は日輪田(ひわた)|萩野酒造株式会社へお問い合せ下さい。
TEL:0228-44-2214日輪田、萩の鶴醸造元萩野酒造株式会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。   

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2012年07月18日

綿屋(わたや)|金の井酒造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 268蔵目

綿屋(わたや)|金の井酒造株式会社

宮城県栗原市一迫川口町浦1−1


酒名:綿屋(わたや)、佐藤農場 ■創業:1915年(大正4年)4代 ■杜氏:南部杜氏 ■仕込み水:弱硬水 ■訪問日:2012/7/18

代表銘柄
綿屋 特別純米 美山錦
綿屋 特別純米 蔵の華
佐藤農場 純米吟醸 山田錦

宮城県の北部、岩手県の県境に位置する栗原市。
高速道路から下りて車を走らせても目に入る光景は田園ばかり。
そんな田園地帯の中に、今日本酒ファンの間で注目されている酒が「綿屋( わたや)」です。

綿屋(わたや) 金の井酒造株式会社|外観
綿屋(わたや)を造る金の井酒造株式会社は1915年(大正4年)、この地で製材業、味噌の醸造など営んでいた三浦 順吉氏によって創業した4代続く酒蔵です。

綿屋(わたや) 金の井酒造株式会社|外観 裏側から
三浦家は古くからこの地に続く商家で家全体では15代続いているとの事。

この地の地主でもあり、小作から年貢(地代)として上がってくる米が豊富にあるのですが、この地域は大農村地帯なので皆さんが米を栽培されているため、米を持たれています。

小作から上がってくる米を売ることができたら良いのですが、周囲には米を持っている人ばかり。米を売りたいくらい持っている人に、米を買ってもらうことなど出来ないので、米の活用に苦労されていたそうです。

そこで味噌や酒など、米から他の製品に作り変えて販売する訳ですが、明治〜大正時代に国有林の払い下げを受けた三浦家は製材業をはじめます。
この製材業が当たってそうで、その利益で酒造業に参入されたとの事。
それによって余っていた米を酒に変えて売ることが出来、商売も順調だったようです。

そのような経緯から三浦家は様々な商売をされていたそうで、酒名である「綿屋(わたや)」という名前は、かつて養蚕業を営んでいた事があったようで、そこから「綿屋」の酒名がついたと言われています。

私は最初「綿屋」という酒名を耳にした時、変わった酒名だと思いました。
綿のようにふわりとした酒なのかな?など思っていましたが、このような経緯だったとは知りませんでした。

写真は酒米を意欲的に造りたいという農家とのコラボで造った酒「佐藤農場」。
綿屋(わたや) 金の井酒造株式会社|商品
農家の名前を商品名に入れることによって「米を作ったら終わり」ではなく、商品化した後も農家さんに見届けてもらおう、という企画の酒。


蔵の周辺で作られている米は主に飯米ですが、佐藤農場では山田錦を栽培してもらっているとの事。
この辺が山田錦栽培の北限と言われているそうです。

蔵はかつては全量を地元の米を用いて酒造りをされていたそうです。しかし宮城県の北部は太平洋北部から吹きこんで来る冷たい風「やませ」という季節風があり、やませが吹いた年は米は大不作になると言われています。

もし大冷害になった時、地元産の米に依存していたら酒を造る米が手に入らなくなるため、リスク分散の意味で徳島の山田錦、長野の美山錦など県外産の米も使用されているそうです。
近隣の米が全体の三分の1,県外が三分の2という比率との事。

写真は蔵元自慢の「OH式二重蒸気槽」という窯。
綿屋(わたや) 金の井酒造株式会社|釜場

仕込み水には蔵から3キロ離れた山の中から湧き出す「小僧山水」の水を使用。
水質は軽い硬水。パイプが通っていて水道化されていて、この地域の水道水は小僧山水水が使用されているとの事。

原料米には、上記で書きました通り地元で作られた飯米(ヒトメボレ)や山田錦、県外だと徳島の山田錦、長野の美山錦を使用。

「ヒトメボレ」は地元農家が栽培を得意とする米で、酒造好適度が高くなるよう育ててもらっているとの事。

写真は仕込み部屋。大正時代に建てられた蔵です。
綿屋(わたや) 金の井酒造株式会社|仕込み部屋
仕込みの大きさは一番大きなもの1200キロ仕込み それ以上大きな仕込みはないとの事。

仕込み蔵の横幅が狭いんですが、写真で見ての通り「木の1本の長さが蔵の横幅」になっています。横幅をこれ以上大きくするには「木をつなぐ」必要があります。
木をつなげば更に横幅が広い蔵を建てる事ができたそうですが、2011年に発生した東日本大震災では、木をつないでいた建物の多くは屋根が落ちてしまったとの事。

柱の間隔が狭く、木を贅沢に使っています。
この地域は震度7という強い揺れが襲ったそうですが、その地震に耐えた蔵だそうです。

訪問の証の記念撮影。 綿屋(わたや) 金の井酒造株式会社|記念撮影
大正時代に建てられた蔵が、震度7の地震に耐えたという話をきいて驚く吾郎。

現在、この蔵では年間500石という量の酒を造られているそうですが、蔵元の目標は「500石で表現できる味の追求」。

500石という小規模生産だと経営が難しく様々な工夫が必要になるのですが、その一方ではタンク1本、1本の酒に愛情を注けるという、少量高品質生産が行えるという強みもあります。
蔵元は500石で表現できる味(この蔵の特徴をよく現した酒)が、高い評価をいただけるよう頑張って酒造りを続けていきたい。」とお話してくれました。

綿屋(わたや)は綺麗な辛口酒ですが、太平洋の油の乗った魚を食する地域なので、それに負けないしっかりした味わいを持つ酒。
食事とも組み合わせも良好で宮城県で日本酒を揃えている居酒屋ではよく目にする銘柄です。
宮城に行かれた際には是非お飲みになられる事をオススメします。




商品の購入・質問は綿屋(わたや)|金の井酒造株式会社へお問い合せ下さい。
TEL:0228-54-2115綿屋(わたや)、佐藤農場醸造元金の井酒造株式会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。   

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2012年07月17日

浦霞(うらかすみ)|株式会社佐浦

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 257蔵目

浦霞(うらかすみ)|株式会社佐浦

宮城県塩竈市本町2−19
蔵元のサイト:http://www.urakasumi.com/


酒名:浦霞(うらかすみ) ■創業:1724年(享保9年)13代 ■杜氏:社員杜氏(南部杜氏) ■仕込み水:中軟水 ■訪問日:2012/7/17

代表銘柄
浦霞 純米吟醸 禅
浦霞 エクストラ大吟醸
浦霞 本仕込

人口約57000人の宮城県塩釜市。 江戸時代に鹽竈神社(しおがまじんじゃ)の門前町として栄え、大正時代から昭和にかけては造船業によって発展。同時に漁業も盛んで近海の生マグロの水揚げ量が日本一。

仙台から移転してきた遊郭が並んでいたという娯楽地域だったそうですが、今ではその影もなく静かな地域です。その塩釜に宮城を代表する酒蔵、いえ宮城のみならず、東北を代表する名門蔵が株式会社佐浦です。 浦霞(うらかすみ) 株式会社佐浦|外観

株式会社佐浦は1724年(享保9年)に佐浦富右衛門氏が創業した現在で13代続く酒蔵です。

麹の製造業を営んでいた富右衛門氏は1724年に酒造株を取得。 塩竈神社の御神酒酒屋として、約20石という製造量からスタートします。

塩釜港は藩政時代の時から海の玄関口として海上交通の要として発展しました。
その為、造られた酒は地元の消費だけではなく船に乗って三陸沿岸方面に運ばれ販路を拡張。

江戸時代末期には製造量は300石となり、明治28年には3000石を超える酒蔵に成長。

写真は明治28年の全国酒造番付表。
浦霞(うらかすみ) 株式会社佐浦|明治28製造国数番付
この番付表によると明治28年の3000石は、全国でもトップクラスの生産量だったようです。

番付上位は灘が大半を占めていますが、番付の最上段に「佐浦もと」の名前が記されています。

東北勢では最上段に名前が掲載されているのは浦霞と、同じ宮城県の森民蔵という2社のみ。森民蔵が5千石を造っていたようなので、浦霞は東北で2番目位に大きな蔵ということになります。

当時は「八雲」「富正宗」「宮城一」という酒名の酒を製造されていたそうですが、大正時代に昭和天皇にお酒を献上する機会があり、その際に源実朝が詠んだ塩釜の歌から「浦霞」という酒名が誕生。
昭和に入り戦時下の級別制度により銘柄名を「浦霞」に統一、今に至ります。

第二次大戦中でも製造を続けていたものの、国の企業整備例で宮城県下の酒蔵と強制合併となり「仙台酒造株式会社 浦霞工場」として酒造りを続けられたそうです。
その後、昭和30年に解散となり昭和31年に現在の浦霞、株式会社佐浦が誕生します。

写真は浦霞の主力商品「禅(ぜん)」。
浦霞(うらかすみ) 株式会社佐浦|禅
昭和30年以降の高度成長時代に時代になると日本酒の大量生産が進みますが、浦霞はその流れに乗れず、小規模の蔵だからこそ「量より質、本物の酒を丁寧に造って丁寧に売る」事を基本に高品質の酒造りを追求。

特定名称酒への着手は早く、昭和40年の中頃から開始。
昭和48年には浦霞の代表商品となる「禅(ぜん)」が発売開始。

昭和50年頃より発生した地酒ブームによって、浦霞は首都圏への出荷が増え平成4年には10000石を突破するという、地酒界においてとても大きな蔵へと成長。
平成23年には、今回訪問した本社蔵と、少し離れた高台に立つ「矢本蔵」の二つの蔵で約13000石の酒が製造されているそうです。

写真の方が浦霞の杜氏を務める、小野寺邦夫さん。
浦霞(うらかすみ) 株式会社佐浦|津波の水位を示す杜氏
杜氏さんが指をさされている白線は、3月11日の地震で発生した津波の高さ。この高さまで波が押し寄せたそうです。

今回、蔵をご案内していただきました。

写真は麹室。
浦霞(うらかすみ) 株式会社佐浦|麹室
浦霞では酒造りに用いる米の9割以上は地元宮城県産米(トヨニシキ、まなむすめ、蔵の華)です。
また、製造される酒の98%が特定名称酒です。

一番良く売れている酒が「浦霞本仕込み」で、蔵を代表する看板商品は「浦霞純米吟醸禅」。
味と香りのバランスがとても良いお酒です。

塩釜は人口密度に対し寿司屋の数が日本一多い土地と言われ、浦霞は地元のお寿司屋で広く使われているため、魚料理によく合う酒であることは間違い無いそうです。

「浦霞純米吟醸禅」を中心とした特定名称酒の売れ行きが好調で、品切れが起きてお客様にお待たせすることが多かった。
流通量が足りなくなることでプレミア価格になることをとても嫌う蔵元だったので、平成6年に矢本蔵を建設されたそうです。
一般的には昭和の終わり頃から製造数量が落ちている蔵が多いのですが、浦霞は寧ろその時期から伸び始めたという、他とは逆の流れを行く蔵元です。

写真は麹の枯らし場。
浦霞(うらかすみ) 株式会社佐浦|麹の枯らし場
麹室と同時に枯らし場もとても広く作られていました。

写真は酒母室。仕込蔵の2階の部分に存在します。
浦霞(うらかすみ) 株式会社佐浦|酒母室
建物は江戸時代末期に建てられたものだと言われています。

写真は仕込み部屋を上から撮影したもの。
浦霞(うらかすみ) 株式会社佐浦|仕込み部屋
震災後、琺瑯タンクにひびが入り全てステンレスタンクに変えられたとのことです。
上から見ると一見、何の変哲もない普通の仕込み部屋に見えますが、下から見ると変わっていて、仕込み部屋の下の部分は大きな冷蔵倉庫のように部屋として密閉されています。

最近の3期醸造・四季醸造の蔵だと、仕込み部屋ごとに空調が効いた個室の中で造られているのですが、江戸時代前の建物を利用し3期醸造を実現するとなると、仕込み部屋全体を冷やすことが困難なのでしょうか?仕込みタンクの下の部分が密閉された個室になっていました。

写真は仕込み部屋の2階の手すり。凹んでいるのはロウソクで焦げた跡。
浦霞(うらかすみ) 株式会社佐浦|ロウソクの跡
この蔵は江戸時代に末期に建てられた蔵です。
当時は電気が無く、窓も無いに等しかったので、蔵の中を照らす灯りはロウソクの炎のみ。

かつては、手すりの位置にロウソクを立て、蔵の中を照らしたそうで、手すりの表面が欠損しているのは、ロウソクで焦げた跡とのことです。

訪問の証の記念撮影。現役で使用されている木桶に驚く吾郎。
浦霞(うらかすみ) 株式会社佐浦|記念撮影
平成16年に創業280年を記念し木桶仕込みによる山廃の純米酒を再現。 その時、仕込みに使用した木桶に驚く吾郎。

ちなみに、写真の右側部分の緑色の何やら装置に見える部分が仕込み部屋の下部分です。仕込みタンクの下部分がこのような密閉された個室になり、低温状態を保つ事で三期醸造を行っています。
こちらも珍しく撮影後に改めて驚いた吾郎でした。




商品の購入・質問は浦霞(うらかすみ)|株式会社佐浦へお問い合わせ下さい。
TEL:022-362-4165浦霞醸造元株式会社佐浦
ここに書かれているデータは筆者が訪問した時点の情報でございます。  

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