2012年07月20日

黄金澤(こがねさわ)|合名会社川敬商店

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 276蔵目

黄金澤(こがねさわ)|合名会社川敬商店

宮城県遠田郡美里町二郷高玉六号7
蔵元のサイト:http://www.k2.dion.ne.jp/~koganesa/


酒名:黄金澤(こがねさわ)、橘屋(たちばなや) ■創業:1872年(明治5年)5代 ■杜氏:蔵元杜氏(諸派) ■仕込み水:中軟水 ■訪問日:2012/7/20

代表銘柄
山廃純米 黄金澤
橘屋 特別純米 雄町

黄金澤(こがねさわ)という酒を造る、合名会社川敬商店は明治35年に川名 敬治氏が創業した現在で5代続く酒蔵です。
黄金澤(こがねさわ) 合名会社川敬商店|蔵の外観
かつて隣町の涌谷というところで、伊達家の分家である涌谷伊達氏の御用商人として橘屋という屋号で金物屋をされていました。

現在、蔵元が位置する美里町はかつては南郷村といい、たくさんの地主が住んでいた地主の屋敷街だったそうです。

お金持ち相手にどんな商売をしたら儲かるかと考えた敬治氏は、この地域に酒蔵が無かったそうなので酒造業への参入を考えます。
ただ酒蔵が無かった理由は、水が酒造りに適していなかったそうですが、市場としては裕福です。

敬治氏は他の酒蔵が参入してこないだろうとプラス思考で考えこの地で酒造業を決意。
金物屋を番頭に任せ自ら「酒屋かせぎ」に出かけます。
「酒屋稼ぎ」とは将来酒蔵をするため、酒造りを覚えるために酒蔵で働く事をいいます。

そして明治35年に現在の場所で酒造業を創業。
創業当初の屋号は橘屋、(金物屋と同じ名前)酒名は「金時(きんとき)」だったそうです。

写真の方は5代目蔵元、川名正直さん。
黄金澤(こがねさわ) 合名会社川敬商店|川名正直蔵元
蔵元は今から14年前の1998年から、蔵元自ら杜氏となり酒造りをされています。

最盛期には約3000石の酒を造られていたそうですが現在の製造石は約400石。

現在でも水には苦労されているそうでタンクローリーで一時間かけて汲みに行っているとの事。

しかし9年連続で全国新酒鑑評会で金賞を受賞(日本で2位)されており、技術的な面で水のハンディはクリア済み。

代表銘柄は「黄金澤」と「橘屋」の2銘柄で、特に山廃仕込を得意とされ、蔵の代表銘柄は「山廃純米 黄金澤」。
切れがりながら、山廃の特徴である味に広がりがあって深みがある酒。
乳酸菌が複雑な発酵をとげるのもので、彫りの深い深みのある酒になるそうです。
燗にすると更に美味しくなる。そして山廃の変なクセが全く無い酒との事。

写真は麹室の一部。
黄金澤(こがねさわ) 合名会社川敬商店|麹室
山廃仕込というと、酸味に癖がある酒を想像される方も多いのですが、クセが無い山廃酒を造るには麹の造り方にキモがあるそうです。

乳酸菌には約370〜380くらいの種類あるそうですが、酒つくりに適した乳酸菌はわずか2種類程度との事。
酒に適していない乳酸菌が生成されるような麹の造り方をすると、クセの多い山廃酒になるので、酒に適した乳酸が生成されるような麹造りを行う必要があるそうです。

麹室は400石規模の蔵としては広めに作られていて、温度設定など山廃の事を考えて設計されているそうです。

写真は仕込み部屋。
黄金澤(こがねさわ) 合名会社川敬商店|仕込み部屋

訪問の証の記念撮影。
黄金澤(こがねさわ) 合名会社川敬商店|記念撮影
黄金澤 山廃純米の味に感動する吾郎。

蔵元のお薦めで先ずは冷で一杯、次に温燗で一杯いただきました。
宮城酒の特徴である綺麗な味わをベースに深みがあり男性的な骨太な味わい。山廃のクセが一切無く美味しくいただけました。
また燗酒を急冷すると更に味が変化されるそうです。

蔵元の話によると、最近は山廃を理解する消費者も増え売上は順調に伸びているとの事。
量は沢山売ろうと思っていないので、味を理解される方に地道に商品の良さを広めていきたいとの事です。
もし何処かで黄金澤を見かけた際にはぜひともお勧めします。




商品の購入・質問は黄金澤(こがねさわ)|合名会社川敬商店へお問い合せ下さい。
TEL:0229-58-0333黄金澤、橘屋醸造元合名会社川敬商店
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。  

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2012年07月20日

一ノ蔵(いちのくら) すず音|株式会社一ノ蔵

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 275蔵目

一ノ蔵(いちのくら) すず音|株式会社一ノ蔵

宮城県大崎市松山千石大欅14
蔵元のサイト:http://www.ichinokura.co.jp/


酒名:一ノ蔵(いちのくら)、すず音、ひめぜん ■創業:1973年(昭和48年) ■杜氏:社員杜氏(南部杜氏) ■仕込み水:中軟水 ■訪問日:2012/7/20

代表銘柄
一ノ蔵 無鑑査 本醸造辛口
一ノ蔵 発泡清酒 すず音(すずね)
一ノ蔵 特別純米酒 大和伝

東北本線松山町駅で下車したのは私一人。
駅前に立っても、商店らしい商店は無くタクシーの姿も無い。

果たしてこんな所に宮城県で一番大きな酒蔵「一ノ蔵」が本当にあるのだろうか?
その前にタクシーを拾わないと蔵に行く事も出来ない。

駅前の通りを少し歩くと、事無く無くタクシーを発見。
運転手に「一の蔵まで」と告げると、タクシーは慣れたハンドルさばきで車を進める。
それを見て私は蔵は本当にこの近くにあるのだろうと安心。

しかしタクシーは町を通り過ぎ山に向かって進むんで行く。やがて家も無くなり本当の峠道に・・

本当にこんな山の中に酒蔵があるの?
と思いきや、山頂付近にそびえる研究所のような建物が出現。
その建物にはあの一ノ蔵のマークが。
そしてタクシーはまるで外資系の企業の研究室おもわせる酒蔵に到着した。

一ノ蔵(いちのくら) すず音 株式会社一ノ蔵|外観
蔵は山の山頂に建てられていて周囲は森。とても環境がよく敷地はとても広大。

一ノ蔵(いちのくら) すず音 株式会社一ノ蔵|外観2
一見、大企業のように見えますが、一度訪問したら必ず一ノ蔵が好きになって帰ってしまうというくらい、とても感じの良い酒蔵です。

株式会社一ノ蔵は昭和48年(1973年)、4社の酒蔵による企業合併によって出来た酒蔵です。
一ノ蔵(いちのくら) すず音 株式会社一ノ蔵|歴史
日本酒業界の一番のピークは昭和48年。
まさに一ノ蔵が誕生したのと同じ年ですが、丁度この時代は蔵元の企業合同が積極的に行われてきた時代でした。

国の方で「酒造業の近代化を推し進める」という政策があり、国が企業合同を後押ししていました。
その為、全国各地で酒蔵の企業合同が行われていました。

この先、家業としての小さな酒蔵の経営は厳しくなってくるのでは?と危機感を抱いていた宮城県の酒蔵、浅見商店、勝来酒造、桜井酒造店、松本酒造店は、近代化を行い家業ではなく企業として造り酒屋をやって行こうと企業合同を決意。

創業4役員となり新たに「株式会社一ノ蔵」を立ち上げられます。
この4家というのは宮城県の中でそれぞれ営業されていた蔵ですが、エリアが異なり商圏が重ならず逆に合併することで宮城県全域を商圏にする蔵が誕生します。

ただ当時の企業合併で珍しかったのは4家の蔵は全く使わずに、新しくこの地に蔵を建てた事です。
車がないとアクセス出来ない山の中に蔵を建てた理由は「米と水」。

一ノ蔵が建つ山の麓に、創業4家の山本家の蔵がありました。
松本家の酒の良さを鈴木家は知っておられ「どうして松本さんの蔵では良い酒が造れるの?」と質問したところ「ここ松山では良い米が穫れていい水が出るからですよ」という話をききます。

企業合同する以前に鈴木家では松山で穫れた米で酒造りを行われていて、米の良さを実感。
企業合同の話が出てきた時に是非、この辺に蔵を構えたい、という話になったそうです。

周囲の土地を見た中で、ここに良い水が湧きそうだと、現在の場所に蔵を建てらます。

一ノ蔵が使用する地下水「大松沢の水(軟水)」は水量も多く、一切水道を引いていないとの事。
全ての水を地下水でまかなっているそうです。

写真の方は、創業4役員の一人、浅見 周平さん。
一ノ蔵(いちのくら) すず音 株式会社一ノ蔵|浅見さん
一ノ蔵は企業合同化した酒蔵の中で成功事例として紹介されることが多い蔵です。

今でも創業4役員の後継者が 世代交代し会社を経営されていますが、そういうケースは結構珍しく、世代交代する中で跡継ぎがいなくなったりし4家が3家になったりする事が多いとの事。
一ノ蔵は今もなお創業4家が役員となり経営を続けています。

写真は一ノ蔵の代表商品、無監査。
一ノ蔵(いちのくら) すず音 株式会社一ノ蔵|無鑑査
一ノ蔵の代表商品、無監査が誕生したのは昭和52年。

当時、日本酒には特急、一級、2級といった級別制度がありました。
ただ級別制度は味わいや品質を正しく表したものではなく、例えば1級の審査に通らなかった酒が、一ヶ月後に改めて審査に出すと通ったりと、鑑定官の舌に依存していてあいまいなものだったそうです。

また1級、2級という級別によって酒税が異なり、1級と2級の間で300円以上酒税に差がありました。
1級の品質の酒を2級のまでで販売したらお客様には300円以上のメリットが生まれます。無監査はそこに目を付いた商品でした。

昭和52年に一ノ蔵 無監査を発売。
それが制度に対してのアンチテーゼとなり節税酒が全国に受け入れられます。
一ノ蔵は創業当時の数年間は会社として厳しかったそうですが無監査のヒットによって救われます。

無監査が世の中に受け入れられた事によって、国税局は級別制度の存続に関わることから「無監査とか無検査という言葉を使うな」という通達を出します。

その通達によって他社は「無監査、無審査」といった表現が使えなくなりました。
しかし一ノ蔵は「無監査」で商標登録が撮れていたので、無監査がという言葉が使えます。

これによって他社による類似商品が市場に現れることがなく無監査のオンリーワン商品が確立します。

無監査の登場によって級別制度に穴がある事が知れ、平成4年に廃止される事になります。

一ノ蔵(いちのくら) すず音 株式会社一ノ蔵|商品
無監査に続き第二のヒット商品となったのが低アルコール酒。
日本酒の裾野を広げるべく昭和60年に、低アルコールの甘口の日本酒「あ、不思議なお酒」を発売。
昭和63年には「ひめぜん」に進化し、発泡清酒のすず音が平成10年誕生。
発売当時は全く受け入れられなかったそうですが、今では低アル発泡酒の代表的な存在です。

写真は麹の枯らし場。
一ノ蔵(いちのくら) すず音 株式会社一ノ蔵|麹の枯らし場
一ノ蔵では40名の蔵人で年間約2万石(3000キロリッター)の酒を製造されています。

立派な蔵の外観だけ見ると、オートメーション化された大手蔵を思わせますが、一ノ蔵設立の際に「手造りによる酒造りを守っていこう」という考えがあり、手造りによる酒つくりが行われています。

何を基準に「手造り」かというと、
・甑(こしき)を使って米を蒸すこと。(連続蒸米機を用いない)
・蓋麹、箱麹で麹を造ること。(製麹機は用いない)
・酒母を立てること。(すっぽん仕込みはしない)
以上の3つを守り、9月から6月までの3期醸造を行われています。

蔵が広いのもそのためだそうで、機械化すればこの4分の1くらいの広さで同じ製造量の酒がつくれてしまうとの事。

一ノ蔵(いちのくら) すず音 株式会社一ノ蔵|麹室
蔵見学は写真のとおり、通路からガラス越しで蔵の設備を見ることができます。誰でも蔵見学は可能。

写真は洗い場・釜場。
一ノ蔵(いちのくら) すず音 株式会社一ノ蔵|洗い場・釜場

一ノ蔵(いちのくら) すず音 株式会社一ノ蔵|仕込み部屋
造り手は全て社員杜氏、所属は南部杜氏
以前は季節雇用の南部杜氏が酒造りに来られていたそうですが、年間で雇用した社員を南部杜氏の下で酒造りを学ばせ、今ではその時の社員が杜氏として酒造りをされています。

使用米の97%県産米。
宮城の農業振興も目的のひとつで年間で3万俵の地元米を使用。
3万俵とはどれくらいの量かというと、松山町で1年で獲れる米の量とほぼ同様。
一ノ蔵は地元の農業の支えるくらいの規模の米を使用している事を意味します。

米の種類 酒造好適米では蔵の華が一番多く使用。
その他はトヨニシキ、ササニシキ、県外の3%は山田錦。

あとこの蔵の他に金龍蔵というもうひとつの蔵があり、そちらでは金龍というブランドの酒を造られています。
金龍蔵はふた麹で酒造りをしている昔ながらの蔵。
また宮城県では唯一、杜氏・蔵人全員が南部杜氏が酒造りをする蔵だそうです。

今では杜氏さんだけ南部から来て、蔵人などは地元の人という蔵が大半ですが、金龍酒造では杜氏・蔵人をはじめ、まかないを用意するおばちゃんまで全て1セットで11月に南部からやってこられ4月に帰って行くという昔からのスタイルを継承されています。

このスタイルで続けている蔵は宮城には他には存在しないとの事。
こういう伝統的な姿をもっと外部に発信して行こうという事で金龍ブランドを立ち上げてかれこれ6年続けているそうです。

最後に訪問の証の記念撮影。
一ノ蔵(いちのくら) すず音 株式会社一ノ蔵|記念撮影
一ノ蔵を試飲し、味の素晴らしさに驚く吾郎。

一ノ蔵が造る日本酒も素晴らしいのですが、会社としてもとても素晴らしいビューティフルカンパニーです。
私は様々な酒蔵を回って来ましたが、最も印象に残った素晴らしい蔵を3つ挙げろと言われたら、一ノ蔵の名前を上げたいと思います。

日本酒は財務省の管轄下であるため、食品の法律ではなく酒税法で管理されています。なので食品メーカとは異なる環境状態で酒が仕込まれていますが、一ノ蔵は食品メーカーの方が見学されても勉強になる蔵だと思いました。

また企業としても見習うべき部分が多く、会社経営者の方が訪問されても様々な面で勉強になる蔵だと思いました。

一ノ蔵は第一次日本酒ブームの頃から続く銘柄で、百貨店や量販店で目にする事も多くとても知名度が高い蔵元です。
それ故、日本酒ファンの皆様な様々なイメージを持たれているかと思いますが、ぜひ一度ご訪問される事をおすすめします。
必ず一ノ蔵が好きになって帰られると思います。




商品の購入・質問は一ノ蔵(いちのくら)|株式会社一ノ蔵へお問い合せ下さい。
TEL:0229-55-3322一ノ蔵(いちのくら)、すず音、ひめぜん醸造元株式会社一ノ蔵
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。  

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2012年07月19日

宮寒梅(みやかんばい)|合名会社寒梅酒造

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 274蔵目

宮寒梅(みやかんばい)|合名会社寒梅酒造

宮城県大崎市古川柏崎字境田15
蔵元のサイト:http://miyakanbai.com/


酒名:宮寒梅(みやかんばい) ■創業:1916年(大正5年)4代 ■杜氏:蔵元杜氏(南部杜氏) ■仕込み水:軟水 ■訪問日:2012/7/19

代表銘柄
宮寒梅 純米吟醸 美山錦45
宮寒梅 純米大吟醸 蔵の華
宮寒梅 純米大吟醸 ひより45

文章・写真などの転載は一切禁止しております。

宮城県の穀物地帯の中を走る国道347号線。
車を運転していても見える景色は田んぼだらけですが、交通量は以外と多く場所と時間によっては渋滞する地域もあります。

今回の酒蔵訪問でも何度もこの道を走りましたが、その347号線沿いの田園に中に「宮寒梅」の看板とともに現れる、以外と目立っている酒蔵が合名会社寒梅酒造です 宮寒梅(みやかんばい) 合名会社寒梅酒造|外観
合名会社寒梅酒造は大正5年(1916年)に、岩崎 碩次郎氏が創業した現在で4代続く酒蔵です。

岩崎家は当時、この地域一帯に15町の以上を有する地主で、小作人から地代の代わりに得た米を使って酒造りを始めたのが酒造業誕生の経緯です。

創業当初の酒名は「誉の高川」。第二次大戦の戦時下の企業整備例によって製造を中断した後に昭和32年に現在の蔵名である寒梅酒造にて復活。

ごくごくありがちな創業の経緯で、国道347号線から見た第一印象も農村にある普通の地方蔵です。
しかしこの蔵は、四季醸造の設備を持った宮城県の新進気鋭の蔵元なのです。

写真の方は蔵の後継者、岩崎健弥さん。 宮寒梅(みやかんばい) 合名会社寒梅酒造|岩崎健弥さん
外観だけ見ると、よくありがちな地方蔵にみえるのですが・・・。

後ろにまわるとこんな感じ。ここが仕込み蔵です。
宮寒梅(みやかんばい) 合名会社寒梅酒造|外観 寒梅酒造では約300石の酒を家族で製造されています。
宮城県では唯一、自社栽培田を持つ蔵で愛国、美山錦、ひよりという酒造好適米を自社田で栽培。
他の米は地元農家による契約栽培米で宮城県産の米しか使用されていません。
代表銘柄は宮寒梅 純米吟醸 美山錦45。

蔵元が米造りと、製造責任を担当。
健弥さんが営業と麹造りを担当し、奥様が奥様が酒母担当。
家族で切り盛りしている家族経営蔵です。

震災を機に四季醸造蔵に立て替え、同時に全量純米化し、特約店制度を設けて全国の約15件の酒販店に宮寒梅を出荷されています。

写真は釜場です。
宮寒梅(みやかんばい) 合名会社寒梅酒造|釜場
新しく造られた蔵だけあって、現在の小規模品質生産が行いやすい設計がされています。
釜場をスタートとし、麹室、酒母室が隣接。少人数でも作業が負担にならないよう短い導線で配置がされています。

写真は酒母室です。 宮寒梅(みやかんばい) 合名会社寒梅酒造|酒母室
仕込み部屋、槽場、麹室、酒母室が写真ののようにユニット化された個室になっていて、それぞれが細かく温度調整可能。
私が訪問したのは7月19日でしたが仕込みが行われていました。

写真は仕込んでいる最中の醪。
宮寒梅(みやかんばい) 合名会社寒梅酒造|醪(もろみ)

写真は仕込み部屋。
宮寒梅(みやかんばい) 合名会社寒梅酒造|仕込み部屋
とてもゆっくりしたペースで酒を仕込むため、仕込みタンクの数も現状ではこれで十分だそうです。

宮城県の酒というと奇麗なタイプの食中酒が代用されます。
特に料理とあわせる食中酒という役割が強い酒が中心ですが、寒梅酒造が造る宮寒梅は宮城の代表的な地酒とは対照的な存在。
カプロン酸系を多く含む、いわるゆ「香り系」と呼ばれる吟醸香が特徴的な酒。

「最初の1杯目でうまいと言わせる酒。」をコンセプトとし、今の世代に人々に日本酒の良さに胃が付いてもらう為には、最初の一口目で美味しいと解る酒で必要であると考え、一杯の感動を与える酒造りを目指されているそうです。

写真は槽場のしぼり機です。
宮寒梅(みやかんばい) 合名会社寒梅酒造|槽場
しぼり機もプレハブ冷蔵庫の中に収まっています。

香り系の酒はとてもデリケートということもあり、絞ったあとはビン貯蔵しマイナス3からマイナス7度の低温の冷蔵庫で貯蔵されているとの事。

最後に訪問の証の記念撮影。 思わぬところで、仕込み中の醪を見る事が出来て感心する吾郎。
宮寒梅(みやかんばい) 合名会社寒梅酒造|記念撮影

四季醸造を行えば一年を通じ、必要な量だけお酒を少量単位で製造する事が出来ます。それによって香りがデリケートなお酒を長期保存する必要がなくフレッシュローテーションが可能。
一年を通じ、状態の良い酒の供給が可能です。
思い切った試みという事もあり、今後注目すべき宮城県の新進気鋭だと思いました。




商品の購入・質問は宮寒梅(みやかんばい)|合名会社寒梅酒造へお問い合せ下さい。
TEL:0229-26-2037宮寒梅醸造元合名会社寒梅酒造
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。  

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2012年07月19日

真鶴(まなつる)|株式会社田中酒造店

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 273蔵目

真鶴(まなつる)|株式会社田中酒造店

宮城県加美郡加美町西町88−1
蔵元のサイト:http://www.miyagi-vip.jp/foods/tanakashuzo.html


酒名:真鶴(まなつる)、田林(でんりん) ■創業:1789年(寛政元年)11代 ■杜氏:社員杜氏(無所属) ■仕込み水:中硬水 ■訪問日:2012/7/19

代表銘柄
真鶴 山廃仕込み純米酒
田林 生もと特別純米

真鶴(まなつる) 株式会社田中酒造店|外観
真鶴(まなつる)、田林(でんりん)という名の酒を造る株式会社田中酒造店は寛政元年(1789年)に田中新八郎氏が創業した11代続いた酒蔵です。

この地は古くは室町時代に奥州探題が置かれ大崎氏が支配。戦国後期以降から伊達氏の領地となり、江戸時代になると商業が発展し米相場を動かすほどの商人がいた、という民力が強い土地だったそうです。

田中家は呉服商を営んでおり、京都、大阪のお侍さんの払い下げの着物を買い付けて販売していたそうです。
それこそ相場を左右できるほど大量に買い付けていたそうで、呉服商によって財をなし同時に金貸しなども行います。
金貸しをすると借金を返せなくなった人の担保となる田んぼが増え地主化します。
大崎平野は江戸時代から米の産地で、豊富に収穫される米を相場が高いときは米のまま販売し、相場が低い時には酒などに加工されたそうです。
地主化し豊富にとれる米の有効的な使い道として酒造業に参入された、というのが経緯のようです。

田中家はかなり大きな両替商だったそうで東北実業銀行の前身と言われています。

真鶴(まなつる) 株式会社田中酒造店|蔵の窓
この地域には古い建物がところどころ残っていますが、重圧な土蔵造りと白と黒のまなこ壁の田中酒造店は一際目を引きます。

造り酒屋にて、このような白と黒のまなこ壁の外観を持つ蔵は早々目にしません。 おそらく着物屋さんという事で、今でいうブティックではありませんが、購買欲をそそるような外観だったのではないでしょうか?

田中酒造店は11代続く長い暦酒を持つ酒蔵ですが、12代目を継ぐ人がいなかったそうです。
11代蔵元は、亡くなる5年ほど前から入退院を繰り返し、その時にとなりの中島酒造店の中島社長に「蔵を手伝ってくれないか」と頼まれます。
そうして中島社長は中勇酒造店と田中酒造店を手伝う事になったのですが、その最中に11代目の病気は治らず他界。
そのような経緯から中勇酒造店の中島社長が、田中酒造店の社長に就任されます。

中島社長の話によると、それぞれの歴史に中に根ざしたものは壊さない。
それぞれの蔵に長い歴史があり、それを混ぜる事はしない。
それぞれにファンがついているので、それぞれの蔵が造る酒のコンセプトは全く異なるとの事。
田中酒造店では生もとや山廃仕込み、一升盛りの麹造り、木樽を用いた酒母造り、といったクラシカルな手法で酒造りをされています。

写真は麹室。 真鶴(まなつる) 株式会社田中酒造店|麹室
田中酒造店は全盛期には5500石を製造。
宮城県で一番という時代もあったそうです。
その為、麹室はとても広く写真に写っているのはほんの一部。小さな蔵の仕込み部屋くらいの広さがりました。
現在は製造規模も小さく、麹蓋による手造り麹なので量もつくれないとの事。

真鶴(まなつる) 株式会社田中酒造店|一升盛り

写真は酒母室。
真鶴(まなつる) 株式会社田中酒造店|酒母室
山廃をずっと続けていた蔵なので生もとも出来るだろうと、宮城県で誰も行っていない生もと造りを67年ぶりに復活。
造られた酒には「田林(でんりん)といい、決まった店しか並ばない限定流通品。

写真は生もとを仕込む際の桶。
真鶴(まなつる) 株式会社田中酒造店|生もと

酒母の育成には木の抱き樽を使用。
真鶴(まなつる) 株式会社田中酒造店|木の抱き樽 アルミと異なり熱が柔らかく伝わるとの事。

写真は仕込み部屋。
真鶴(まなつる) 株式会社田中酒造店|仕込み部屋

写真はお酒の搾り機。
真鶴(まなつる) 株式会社田中酒造店|槽場
結構、長さがあります。
かつて大きな造りをされていた事が伺えます。

訪問の証の記念撮影。
真鶴(まなつる) 株式会社田中酒造店|記念撮影
きれいな状態で使用されている木の抱き樽に感心する吾郎。

最近では鉄筋コンクリート造りの酒蔵も多いのですが、田中酒造店は外観だけではなく製造の現場も木造の美しい蔵でした。
木造の古い蔵だと2階に上がった際に床が抜けるのでは?など不安を感じる蔵もあるのですが、田中酒造店にはそれが無く丈夫。
古き良き酒蔵を感じさせる木造の良い蔵でした。

この地域には歩いて行ける範囲に3件の酒蔵があり、蔵開放など酒蔵見学が可能な蔵もあります。
是非、訪問をお勧めする酒蔵です。




商品の購入・質問は真鶴(まなつる)|株式会社田中酒造店へお問い合せ下さい。
TEL:0229-63-3005真鶴、田林醸造元株式会社田中酒造店
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。  

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2012年07月19日

夢幻(むげん)|株式会社中勇酒造店

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 272蔵目

夢幻(むげん)|株式会社中勇酒造店

宮城県加美郡加美町南町166
蔵元のサイト:http://mugen-kuramoto.co.jp/


酒名:天上夢幻(てんじょうむげん)、成瀬川(なるせがわ) ■創業:1906年(明治39年)酒蔵では4代(中島家だと26代) ■杜氏:社員杜氏(南部杜氏) ■仕込み水:中軟水 ■訪問日:2012/7/19

代表銘柄
夢幻(むげん) 純米酒
鳴瀬川 純米酒

仙台平野の北部に位置する大崎平野。ここは室町時代に大崎氏が奥州探題としてこの地を支配し、戦国時代末期には伊達政宗の領地となります。

内陸の大崎平野は江戸時代から米の産地で、豊富に収穫される米は鳴瀬川を下り石巻港まで運ばれ、そこから船で江戸や大阪まで運ばれていたとそうです。
今でもササニシキの本場で、私が酒蔵訪問で車で運転していた時も周囲の風景は田んぼばかり。

そんな米の産地という事ですから、現在3社の酒蔵が稼働しています。
その中の1社で、かつてこの地を支配していた大崎氏にゆかりがあるというある酒蔵が株式会社中勇酒造店です。

夢幻(むげん) 株式会社中勇酒造店|外観
天上夢幻(てんじょうむげん)、成瀬川(なるせがわ)、という銘柄の酒を醸す株式会社中勇酒造店は1906年(明治39年)に創業した酒造業開始から4代続く蔵です。

酒蔵としての歴史は明治以降ですが、蔵元の中島家は26代続いているとても歴史のある家。
古くは大崎氏に使えていた士族だったそうで、かつて奥州探題が大崎に置かれた際に、中央から来た役人の一人ではないか?といわれているそうです。

この地の士族の多くは「半官半農」で、農業などもしつつ町の公職に就き、町の経済から政治から全部世話をしていたそうです。
中島家は大肝煎(おおきもいり)といわれる、この地に3家あった行政区長の一人。

代々名として当主は中島屋太左衛門と名乗り、江戸期には呉服商、両替商や金貸しを営み、担保物件として田んぼを預かり、借金が返せなかった人の田んぼがますます増えて、あちらこちらに土地が点在してたそうです。

元々は現在、蔵が建っている場所では無く、別の場所で商売をされていたそうですが町が大火で焼けてしまい、現在の場所に移転されたとの事。

写真の方は26代目当主、中島信也蔵元
夢幻(むげん) 株式会社中勇酒造店|中島信也蔵元

蔵が位置する土地には、中勇酒造店、田中酒造店、山和酒造店の3件の酒蔵が歩いて行ける距離に密集。 宮城県内でもっとも酒蔵の密度が濃く、地元の小売店はこの3銘柄あれば商売が出来る、といわれたくらい地元の人々は地元の酒を飲まれているそうです。

なので灘や伏見のナショナルブランドなど置いても全然売れず、同じ宮城県の浦霞や一の蔵の酒でさえ見向きもされないとか。
この土地に住む人々は、地元の地酒しか受け入れられないそうです。
その為、現在でも中勇酒造が造る酒の95%が地元で消費されいます。

ただ地元市場中心と言いながら造られている酒の9割以上は特定名称酒。
7年連続で鑑評会で金賞受賞されるなど、今では一番良く売れている商品が夢幻(むげん) 純米酒。

逆にレギュラー酒は現在ではモロミ1本を仕込み規模まで縮小しているそうですが、蔵元は地元に育てられているという意識を強く持たれており、地元にレギュラー酒を求める人がいる以上あえてそれを止めるような事はしない、との事。

ちゃんと高品質な純米酒も造っているので、純米を求める方には純米を飲んでいただき、レギュラーが好きな方にはレギュラーを飲んでもらいたいという考え方で酒を造られています。

写真は仕込み部屋です。 夢幻(むげん) 株式会社中勇酒造店|仕込み部屋
昔は南部杜氏が来て酒を造っていたそうですが現在は社員杜氏。(南部杜氏の県外杜氏)

宮城の酒は端麗辛口に近い食中酒が多いので、ウチは食前酒に近い味がある酒が目標との事。
端麗辛口に旨味、味わい、深み、幅を加え、味わいがある究極の旨口酒を目指されているそうです。

生産する酒の全量をビン貯蔵。すべてお客様にいく直前まで冷蔵庫で保管。
冷蔵庫は5カ所ありますが、もういっぱいいっぱいで、酒母室は夏場は冷蔵庫に変わるなど、どの蔵も冷蔵庫のスペース確保には苦労されているようですね。

夢幻(むげん) 株式会社中勇酒造店|記念撮影
最後に訪問の証の記念撮影。変わった形状の煙突に驚く吾郎。

中勇酒造店の中島信也蔵元は、同じ通りを100メートルほど離れた場所にある田中酒造店(真鶴)の蔵元でもあります。
また、かつて宮城の県北に天賞酒造という酒蔵が存在したのですが、東日本大震災の際に倒壊した酒蔵に蔵を譲り廃業されたそうです。しかし天賞という商標権だけは残っていたため、天賞を存続したいと願う蔵の後継者が、中勇酒造店の設備と蔵人を借りて天賞を造り続けているとの事。

私も酒蔵経営をしたいと考えている一人ですが、「蔵を頼にたい」という話など一度もありません。
人徳がある方のところには人が集まってくるのだと思いました。




商品の購入・質問は天上夢幻(てんじょうむげん)|株式会社中勇酒造店へお問い合せ下さい。
TEL:0229-63-2018天上夢幻、成瀬川醸造元株式会社中勇酒造店
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。 宮城県加美郡加美町の酒蔵。天上夢幻(てんじょうむげん)という名の日本酒を造る株式会社中勇酒造店の訪問記。  

Posted by 佐野 吾郎 at 13:00TrackBack(0)宮城県の酒蔵巡り