2013年06月04日

萬代(ばんだい)|株式会社小林酒造本店

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 329蔵目

萬代(ばんだい)|株式会社小林酒造本店

福岡県糟屋郡宇美町宇美2丁目11番1号
蔵元のサイト:http://sakebandai.com/


酒名:萬代(ばんだい)、博多の森 ■創業:寛政4年(1792年)8代 ■杜氏:社員杜氏(諸派) ■仕込み水:中硬水 ■訪問日:2013/03/25

代表銘柄
超辛口純米酒 博多の森
上撰 萬代
麦焼酎 はかた美人

萬代(ばんだい) 株式会社小林酒造本店|外観
萬代(ばんだい)という名の酒を造る株式会社小林酒造本店は寛政4年(1792年)に初代小林作五郎氏が創業した現在で8代続く酒蔵。

この地の地主の家に生まれた作五郎氏は「五郎」と名がつくことから、恐らく長男で無かったのでしょう。本人の希望で酒造業を選び本家から分家する形で酒造業を創業したと言い伝えられています。

創業当初は「早見川」という酒名で酒を造られていたそうですが、天保5年に2代目の勝平氏が老亀によく似た石を手に入れ、その時に現在の酒名となる「萬代(ばんだい)」が誕生します。

写真は蔵の屋上から撮影。
萬代(ばんだい) 株式会社小林酒造本店|外観_ミニチュア

萬代(ばんだい) 株式会社小林酒造本店|外観_ミニチュア

萬代(ばんだい) 株式会社小林酒造本店|外観_ミニチュア
蔵を見下ろすシチュエーションで撮影出来る蔵は早々に無いので、ミニチュアフィルターで加工してみました。

写真は釜場。
萬代(ばんだい) 株式会社小林酒造本店|釜場
仕込水は蔵から直線で3〜4キロ離れた山の麓から採取される三郡山系の伏流水(中硬水)を使用。水源から蔵までパイプが引かれているとの事。

原料米は糸島産の山田錦をはじめ、ヒノヒカリ、夢一献などを使用。
日本酒の製造は毎年9月からスタートし、「にごり搾り」という酒を製造。10月の上旬に造りは一旦終了し、その後は新しい芋が収穫されてくる事から11月の末までいも焼酎の製造が行われます。

そして11月の末から4月まで再び日本酒の製造を開始。日本酒の製造が終わると次は麦焼酎・米焼酎の製造が始まり、それが終わると梅酒や奈良漬の製造が7月頃まで続くという、ほぼ1年中なんらかの製造が行われているとの事です。

写真は麹室。
萬代(ばんだい) 株式会社小林酒造本店|麹室
私が訪問した6月は塩麹が造られていました。

萬代(ばんだい) 株式会社小林酒造本店|仕込み部屋
現在の主力商品の萬代(ばんだい) は、大半が福岡市の近郊で消費されている日常酒。
量的には一番多く製造されているとの事。

次に力を入れている酒が「博多の森 純米酒」。
この酒は全国各地から博多を訪れるお客様に対し、福岡の地酒を飲んでいただく為には、福岡にちなんだ酒名である方がイメージが湧くだろうと、福岡で国体が開催された歳のメイン会場となった博多の森の競技場から命名。

辛口だけど味があり、九州の地酒の特徴も備えている酒。
毎年2割以上の伸びで出荷が増えているとのこと。

写真は吟醸の仕込み部屋。
萬代(ばんだい) 株式会社小林酒造本店|吟醸仕込み部屋

写真は槽場。
萬代(ばんだい) 株式会社小林酒造本店|槽場
大吟醸、純米大吟醸など高級酒を搾るときこの槽を使用。
使用回数は年に4〜5回程度との事。

最後に訪問の証の記念撮影。
萬代(ばんだい) 株式会社小林酒造本店|記念撮影
昔ながらの仕込み部屋を支える、磨きこまれたツヤのある柱に驚く吾郎。

福岡の酒は全国的にもやや甘口の酒が特徴。
お酒に限らず醤油をはじめ料理全体が少し甘く、甘い酒が好まれる地域。

そんな中、小林酒造では辛口ながらも、九州の特徴を持ち合わせた旨味のある酒を造られているとの事。
福岡に行かれた際に是非、お試しいただきたい銘柄です。




商品の購入・質問は萬代(ばんだい)|株式会社小林酒造本店へお問い合せ下さい。
TEL:092-932-0001萬代、博多の森醸造元株式会社小林酒造本店
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。   

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2013年06月04日

西乃蔵、博多小女郎|光酒造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 328蔵目

西乃蔵、博多小女郎|光酒造株式会社

福岡県糟屋郡粕屋町長者原95-3
蔵元のサイト:http://www.hakata-hikari.co.jp/


酒名:西乃蔵(にしのくら)、博多小女郎(はかたこじょろう) ■創業:昭和34年(1959年)3代 ■杜氏:社員杜氏(諸派) ■仕込み水:弱硬水 ■訪問日:2013/06/04

代表銘柄
西乃蔵 純米酒
夢想仙楽 長期樫樽貯蔵 麦焼酎
博多小女郎 麦焼酎

西乃蔵、博多小女郎 光酒造株式会社|外観
光酒造株式会社は昭和34年に光安 直(なおし)氏が創業した現在で2代続く酒蔵です。

創業者の光安 直(なおし)氏は大正11年に創業した光安酒造の生まれで当時、光安酒造では清酒と焼酎を製造していました。

直氏は長男では無かった為、第二次世界大戦の際に出征したものの戦後に復員。
実家の酒蔵に戻ってきて酒造業を手伝ようになます。

そして昭和34年に焼酎部門を分離独立し光酒造が誕生。
兄は光安酒造を継ぎ清酒を製造。兄弟で日本酒と焼酎を分担し、それぞれの会社で酒造りが行われるようになります。

当時は九州といえども清酒が中心に飲まれており、焼酎は付け足し程度で製造している程度だったそうです。
しかし炭鉱の町として栄えるうちに肉体労働者が焼酎を飲むようになり焼酎部門の業績が向上。
光焼酎、オオガメなど様々な銘柄の焼酎を製造されていたそうですが、昭和40年頃から炭鉱が廃れるようになります。

そんな時に博多小女郎という銘柄の焼酎を発売。
当時は商品名に「女郎」という文字が入るため、受け入れられるかどうか分からなかったのですが、販売を開始したところ大ヒットし今日に至る主力銘柄になります。

更に昭和50年頃に起きた第一次焼酎ブームも手伝い光酒造は順調に成長しますが、対照的に本家の清酒部門の光安酒造は時代の波に乗れず、その後廃業する事になります。

本家廃業後、平成元年に清酒免許を取得し日本酒の製造を開始。
酒名「西乃蔵」が誕生します。

写真は仕込み部屋。
西乃蔵、博多小女郎 光酒造株式会社|仕込み部屋
私が訪問した6月は焼酎の仕込みが行われていました。

焼酎の醪です。どう見ても日本酒とは異なりますね。
西乃蔵、博多小女郎 光酒造株式会社|焼酎の仕込み

写真は焼酎の麹を製造する製麹ドラム。
西乃蔵、博多小女郎 光酒造株式会社|製麹ドラム
日本酒蔵では見慣れない設備が並んでいるので珍しくて撮影。

写真は減圧蒸留機です。
西乃蔵、博多小女郎 光酒造株式会社|蒸留器
シーズン的に日本酒の製造は行われていおらず、代わりに焼酎の製造が行われていた為、焼酎の製造工程の撮影が中心になりました。

焼酎はほぼ一年中製造しているそうですが、日本酒は1月から3月の間に製造されているとの事。

日本酒造りに用いる原料米は地元の米どころ、筑後産が中心。 全量、弱硬水の地下水を使用。

光酒造は平成に入って端麗辛口が流行っていた時代に日本酒の製造を始めた事から、福岡酒には珍しく淡麗辛口路線の日本酒を造られているそうです。

訪問の証の記念撮影。高さ10メートルある大型の貯蔵タンクに驚く吾郎。
西乃蔵、博多小女郎 光酒造株式会社|記念撮影
屋外に大型タンクを置いている蔵は多いのですが、室内にこのクラスの大きさのタンクを置かれている蔵はそうそう見ません。
アルコール度数43度の原酒の焼酎が保存されているとの事です。

蔵元の話によると、福岡では焼酎が辛い酒として飲まれていてるため、日本酒には辛さを求める必要がなく、逆に焼酎には無い味が乗った少し甘く感じる酒が好まれるそうです。
西乃蔵はそんな福岡市場において少し異色の日本酒かもしれません。
今後の日本酒の活躍に期待します。




商品の購入・質問は西乃蔵、博多小女郎|光酒造株式会社へお問い合せ下さい。
TEL:092-938-2458西乃蔵、博多小女郎醸造元光酒造株式会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。   

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2013年06月03日

亀の尾(かめのお)|合資会社伊豆本店

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 327蔵目

亀の尾(かめのお)|合資会社伊豆本店

福岡県宗像市武丸1060
蔵元のサイト:http://www.kamenoo.com/


酒名:亀の尾(かめのお)、博多物語 ■創業:享保2年(1717年)11代 ■杜氏:久留米杜氏 ■仕込み水:弱硬水 ■訪問日:2013/03/25

代表銘柄
特撰 亀の尾
亀の尾 黄金の雫
吟醸 博多物語

亀の尾(かめのお) 合資会社伊豆本店|蔵の外観
合資会社伊豆本店は享保2年(1717年)に創業した現在で11代続く酒蔵です。

この地の大地主であった創業者は、豊富に得られる米の運用手段の1つとして、赤間宿にて酒造業を開始。しかし水に恵まれなかったのか、その後良い水を求めて現在の場所に移転してこられたとの事。

元々は伊豆半島から来られたそうで、出身地を忘れないための伊豆の性を名乗られた言い伝えられています。
これは推測ですが、かつては士族であり主君に仕えて伊豆からこの地に来て土地を与えられたのではないかと考えられています。

大正時代以前は富士山の絵を書いて漢字の一(八一)と書き、「にほんいち」と読ませる酒を造られていたそうです。
その当時は大変景気が良かったのか、新潟杜氏、灘の杜氏、地元の杜氏の3人に杜氏が来て、それぞれを競わせて酒を造っていたそうです。
その時に、新潟杜氏が持ってきた米「亀の尾」で造る酒が一番出来が良かった事から、大正8年に「亀の尾」という酒名が誕生。伊豆本店の主力銘柄になります。

写真は伊豆本店が大正時代に販売されていた「亀の尾」のラベルのコピー。
亀の尾(かめのお) 合資会社伊豆本店|昔のラベル
商標登録が行われたた事が記載されています。

蔵元の話によると大正時代に「亀の尾」で商標登録をされていたとの事ですが、亀の尾という米は背が高く倒れやすいことから量が取れる米ではなく、第2次大戦の米不足とともに生産性が低い米などの理由で姿を消します。
そして第2次対戦以降、伊豆本店が商標の更新をしなかった事から権利が失効してしまったとの事。

時代は流れ昭和後期。
新潟の久須美酒造が亀の尾を復活させて酒を造った事が話題となり、日本酒ブームも手伝って亀の尾が注目されるようになります。亀の尾サミットというイベントが全国各地で開催され、伊豆本店の蔵元もこのイベントに参加。
自社でも亀の尾を復活させようと、約200粒の種籾を手に入れ栽培を開始。
5年かけて酒造りが可能な30俵まで米を増やす事が出来たので醸造を開始。
出来上がった酒は福岡県の品評会で金賞(5番目以内)を受賞されたそうです。

現在は亀の尾を復活させた久須美酒造が商標権を持っています。

亀の尾(かめのお) 合資会社伊豆本店|看板

杉玉にいる亀のしっぽは本物の亀の尾の稲で作られています。
亀の尾(かめのお) 合資会社伊豆本店|杉玉

亀の尾(かめのお) 合資会社伊豆本店|亀の尾の記事

亀の尾(かめのお) 合資会社伊豆本店|琺瑯タンク
現在の伊豆本店ですが、原料米には亀の尾の他に山田錦を使用。

今年から福岡県が新たに開発した酒造好適米「寿限無(じゅげむ)」という米を使用。
寿限無は山田錦と夢一献を掛けあわせた品種で、山田錦の醸造に優れた特性を持つ一方、背丈が低く台風でも倒れにくいため、安定した米の確保が行われるのが特徴。
現在、寿限無を用いて酒造りをしている蔵は全国でまだ4蔵しかないとの事。

亀の尾(かめのお) 合資会社伊豆本店|槽場
毎年11月の下旬から酒造りを開始し2月上旬には甑倒し。
製造された酒は2月の蔵開きを待って販売されているとの事。

蔵開きは大盛況のようで、かなりのお酒が蔵開きの時に売れてしまうとか。

また蔵元は、福岡で有名な「椒房庵」「茅乃舎(かやのや)」を経営する、株式会社 久原本家の社長とは親戚だそうで、蔵は県外には積極的に進出されていませんが地元に根強いファンが多いとの事。

亀の尾(かめのお) 合資会社伊豆本店|商品

訪問の証の記念撮影。
亀の尾(かめのお) 合資会社伊豆本店|記念撮影
蔵のシンボル、煙突の前で撮影。

一般的なレンガは長方形ですが、それだと正方形の煙突は出来ても六角形は無理です。 そこで角が120度の特注のレンガを用い煙突が作られているとの事。 六角形の煙突に驚く吾郎でした。




商品の購入・質問は亀の尾(かめのお)|合資会社伊豆本店へお問い合せ下さい。
TEL:0940-32-3001亀の尾、博多物語醸造元合資会社伊豆本店
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。   

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2013年06月03日

楢の露(ならのつゆ)|勝屋酒造合名会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 326蔵目

楢の露(ならのつゆ)|勝屋酒造合名会社

福岡県宗像市赤間4丁目1-10

蔵元のサイト:http://www.katsuyashuzo.com/


酒名:楢の露(ならのつゆ)、沖ノ島(おきのしま)、赤間宿(あかましゅ) ■創業:寛政2年(1790年)7代 ■杜氏:蔵元杜氏(諸派) ■仕込み水:城山伏流水(中硬水) ■訪問日:2013/06/3

代表銘柄
本醸造 沖ノ島
特別純米 赤間宿
楢の露 上撰

福岡市と北九州市の中間に位置する宗像(むなかた)市。

市の中心部となる赤間はかつては唐津街道の宿場町で明治から大正時代にかけて大変栄えたそうです。
赤間駅から少し歩くと今でも宿場町の面影を残す古い建物が並んでいます。
そんな昔ながらの建物の1つが寛政2年創業の7代続く酒蔵、勝屋酒造合名会社株式会社です。 楢の露(ならのつゆ) 勝屋酒造合名会社|外観

日本酒、楢の露(ならのつゆ)を造る勝屋酒造合名会社は1790年(寛政2年)に、この地の大地主であった山本善一氏が創業した現在で7代続く酒蔵です。

創業当時は屋号は「勝屋」を名乗り、現在の赤間宿ではなく戦国大名宗像氏の居城があった城山の中腹にある登山口付近で酒造りをされていたそうです。

しかし明治6年に起きた筑前竹槍一揆にて蔵に暴徒が乱入。
蔵が打ち壊された事から赤間宿に来て、この地にあった蔵を買い取り現在の場所で酒造業を再開されたそうです。

楢の露(ならのつゆ) 勝屋酒造合名会社|問屋場跡

明治時代の赤間宿は賑やかだったそうで赤間宿だけで3件の造り酒屋が存在。
江戸時代は参勤交代の宿場町だった事から人も多かったでしょうし、お酒の需要もあったはずなので、需要に応じた数の酒が造られていたようです。

戦後には宗像市だけでも11件の造り酒屋があったそうです。
しかし現在でも酒造りを続けているのは2社のみ。

赤間宿に移転してきた勝屋は、宗像大社のご新酒を造るようになります。
宗像大社のご神紋が楢の葉っぱである事から、大社から「楢」の字をいただき「楢の露」の酒名が誕生します。
もう一つの酒名「沖ノ島」も宗像大社からいただいたとの事。

楢の露(ならのつゆ) 勝屋酒造合名会社|商品

楢の露(ならのつゆ) 勝屋酒造合名会社|売店

楢の露(ならのつゆ) 勝屋酒造合名会社|電話十番

ご神酒からスタートした蔵という事もあり、現在蔵で一番良く売れている酒が普通酒である上撰 楢の露。それに続いて本醸造 沖ノ島が売れているとの事。
特別純米 赤間宿は製造量的には多くないものの、造った分はすぐに全部売れてしまう人気の酒。

写真の方は専務・杜氏を務める川嶋利之さん。
楢の露(ならのつゆ) 勝屋酒造合名会社|川嶋杜氏

かつては糸島から芥屋(けや)杜氏が来て酒を造っていたそうですが、現在は川嶋利之さんが自ら杜氏となり酒造りをされています。

原料米は主に夢一献、あとは糸島産の山田錦、地元宗像で契約栽培している山田錦を使用。
仕込水は城山伏流水(中硬水)を使用。

酒造は毎年11月頃から開始し1月には甑倒しで、2月中には皆造してしまうとの事。
一週間で2本くらいのペースで仕込みを行い年間製造数は約200石。

九州は冬の気温が高いため仕込み温度が東北の蔵と比べたらどうしても高めになります。
自然環境には合わせざる得ない為、発酵温度が高い事を活かした味わいが強い酒を造られているとの事。

味が乗った酒というのは九州の食材との相性もよく、特に福岡の人は甘い食べ物を好まれるとか。
江戸時代長崎から入ってくる砂糖は高級食材であり、長崎に近い地域は砂糖を多く使うことが出来ました。そういう背景から長崎、佐賀、福岡は甘い味付けの料理が多くなったそうです。
自分の地域の料理は美味しいと自慢するときには「ウチは長崎にちかか」と言う事も有り、長崎に近いのでその分砂糖を沢山使っているから美味しい、という意味から来ているとの事。

写真は釜場。
楢の露(ならのつゆ) 勝屋酒造合名会社|釜場

この地域の人々は甘い料理が好きだったのでそれに負けない酒となると味が乗った酒。
端麗で綺麗なお酒だとこの地の食、特に玄海の魚には合わないそうです。
なので味をしっかり出すした酒を製造されているとの事。

同時に日本酒に含まれる生理活性物質の多さにも着目されていて、日本酒には約600〜700種類の生理活性物質が含まれているそうです。

日本酒の酵母はアルコールが17度以上ある過酷な環境でも生きることが出来ますが、そんなタフな酵母が生成する生理活性物質が豊富に含まれている食品は早々ありません。

日本酒には身体をメンテナンスする成分が沢山含まれているので、そういう点からも日本酒の良さを伝えるべく、蔵開放や酒蔵コンサートを開催したの時などに「お酒の学校」を開催。
地元消費者の方に健康面からも日本酒の良さを伝え、地域の人から愛される酒蔵として、細く長く酒造りを続けていきたいとの事。

楢の露(ならのつゆ) 勝屋酒造合名会社|琺瑯タンク

楢の露(ならのつゆ) 勝屋酒造合名会社|井戸

訪問の証の記念撮影。 楢の露(ならのつゆ) 勝屋酒造合名会社|記念撮影
本醸造 沖ノ島に感心する吾郎。

勝屋酒造は地元から根強い人気があり、酒蔵コンサートやお酒の学校、米作り・酒造り体験コースなど様々なイベントを実施されているとても地元に開放的な酒蔵。

また杜氏さんは日本酒が生成する生理活性物質についてもとても詳しく、とても興味深い話を聞くことが出来ます。
駅からも近いので電車で蔵訪問に行けるため試飲なども可能。イベンんなどト開催される際にはぜひとも訪問をおすすめする蔵元です。




商品の購入・質問は楢の露(ならのつゆ)|勝屋酒造合名会社社へお問い合せ下さい。
TEL:0940-32-3010楢の露(ならのつゆ)、沖ノ島、赤間宿(あかましゅ)醸造元勝屋酒造合名会社株式会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。  

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2012年06月13日

菊美人(きくびじん)|菊美人酒造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 264蔵目

菊美人(きくびじん)|菊美人酒造株式会社

福岡県みやま市瀬高町上庄176−2
蔵元のサイト:http://www.kikubijin.co.jp/


酒名:菊美人(きくびじん)、九州男児 ■創業:1735年(享保20年)9代 ■杜氏:柳川杜氏 ■仕込み水: ■訪問日:2012/6/13

代表銘柄
菊美人 特別純米酒
菊美人 純米吟醸酒
九州男児 芳醇辛口 本醸造

福岡県南部、有明海に面するみやま市。 矢部川の河口に位置するこの地域は、筑後川下流の城島と同様に水運の便がよかった事からかつては酒処として知られ、矢部川沿いには沢山の酒蔵が並んでいたそうです。

柳川の詩人「北原白秋」も、かつてこの地にあった北原酒造の出身です。 白秋が残した詩の中には酒蔵を関するものがいくつかあります。

そのみやま市にて、北原白秋とゆかりがある酒蔵が菊美人酒造株式会社です。 菊美人酒造株式会社_外観
日本酒、菊美人を造る菊美人酒造株式会社は1735年(享保20年)から続く酒蔵です。

蔵のルーツですが、鹿児島からこの地にやってきた問屋のようで、屋号は「薩摩屋」と名乗り、最初は米等の取引をこの地で行なっていたようですが、その後に酒造業を開始。

代々、武左衛門(ぶざえもん)を襲名してきた事から、創業者の名前は武左衛門ではないかと伝えられています。
創業は1735年で現在9代目との言われていますが、それは解っている範囲であり、もっと古くから続いているとのこと。

蔵が位置する瀬高町は矢部川の河口に位置する為、川を下れば直ぐに有明海。しかも有明海の前方には長崎の普賢岳が現れます。
その普賢岳をぐるっと回ると、長崎の丸山の遊郭や更には五島列島まで行ける事から、この地は海運で貿易を行うにはとても便利が良い土地でした。

菊美人酒造株式会社_地図

この地を治めていた立花藩は、自国で収穫した米で造った酒を自国の中で消費するよりも、外で売って外貨を稼いだほうが経済が潤うことから、外で稼いでくる事を奨励。

そういう政策も加わってこの地に酒蔵の数は増えていきます。
幕末の明治維新の頃、坂本龍馬達が長崎の丸山の遊郭で飲んでいた酒は、この地で造られ船で長崎に運ばれてきた酒だったのです。
ひょっとしたら坂本龍馬はこの蔵の酒を飲んでいたかもしれません。

写真の方は9代目蔵元江崎俊介さん。
菊美人酒造株式会社_江崎俊介蔵元
蔵元の話によると、かつては市瀬高には実に沢山の酒蔵があったとの事。
いま在蔵の周囲に建っている住宅地はかつては全て酒蔵であり、幼い頃には20蔵近く酒蔵が建っていたそうです。

しかし現在残っているのはみやま市で2蔵のみ。瀬高町では菊美人一社になりました。

写真は北原白秋が残した書。
菊美人酒造株式会社_北原白秋直筆の書
菊美人酒造は北原白秋とゆかりのある酒蔵です。
6代目蔵元は北原白秋の実の姉をお嫁さんとして迎えられていて、白秋とは義理の弟の間柄。

北原白秋は柳川の造り酒屋の生まれで、よくある酒蔵同士の結婚だったようです。

白秋が生まれた酒蔵は北原酒造といい、江戸時代には柳川藩御用達で、とても大きな蔵だったそうですが、明治34年(1897年)に起きた柳川の大火(沖端の大火)によって焼失。
その後、酒蔵は再興したのですが商売が軌道に乗らず、白秋が26歳の時に北原家は一族が離散し柳川から出ていきます。

当時、東京で生活していた若い白秋にとって厳しかった時代、菊美人酒造の蔵元が色々と世話をされていたようで、白秋が2度柳川に戻ってこられた際には菊美人酒造に寄って、いくつも扁額(へんがく)を残されたそうです。

写真は蔵の主力商品「菊美人」。
菊美人酒造株式会社_商品
ラベルに描かれている「菊美人」の文字も、白秋がこの蔵に残したものです。
福岡らしい醇口の酒。

写真は麹室、黒く塗られているのは柿渋。
菊美人酒造株式会社_麹室の中

ご覧の通りレンガ造りの年期ある室。
菊美人酒造株式会社_麹室のドア
注目はドアの部分の厚さ。
最近の麹室だと断熱材が優れている為、麹室の壁はこんなに厚さはありません。

しかし昔の麹室というのは、断熱材に「モミガラ」が使用されていたそうでで、この厚い壁の中にはぎっしりモミガラが詰まっているとの事。

写真は仕込み部屋。
菊美人酒造株式会社_仕込み部屋 菊美人酒造では酒造りに用いる米は福岡の糸島産の山田錦、筑後地方の夢一献。
酒蔵の傍らを流れる矢部川の伏流水を使用し柳川杜氏が酒が造られています。

この地は農業の国で、汗を流して働く人が多く、肉体労働すると甘味も塩味も欲しくなります。
柳川の特産品であるウナギ飯も甘い醤油で味付けされており、そういった味付けには淡麗な酒よりも濃醇な酒の方が良くあいます。

そういう食の背景からこの地で造られる酒は飲みごたえがある醇口の酒が特徴で、蔵のコンセプトも福岡らしい旨味の酒。

造る酒の9割が地元消費であり、最近では海外へに輸出(アジア方面)が伸びているとの事ですが、まだまだ地元が主体の酒。
その為、地元の食に調和した酒を造られているとの事。

写真は蔵に置かれていた使い込まれた木桶。
菊美人酒造株式会社_木桶
この木桶は仕込みタンクを冷却する「ジャケット代わり」に用いられているその事。

この木桶の中に、小型の仕込みタンクを入れて、木桶に氷が入った冷水を入れてることで仕込みタンクを冷やすとのこと。

写真は槽場です。
菊美人酒造株式会社_槽場
菊美人酒造には3機の槽があり、かつてはヤブタ式の自動圧搾機を用いていたそうですが、今は全量を槽で搾られているとの事。

訪問の証の記念撮影。
菊美人酒造株式会社_記念撮影
北原白秋の残した書に驚く吾郎。

蔵元は純米で特に「ぬる燗」にして美味しい酒を造って行きたいとの事。
純米にこだわる理由として、最近だと海外市場で日本酒を販売する際に本醸造の説明がしにくいとか。それと純米酒だと各県との違いが現れ、面白さを表現しやすい。

また九州は韓国や中国にとても近く、ソウルには一日9便も飛行機が飛んでいて、九州にはアジアを注目している酒蔵が多いとのこと。
菊美人もその一社で、9代目蔵元は頻繁に中国や韓国に行かれて、新たなる日本酒市場開拓を開拓していきたいとの事です。
今後の発展を期待する酒蔵です。




商品の購入・質問は菊美人(きくびじん)|菊美人酒造株式会社へお問い合せ下さい。
TEL:0944-62-3001菊美人、九州男児醸造元菊美人酒造株式会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。   

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