2011年11月28日

蒼斗七星(あおとしちせい)|青砥酒造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 229蔵目

蒼斗七星(あおとしちせい)|青砥酒造株式会社

島根県安来市広瀬町布部1164−4
酒名:蒼斗七星(あおとしちせい)、ほろ酔 ■創業:1895年(明治28年)4代 ■杜氏:蔵元杜氏(諸派) ■仕込み水:超軟水、中硬水 ■訪問日:2011/11/28

代表銘柄
蒼斗七星 純米吟醸58 木槽搾り
蒼斗七星 大吟醸35 木槽搾り
ほろ酔 辛口

青砥(あおと)酒造株式会社は明治28年、青砥 幸之助氏によって創業した現在4代続く酒蔵です。
蒼斗七星(あおとしちせい) 青砥酒造株式会社|外観
島根県の大東町というところで造り酒屋の家に生まれた青砥 幸之助氏は、長男ではなかったので後を継ぐ事が出来ず、当時山陰地方で大きな産業であった「たたら製鉄」で働く為、この地に来ます。

蔵が位置する広瀬町布部は、かつて製鉄産業によって栄え、酒屋、醤油屋、旅館、馬車屋、芝居小屋などが複数立ち並び、大変賑わっていた宿場街だったそうです。

資料によると、たたら製鉄の最盛期は江戸後期から明治初期にかけてで、明治15年頃から全国各地に近代的な製鉄所が現れます。
そのような時代背景から、幸之助氏が家から独立して、たたら製鉄で働き始めた時期というのは、最盛期の終わり頃ではないかと思われます。

やがて最盛期を過ぎ、今後の身の振り方を考えた際、実家が造り酒屋であり、酒造免許の自由化によって新規参入がしやすかった事から、製鉄業で蓄えた資金を本出に明治28年に酒造業に転身されたのではないかと思われます。

現在、蔵の周囲は当時の面影をほとんど残しませんが、酒蔵を1件残しこの一角には家が多く小学校もあることから、かつてはこの地域の中心的な場所であった事が伺えます。

また蔵の向かいに立つ山は「布部要害山」といい、戦国時代、毛利氏、尼子氏の激突の地となった場所だそうです。
今でも戦いが行われた月に、この山を登って両軍の戦死者の霊を慰める祭りが毎年行われているそうです。

蔵に戻って来るまでは東京でモデルの仕事をされていたという青砥酒造の後継者、青砥(あおと) 秀樹さん。
蒼斗七星(あおとしちせい) 青砥酒造株式会社|蔵元
蒼斗七星(あおとしちせい) 青砥酒造株式会社|秀樹さん
秀樹さんは以前は東京で芸能関係(モデル)の仕事をされていたそうですが、モデル業だけで食べていくのが大変だったそうで飲食関係でバイトをされます。

そしてバーテンダーのバイトをしていた時に日本酒と出会います。
日本酒の凄さに気が付き、そこで始めて日本酒に興味を持たれるようになったそうです。
実家が酒蔵ということで、自分でも酒を造ってみたいと考えるようになり2009年に実家に戻ってきて家業の造り酒屋の仕事を始められます。

秀樹さんは、自らを「無駄にアツい」と言われるくらい熱い性格だそうで、酒造りの工程をひと通り見て感動されます。

その中でも一番心に残った光景が、ブルーの琺瑯タンクの中に水を張って麹を入れた瞬間。
濃いブルーを背景にキラキラと輝く麹の粒が星のように見え、小さな宇宙を感じられたそうです。
その光景が心に残り、後に蒼斗七星(あおとしちせい)という酒名が誕生します。

写真が秀樹さんがブランディングした酒「蒼斗七星」。
蒼斗七星(あおとしちせい) 青砥酒造株式会社|商品
蒼斗七星(あおとしちせい) 青砥酒造株式会社|商品
現在、青砥酒造には過去から続く地元向けの商品「ほろ酔い」という銘柄と、秀樹さんが考案した「蒼斗七星」という2つの銘柄があります。

蒼斗七星の酒名の由来ですが、秀樹さんは青砥(あおと)という苗字の響きが好きだったので、それに酒名に入れたいと思い、蒼斗という当て字を考えます。
かつて旅人は北斗七星を見て進む方向を決めていたそうですが、青砥酒造が進む道しるべとなるよう、北斗七星の北斗の部分を蒼斗に置き換え「蒼斗七星」と命名を考案。
星と星が継って星座になるように、この酒がきっかけに人がつながるようにという思いも有るそうです。

蒼斗七星で用いられている米は、島根県産の仁多で栽培されている佐香錦と山田錦の二種類。
味のコンセプトは地元向けの商品「ほろよい」と同様、「米の旨みを出す」という路線を継承しつつ「無濾過・無加水」で仕上げ、同時に旨味が多すぎると飲みにくいのでキレのある酒に仕上げること。

今まで造って来た伝統的な酒を、コンセプトから見直しながら、試行錯誤している最中。
テーブルに置いて食事に合わせられる酒。
お客様の生活習慣・今の食文化に合わせられる酒を、伝統の味を残しながら提案していきたい、と話してくれました。

写真は釜場です。 蒼斗七星(あおとしちせい) 青砥酒造株式会社|釜場

仕込み部屋 蒼斗七星(あおとしちせい) 青砥酒造株式会社|仕込み部屋

写真は槽場です。
蒼斗七星(あおとしちせい) 青砥酒造株式会社|槽場 写真の薮田式圧搾機の他に、昔ながらの木で出来た槽もあります。
蒼斗七星は木で出来た槽(ふね)を用いて、弱い圧力にて搾られます。

訪問の証の記念撮影は蒼斗七星をしぼる槽(ふね)の前で撮影。
蒼斗七星(あおとしちせい) 青砥酒造株式会社|記念撮影 蒼斗七星は今年から県外に売り始めたばかりという島根県の新進気鋭の新ブランド。
今後の活躍を期待するのと同時に、立派な槽を見て驚く吾郎でした。




商品の購入・質問は蒼斗七星(あおとしちせい)|青砥酒造株式会社へお問い合せ下さい。
TEL:0854-36-0006蒼斗七星、ほろ酔醸造元青砥酒造株式会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。   

Posted by 佐野 吾郎 at 12:30TrackBack(0)島根県の酒蔵巡り

2011年11月28日

月山(がっさん)|吉田酒造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 228蔵目

月山(がっさん)|吉田酒造株式会社

島根県安来市広瀬町広瀬1216
酒名:月山(がっさん) ■創業:1826年(文政9年)5代(吉田家以降) ■杜氏:出雲杜氏 ■仕込み水:超軟水 ■訪問日:2011/11/28

代表銘柄
月山 純米吟醸
月山 芳醇辛口純米
月山 特別純米

松江市街から車で約40分。
戦国時代、山陰地方を統治していた尼子氏の居城「月山富田城」の麓、安来市広瀬町にて文政9年に広瀬藩の藩公特許を得て、酒造業を行ったと言われる酒蔵が吉田酒造株式会社です。
月山(がっさん) 吉田酒造株式会社|外観
この蔵の歴史は長く、広瀬藩より免許を得た文政9年(1826年)。広瀬藩の家臣をしていたという家の流れを汲む鈴木家が創業し、江戸末期に吉田清兵衛氏が蔵を引き継ぐという形で現在に至ります。
現在の5代目というのは、吉田家以降となります。

藩へ謙譲する特別酒が「月山」という酒名だった事から、常に最高の酒を多くの方々に呑んで頂きたいという思いから「月山」が蔵の主力銘柄となります。

写真の山の山頂に、戦国時代に尼子氏が築いた難攻不落の名山と言われた月山富田城が建っていたそうです。
月山(がっさん) 吉田酒造株式会社|月山富田城跡
見た目から山が急斜面である事がわかります。攻めるのは大変だった事が想像出来ます。
江戸時代に入ると松江藩の支藩である広瀬藩の居城となります。 しかし場所が不便であった事と戦国の時代が終わった事から、その役割を終え廃城となります。現在はわずかな石垣のみを残し、国の史跡に指定されています。

松江藩の7代藩主、松平 治郷(まつだいら はるさと)は、江戸時代の代表的茶人の一人だそうで、「不昧流(ふまいりゅう)」という茶道を創り上げます。
その不昧流茶道の最高の水が、蔵から1キロ離れた場所にある「お茶の水井戸」と呼ばれる超軟水の湧き水。
水量が多く水が綺麗である事から、この水をパイプで蔵まで引き酒造りに使用。

山の手前に見える建物が蔵元酒遊の茶室。
桜が綺麗な春と秋の紅葉と月が綺麗な秋、地元の方を招いて茶会をひらかれているそうです。

写真の方は吉田酒造の名誉杜氏、田中 義弘さん(出雲杜氏)。
月山(がっさん) 吉田酒造株式会社|田中義弘名誉杜氏
昭和37年より吉田酒造で酒造りを続け、2008年まで出雲杜氏組合の会長を務められていたベテラン杜氏です。

写真の方は現杜氏の足立孝一朗さん。名誉杜氏と共に酒造りをされています。
月山(がっさん) 吉田酒造株式会社|足立孝一朗杜氏

写真の方が時期蔵元の吉田 智則さん。
月山(がっさん) 吉田酒造株式会社|吉田智則蔵元
吉田 智則さんは全日空商事という会社で飛行機などを販売された後、オーストラリアに2年間遊学し2003年に蔵に入ります。

島根のお酒とはどのような酒なのでしょうか?
智則さんにお尋ねしたところ

「お酒の味はその地域の醤油の味から影響を受けているのでは?という仮説を持っています。中国地方は、はたまり醤油と呼ばれる濃くて甘みがある醤油が用いられています。出雲そばに関しても蕎麦つゆが結構濃かったりします。
そういった物を日本酒を飲むと、それに負けないために濃い目の酒、芳醇な酒を飲まれていたエリアかな?
どうしても濃い醤油に薄い酒だと料理に合わないんですよね。昔は島根の酒は芳醇を通り越して濃醇と言われていました。」、との事です。

写真は釜場、私が訪問した時、丁度蒸しあがってきたタイミングでした。
月山(がっさん) 吉田酒造株式会社|釜場
皆さん、このような白衣と帽子で働いておられました。
月山(がっさん) 吉田酒造株式会社|蒸米
プリプリと弾力のある蒸米が仕上がっていました。


智則さんが蔵に入られた当時、蔵が造っていた酒は「スーパー濃醇」だったそうです。
日本酒の中でも特にガツンと来るくらいの濃醇な酒であった事から、蔵に戻ってくるまで日本酒をあまり飲んだ事が無かった智則さんにとって、自身でも飲むのが辛い酒だったとか。

その月山を東京市場に売って回りますが、ウケる人にはウケるものの、自分が飲みづらいと思っている酒を売り歩きたく無いと考えるようになったそうです。

しかし島根の酒の特徴である「芳醇」を切り離す事も出来ません。 また現在の食生活はソースを使ったり、油を使ったり昔と比べて味付けが濃くなっている為、そういう意味では島根の酒は現在の食生活にも対応しやすいのではないかと考えます。

そこで島根の特徴を生かしつつ、旨味がしっかりありながら後味がさらりと飲める酒。
濃醇から芳醇な酒へと味をシフトさせ、飲んだ瞬間は旨いけど、スパット切れる酒を目指そうという方針で現在頑張っています。

原料米の大半が島根県産の「佐香錦」「五百万石」「神の舞」。県外は兵庫産の山田錦を少し用いている程度との事。

写真は麹室です。
月山(がっさん) 吉田酒造株式会社|麹室

写真は酒母タンクへ蒸米を投入している様子。
月山(がっさん) 吉田酒造株式会社|酒母
通常、酒母タンクは円筒形ですが、吉田酒造では「高温糖化もと」という製法で酒母を造るため、ご覧のような四角い酒母タンクが用いられています。

写真は仕込み部屋。
月山(がっさん) 吉田酒造株式会社|仕込み部屋
泡あり酵母を使用しているため、タンクからこぼれ出すくらいの泡が発生します。
その為、写真のような延長の筒を備えて、泡がこぼれ出すのを防いでいます。

右の奥には櫂入れをしている男性の姿があります。
私が訪問したのは11月28日で、蔵の中は寒い訳ですがタンクトップ姿で働かれています。
こういう光景を見ると酒蔵は男の職場である事を思い起こします。

写真は槽場。
月山(がっさん) 吉田酒造株式会社|槽場
今年の新酒を絞るべく、準備中でした。

最後に訪問の証の記念撮影。
月山(がっさん) 吉田酒造株式会社|記念撮影
写真は、松江藩主に伝わる、不昧流茶道の最高の水「お茶の水井戸」を貯めておくためのタンク。
水の量は豊富で、自噴する水がこのタンクに溜まっていくそうです。
レンガ作りの四角い煙突も映るために、この場所で記念撮影をしました。




商品の購入・質問は月山(がっさん)|吉田酒造株式会社へお問い合せ下さい。
TEL:0854-32-2258月山醸造元吉田酒造株式会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。  

Posted by 佐野 吾郎 at 10:20TrackBack(0)島根県の酒蔵巡り