2011年10月01日

白笹つづみ|有限会社金井酒造店

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 211蔵目

白笹つづみ|有限会社金井酒造店

神奈川県秦野市堀山下182-1
酒名:白笹つづみ、笹の露、モーツァルト ■創業:1868年(明治元年)5代 ■杜氏:越後杜氏 ■仕込み水:中硬水 ■訪問日:2011/10/1

代表銘柄
モーツアルト 吟醸
白笹鼓 自然酒
白笹鼓 上撰 純米

かつて煙草で栄えた街、神奈川県秦野市。

その昔、駅の近くに専売公社があり、近隣の農家で採れる葉たばこの収集場所となっていたそうです。
10日に1回のペースで収集する日があり、農家は煙草の葉を持って行くと現金が得られます。

かつては駅周辺には飲み屋や旅館が数多く存在し、現金を得た人々は派手にお酒を飲まれていたとか。
その酒を造っていた酒蔵が、白笹つづみという酒を醸す有限会社金井酒造店です。

白笹つづみ 有限会社金井酒造店|外観
神奈川県秦野市の酒蔵、有限会社金井酒造店は明治元年に佐野リキさんという女性が創業した酒蔵です。

庄屋の家、金井家に生まれたリキさんは、結婚して一旦は家を出ていきますが離婚をして家に戻ってきます。
家でする事が無かったリキさんは、両親から「何か商売でもしなさい」と言われます。

庄屋の家で米が豊富にあり、近くに跡継ぎがなく売りに出されていた酒蔵があったので、酒蔵をしようという話になったのですが、酒蔵を買い取る際の条件として、跡継ぎがいないので「佐野」の苗字を継いで欲しと言われます。
そこで苗字を佐野に改め、蔵の屋号には自分の実家である金井酒造店と名づけます。

創業当時、酒蔵は現在の場所ではなく秦野の駅前付近にあったそうです。

白笹鼓 有限会社金井酒造店|看板
創業当時は「君鳳泉(きみほうせん)」という酒名の酒を造っていたそうですが、庄屋の家のお嬢様が世間体を気にして建てたような酒蔵。造っていた酒は「金魚酒」と呼ばれる品質の酒だったそうです。

しかしそれを改善したのが先代の4代目蔵元。
国税の醸造試験所にいた杉山 晋朔(しんさく)先生との出会いによって品質主義に転換します。

杉山先生は、そう簡単に指導を引き受けてくれる方では無かったそうですが、蔵元の意思を受けた杜氏がリュックサックを背負い何度も東京の王子にある醸造試験所に通い酒造りを勉強します。
その熱意を受け杉山 晋朔先生から指導を受けるようになり、強く濃醇な酒が造れるようになり現在のメインブランド「白笹つづみ」が誕生します。

それによって商売は繁盛。
敷地が足りなくなり周囲の土地を買い上げるなどをし、秦野の駅前に3000坪の蔵を構えるようになります。

先代の蔵元は「蔵の煙突が見える範囲は、全部ウチの酒で埋めよ」と号令をかけ、秦野の日本酒の7割のシェアを金井酒造店の酒が埋めることになります。

写真は5代目蔵元、佐野 英之さん
白笹つづみ 有限会社金井酒造店|佐野 英之蔵元
そして昭和47年頃に、現蔵元の佐野 英之さんが社長に就任します。

その頃から秦野にも都市化の波が押し寄せ、蔵が位置する秦野駅周辺に多くの人が住むようになります。
地下水で酒造りを行うことが困難となり、蔵元は思い切って昭和61年に蔵の移転を決意。
水質が良い場所を探した結果、駅から離れた現在の場所に蔵を移転します。

写真は麹室、スピーカーが見えますね。
白笹つづみ 有限会社金井酒造店|麹室
金井酒造店ではモーツアルトの音楽が流れる室で麹が造られています。

酒蔵移転によって、蔵を解体する際に蔵の中でさよならコンサートを開催されます。
その時に酒蔵の中でモーツアルトを演奏。500人が集まる大盛況でした。

新しい蔵は密封度が高く音が漏れないことと、館内放送の設備があった事から、5代目は蔵の中でモーツアルトの音楽をかけることを思いつきます。
その後「モーツアルトの音波は麹の繊毛の発育に刺激を与えるのでは?」の仮説を立て、麹室にモーツアルトの曲をかけて、麹造りを行うようになります。

写真は釜場、間もなく酒造期が始まるため準備中です。 白笹つづみ 有限会社金井酒造店|釜場
昔ながらの和釜と甑を用いて米を蒸しているとの事。

写真は酒母室です。
白笹つづみ 有限会社金井酒造店|酒母室
神奈川は暖かく、酒造期がはじまる10月現順はまだ温かいため、空調が備わった酒母室を設けている蔵が多いです。

写真は仕込み部屋
白笹つづみ 有限会社金井酒造店|仕込み部屋
昭和61年に新築された酒蔵だけあって、空調が整えられ密閉度も高く四季醸造が行えそうな蔵です。

写真は槽場。
白笹つづみ 有限会社金井酒造店|槽場
槽場も個室が設けられています。
昔ながらの槽(ふね)、薮田産業製の全自動濾過圧搾機が備えられています。

訪問の証の記念撮影。 白笹つづみ 有限会社金井酒造店|記念撮影
「モーツアルト 吟醸」の不思議な味わいに驚く吾郎でした。




商品の購入・質問は白笹つづみ |有限会社金井酒造店へお問い合せ下さい。
TEL:0463-88-7521白笹つづみ 醸造元有限会社金井酒造店
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。   

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2011年10月01日

菊勇(きくゆう) |吉川醸造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 210蔵目

菊勇(きくゆう) |吉川醸造株式会社

神奈川県伊勢原市神戸681
酒名:菊勇(きくゆう) 、相模大山 ■創業:1912年(大正元年)6代 ■杜氏:越後杜氏
■仕込み水:中硬水 ■訪問日:2011/10/1

代表銘柄
菊勇 純米大吟醸
相模大山 純米酒

神奈川県伊勢原市。
この地は江戸城を築城した武将、太田道灌が非業の死を遂げた場所であり、市内の大慈寺(だいじじ)には首塚、洞昌院(とうしょういん)に胴塚が祀られ、丁度筆者が訪問した10月1日は道灌祭りが行われていました。

かつては葉たばこなどを生産する農村地帯で、今でも郊外に出ると田畑が多く見られます。

その伊勢原市に残る唯一の酒蔵、菊勇(きくゆう) という酒を造る吉川(きっかわ)醸造株式会社です。 菊勇(きくゆう)  吉川醸造株式会社|外観
吉川醸造株式会社は大正元年(1912年)、吉川兼吉氏が創業した現在6代続く酒蔵です。

かつて伊勢原や隣の秦野市は、葉たばこの産地であり吉川 兼吉氏の家は、煙草の製造販売を行なっていました。
しかし兼吉氏の代になり、煙草は国の専売になり商売替えを迫られます。

かつてこの周囲には小さな酒蔵が何件もあり、新たな事業をするための投資先の1つとして酒蔵を買い取り酒造業へ参入します。

まだ何をするか定まっておらず、様々な事業への投資をされたそうで、その一つの投資先が酒造業であり、味噌、醤油の醸造も行ったそうです。

現在は日本酒のみ造られていますが、社名が「酒造」ではなく「醸造」である事から、かつてはお酒以外にも味噌や醤油を醸造されていた事が伺えます。

蔵の主力商品は菊勇(きくゆう)
菊勇(きくゆう)  吉川醸造株式会社|商品
創業した当時は「初冠(はつかんむり)」という酒名の酒を造られていたそうですが、3代目の代になり現在の主力商品の菊勇(きくゆう) が誕生します。

写真は6代目蔵元、吉川 勝之さん。
菊勇(きくゆう)  吉川醸造株式会社|蔵元
ある時期、吉川醸造では機械化による酒造りを行って来ました。

しかし国税の醸造試験所にいた杉山 晋朔先生の指導より方向を大きく方向転換。
前蔵元と6代目蔵元の吉川 勝之さんの代になり、伝統的な手造りによる酒造りに回帰する事を決意されます。

写真は麹室。
菊勇(きくゆう)  吉川醸造株式会社|麹室
吉川醸造では製造する酒の全てを麹蓋(こうじぶた)を用いて造った、手作りの麹が用いられます。

写真は造りを待つ釜場。 菊勇(きくゆう)  吉川醸造株式会社|釜場
蒸米には昔ながらの和釜を使用。

酒質のしっかりした酒→お客様が栓を開けた時に最も良い状態である酒を目指し、少量高品質生産が行われています。

訪問の証の記念撮影は麹室で撮影。
菊勇(きくゆう)  吉川醸造株式会社|記念撮影
沢山の麹蓋を前に、全量が麹蓋による製麹と聞いて驚く吾郎でした。




商品の購入・質問は菊勇(きくゆう) |吉川醸造株式会社へお問い合せ下さい。
TEL:0463-95-3071菊勇(きくゆう) 醸造元吉川醸造株式会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。   

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2011年09月30日

いづみ橋|泉橋酒造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 209蔵目

いづみ橋|泉橋酒造株式会社

神奈川県海老名市下今泉5-5-1
酒名:いづみ橋 ■創業:1857年(安政4年)6代 ■杜氏:南部杜氏 ■仕込み水:弱硬水 ■訪問日:2011/9/30

代表銘柄
いづみ橋 特別純米酒
いづみ橋 恵
いずみ橋 とんぼラベル 山廃純米

神奈川県の中央に位置する海老名市。
現在でも市内に田園地帯を見ることが出来る、伝統的な農業緑地と都市住宅が共存している街。

その海老名市にて、神奈川県の地酒を牽引している酒蔵があります。
いづみ橋という名の地酒を醸す泉橋酒造株式会社です。

いづみ橋 泉橋酒造株式会社|外観 いづみ橋 泉橋酒造株式会社|外観
ペリーが黒船7隻を率い浦賀に来航した1854年。
日本は明治維新に向け大きく変化する事になるのですが、その3年後の1875年(安政4年)。
国が大きく揺れていた時代、相模の国に新たな酒蔵が誕生しました。
現在、いづみ橋という酒を醸す泉橋酒造株式会社です。

写真は6代目蔵元の奥様、橋場由紀さん
いづみ橋 泉橋酒造株式会社|橋場由紀さん
蔵元が留守だったので、橋場由紀さんからお話を伺いました。

泉橋酒造株式会社は安政4年(1857年)この地の大地主の家に生まれた友八氏によって創業した現在6代続く酒蔵です。
土地の多くは小作に貸し、そこで収穫される米を地代として受け取っていました。

所有する土地はかなりの広さがあり、現在の酒蔵が立つ場所から海老名駅あたりまでが自分の土地だったそうです。
その為、新たな事業をおこさなくとも食べることに困っていなかったのですが、友八氏は時代変化を敏感に感じたのではないでしょうか。

酒造業への参入を決意しますが親がそれに応じません。
地主で十分な収入が有るのだから、わざわざ面倒な産業をする事は無いと反対します。
しかし友八氏の酒造業参入に対する熱意は変わらず、ついにはハンガーストライキを起こします。

困った両親は酒造業への参入を認め、1875年(安政4年)にこの地で創業する事になります。

海老名市外は平地であったことから、その当時はあちらこちらに水路が巡らされていて、蔵の近くには泉川という水路があり、蔵のとなりには泉川にかかる橋があったそうです。

橋の近くに蔵があった事から、地元の人々はこの酒蔵の事を「橋場」と呼ぶようになり、蔵元の苗字「橋場」もここからきているとの事。
蔵の町名が「下今泉」であった事から、泉の橋場さん→いずみ橋という屋号がついたそうです。

写真がこの蔵自慢の酒、いずみ橋
現在は全ての酒に醸造アルコールの使用を廃止。全量純米酒の酒蔵です。
いづみ橋 泉橋酒造株式会社|商品
この地に住む人々によって自然と付いた酒名「いずみ橋」。
現在も尚この酒蔵の主力銘柄として、地元はもちろん神奈川県の地酒を牽引する存在として全国の日本酒ファンにも愛されています。

写真は蔵の横に広がる栽培田。
いづみ橋 泉橋酒造株式会社|栽培田
写真に写っている田んぼは全体のほんの一部分。もっと広大な広さがあります。

泉橋酒造の酒造りは米作りから始まります。
食管法が改正された1995年、自社で栽培した米が酒米として自由に使えるようなった事を機に、自社で栽培した酒米で酒造りを開始されます。
やがて地元でメインで米作りを行なっている強者の農家の方達が酒米作りに参加。
しかしいくら農家のベテランとはいえ、酒米作りは初めての経験。 最初は苦労されたそうで「相模酒米研究会」といういずみ橋の為の酒米栽培の研究会を発足。
これによって品質が向上します。

そして現在では、泉橋酒造が用いる原料米の大半は相模酒米研究会による自分たちが手がけている酒米。

今では酒蔵が酒米作りまで手がけているとケースはそれほど珍しくありませんが、どの蔵もせいぜいタンク2〜3本くらいまで。
泉橋酒造では、ほぼ全量を海老名市をはじめその近隣で栽培している、素性が解る酒米にて酒造りをされています。

酒米は可能な限り「減農薬」で栽培しています。
蔵のシンボルマークである「赤とんぼ」は、農薬の量を減らした事で、赤とんぼの数も増えるだろう。
秋には沢山の赤とんぼが飛ぶまちを作りたい、そういう願いが込められているそうです。

神奈川県の酒蔵で自社で精米機を持つ蔵は泉橋酒造のみ。 いづみ橋 泉橋酒造株式会社|精米機
米作りから酒造りを行う泉橋酒造では、精米も自社で行います。
それによって米作りから酒造りまで全て自社で完結します。

酒蔵にとって精米機とは、最後に揃えるというべき機械です。
単に機械が高価なだけではなくランニングコストもかかります。
広い施設スペースを必要とし、周辺住宅への騒音など環境配慮あり、早々に手に入れられる道具ではありません。
神奈川で唯一精米機を持つ酒蔵です。

写真は麹室 いづみ橋 泉橋酒造株式会社|麹室
左に「麹蓋(こうじぶた)」が積まれていますが、これは出品酒のなど特別な酒を仕込む時だけ用いる蔵が大半です。
泉橋酒造では、全量この麹蓋(こうじぶた)を用い、手造りによる製麹(せいきく)を行なっています。
とても強いこだわりを感じます。

写真は仕込み部屋。 いづみ橋 泉橋酒造株式会社|仕込み部屋
仕込み部屋はとても清潔です。
通路がタイル貼りになっているのは、あえて汚れを目立つようにする事で常に清掃を心がけてもらうためです。

訪問の証の記念撮影は蔵の横に広がる栽培田で撮影。
いづみ橋 泉橋酒造株式会社|記念撮影
米作りから酒造りまで、こだわり抜いて造られた酒「いずみ橋」は、トラディショナルな食中酒。
料理に合わせてゆっくり飲み続けられる酒です。

海老名の地で栽培される山田錦に驚く吾郎でした。




商品の購入・質問はいづみ橋|泉橋酒造株式会社へお問い合せ下さい。
TEL:046-231-1338いづみ橋醸造元泉橋酒造株式会社
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2011年09月30日

盛升(さかります) |黄金井酒造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 208蔵目

盛升(さかります) |黄金井酒造株式会社

神奈川県厚木市七沢769
酒名:盛升(さかります)  ■創業:1818年(文政元年)8代 ■杜氏:社員杜氏(諸派)
■仕込み水:中硬水 ■訪問日:2011/9/30

代表銘柄
盛升 本醸造
盛升 特別純米酒
盛升 辛口

神奈川県のほぼ中央に位置する厚木市。
国から特例市に指定を受け、東京・横浜の衛星都市である一方、丹沢山地の麓にはまだまだ自然や農業地帯を多く残しています。
その神奈川県厚木市にて、文政元年より酒造りを続ける酒蔵が黄金井酒造株式会社です。

盛升(さかります) 黄金井酒造株式会社|外観
盛升(さかります) 黄金井酒造株式会社|外観
日本酒、盛升(さかります)を造る黄金井酒造株式会社は、文政元年(1818年)黄金井伝四郎氏によって創業した現在8代続く酒蔵です。

創業当初の屋号は「升屋」といい、「小金井櫻」という酒名の酒を造られていたそうです。

蔵の資料によると5代目蔵元が衆議院議員を務め、現在でも日本酒業界において最も大きな団体である「日本酒造組合中央会」を設立し初代会長に務められた事などから、黄金井家はこの地域の名主的な存在だったと思われます。

第2時大戦後、升々繁盛するという願いから酒名を「盛升」(サカリマス)と改名します。

黄金井酒造で杜氏を勤める飯塚 栄治さん。
盛升(さかります) 黄金井酒造株式会社|杜氏
黄金井酒造では代々、越後杜氏による酒造りを行って来ましたが、平成15年より地元出身の社員杜氏による酒造りを開始。
平成15、16年の全国新酒鑑評会にて金賞を受賞されています。

黄金井酒造は新潟杜氏が酒を造っていたということで、かつては淡麗辛口タイプの酒を造られていました。

しかし飯塚杜氏が10数年間杜氏を務める中、今は淡麗辛口の酒という時代では無くなってきた事を感じ、味の乗りが良い酒にシフトしている段階だそうです。

釜場周辺を撮影。
盛升(さかります) 黄金井酒造株式会社|釜場
蔵は近代化された鉄筋の建物、最上階で原料米処理が行われ、下のフロアに行くに連れ酒が出来上がります。

写真は最上階にある、釜場・原料米の前処理を行うエリア。
浸漬装置と,放冷機、連続蒸米機らしき機械が写っています。

写真は麹室。中は板張りでした。 盛升(さかります) 黄金井酒造株式会社|麹室


写真は酒母を仕込む「もと場」です。 盛升(さかります) 黄金井酒造株式会社|酒母室
10月下旬頃から酒造りが行われますが、その頃だとまだ神奈川は温かいので、酒母を仕込む部屋は冷蔵が完備されています。


写真は仕込み部屋。 盛升(さかります) 黄金井酒造株式会社|仕込み部屋
盛升(さかります) 黄金井酒造株式会社|タンク
足場もしっかりしていて安全に作業が行える仕込み部屋。

タンクの形状も特殊で、入り口の首が長い事でホース類が扱いやすいとのこと。
写真では首の部分で隠れていますが検尺口(けんじゃくこう)が装備されています。

写真は槽場です。 盛升(さかります) 黄金井酒造株式会社|槽場

訪問の証の記念撮影、は仕込み部屋にて撮影。 盛升(さかります) 黄金井酒造株式会社|記念撮影
杜氏の話によると黄金井酒造は国定公園に建てられている酒蔵だそうで、景観の観点から建物の高さが制限されていているため、仕込み部屋の天井が低いのが特徴。

仕込み部屋の天井の低さに驚く吾郎でした。




商品の購入・質問は盛升(さかります) |黄金井酒造株式会社へお問い合せ下さい。
TEL:046-248-0124 盛升(さかります) 醸造元黄金井酒造株式会社
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2011年09月29日

天青(てんせい)|熊沢酒造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 207蔵目

天青(てんせい)|熊沢酒造株式会社

神奈川県茅ヶ崎市香川7-10-7
酒名:天青(てんせい) 、曙光(しょこう)、熊澤(くまざわ)、湘南 ■創業:1872年(明治5年)6代 ■杜氏:社員杜氏(諸派) ■仕込み水:中硬水 ■訪問日:2011/9/29

代表銘柄
千峰天青 純米吟醸
風露天青 特別本醸造
吟望天青 純米酒

湘南・茅ヶ崎ときいて思い浮かべるのはサザンオールスターズの桑田佳祐、湘南乃風、あるいは加山雄三といった、それぞれの世代で活躍している芸能関係の人々。

海のイメージが強い湘南・茅ヶ崎にも酒蔵が存在します。
日本酒ファンの間で注目されている新進気鋭の酒蔵、天青(てんせい)という酒を醸す熊沢酒造株式会社です。

天青(てんせい) 熊沢酒造株式会社|外観
天青(てんせい) 熊沢酒造株式会社|外観
日本酒、天青(てんせい)、曙光(しょこう)などを造る熊沢酒造株式会社は、明治5年(1872年)熊澤 茂兵衛氏が創業した現在6代続く酒蔵です。

翌年の明治6年、最初に造った酒に「放光(ほうこう)」を命名。
大正9年に3代目、茂吉氏が「放光」を改名、現在使用している酒名「曙光(しょこう)」が誕生します。

写真の方は熊澤酒造で杜氏を勤める五十嵐 哲朗さんです。
蔵を案内してもらいました。
天青(てんせい) 熊沢酒造株式会社|五十嵐哲朗杜氏
熊沢酒造では社員杜氏による酒造りが行われています。

大事にしているのはバランスが整った酒。
バランス良く、とんがった特徴は無いかもしれませんが、全体的に丸るく長く飲み続けることが出来る酒。
そういうコンセプトで酒造りをされているそうです。

写真は釜場です。
天青(てんせい) 熊沢酒造株式会社|釜場

大正時代から昭和にかけて「曙光(しょこう)」がメインブランドでしたが、平成13年に現在の主力銘柄「天青(てんせい)」が誕生します。

天青という酒名は中国の故事から付けた名前で「雨上がりの晴れた空」という情景を表した言葉だそうです。

湘南の地域は、その話に出てくる情景に似ていて、空の青さがとても綺麗だそうです。
その情景をお酒に表現すべく造られている酒が天青(てんせい)との事。

トラディショナルな酒質を基本とし、その中で湘南の情景をいかに表現すのか、が天青(てんせい)という酒のテーマだそうです。

写真は仕込み部屋。 天青(てんせい) 熊沢酒造株式会社|仕込み部屋

写真は貯蔵タンクが並んでいる部屋。 天青(てんせい) 熊沢酒造株式会社|貯蔵庫

訪問の記念撮影は、防空壕を利用した地下貯蔵庫の入り口で撮影。 天青(てんせい) 熊沢酒造株式会社|記念撮影
熊沢酒造の名物に、第2時大戦中に造られた防空壕を利用した地下貯蔵庫があります。 その地下貯蔵庫にご案内してもらいました。

私が立っている所まではコンクリートで塗装されていますが、その先から土がむき出しの状態。
天井から草木の根っこが生えていて、それはとてもとても奇妙な空間。
映画インディージョーンズに出てくる洞窟のようで何かが住み着いているような感じ・・・。
あまりもの怖さに驚き、先に進むことが出来ず引き返す吾郎でした。




商品の購入・質問は天青(てんせい)|熊沢酒造株式会社へお問い合せ下さい。
TEL:0467-52-6118天青(てんせい) 、曙光(しょこう)醸造元熊沢酒造株式会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。   

Posted by 佐野 吾郎 at 18:00TrackBack(0)神奈川県の酒蔵巡り