2011年06月15日

桂月(こしのけいげつ)|毛利酒造合資会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 190蔵目

越の桂月(こしのけいげつ)|毛利酒造合資会社

福井県福井市東郷二ヶ町36-29
代表銘柄:越の桂月(こしのけいげつ)
創業:1938年(昭和13年)3代
杜氏:南部杜氏
仕込み水:弱軟水(足羽川の伏流水)
訪問日:2011/6/15

代表銘柄
越の桂月 純米 郷
越の桂月 純米吟醸 一意専心
越の桂月 純米 毛利

地元の米、水、風土にこだわった酒造り行う毛利酒造合資会社。 越の桂月(こしのけいげつ) 毛利酒造合資会社|蔵の外観

毛利酒造合資会社は昭和13年、毛利淳吉氏によって創業された、比較的歴史の新しい酒蔵です。

創業の経緯は変わっています。税務署の職員として働いておられた毛利 淳吉氏が、宿場街であった東郷にて売りに出されている酒蔵の存在を知ります。その蔵の免許等を買取り酒造業に参入。

詩人、大町 桂月が好きであったことから「越の桂月」という酒名を命名。現在のその創業酒名を引継ぎ酒造りを行っています。


写真が3代目蔵元の毛利 徹郎さんです。 毛利酒造合資会社 蔵元|毛利 徹郎

現在、毛利酒造にはかつて「梵」で酒造りをされていた南部杜氏が酒造りをされています。

しかしゆくゆくは蔵元の毛利 徹郎さん自身が酒造りを行う事を考えておられます。その為には「酒造りを教えてくれる杜氏」が必要となります。

杜氏の中には「蔵主は酒造りに関わって欲しくない」と考えておられる方が未だに多いのですが、「私がみっちり酒造りを教えます」という杜氏に出会います。
その方がたまたま梵で酒造りをされていた南部杜氏だったそうです。

良い杜氏に出会えた事で酒がよくなり、綺麗で上品な食中酒を醸されています。


越の桂月(こしのけいげつ) 毛利酒造合資会社|仕込み部屋

毛利酒造は米・水・風土にこだわった酒造りをコンセプトにされています。

蔵が位置する福井県の東郷地区は福井県のコシヒカリの名産地。
霊峰白山をルーツとする足羽川の豊富な伏流水があり、米作り、酒造りに適した土地です。

地元の水で育った米は、地元の水で醸してあげた方が素直に良い酒になってくれるのでは?
そのような気持ちで、全量手造りによる小仕込みが行われています。

福井県は海の幸、山の幸が豊富でおいしい食べ物が多い土地です。
その代表的ともいえる越前蟹となると蟹が食卓の主役となります。
このような料理が美味しい土地で愛される酒というのは、料理と相性が良い食中酒になります。

毛利酒造では食中酒として料理を邪魔しない酒。ただし米の味はしっかり残す。のどごし柔らかく何杯でも飲みたくなる酒。
このような酒質を目指し酒造りをされています。


越の桂月(こしのけいげつ) 毛利酒造合資会社|槽場

お酒を搾るのは写真の木の槽、1台のみ。

搾る際には4人の人間を必要とし約3日間かかります。
薮田があれば一人でオートマチックで酒を搾る事が出来るのですが、蔵元は「槽(ふね)の方が良い、との事。

人数が必要で圧力も手動で変えるという作業が必要になります。時には夜中に起きて圧力を換えに来る事もあるそうです。
しかし細かな調節を自身で行えるために、毛利酒造のような小規模の蔵の場合は槽(ふね)で丁寧に搾るほうが、ペース的にも丁度いいとの事。


越の桂月(こしのけいげつ) 毛利酒造合資会社|記念撮影

最後に訪問の証の記念撮影です。

かつて梵の杜氏さんの指導で造られた酒というだけあって、上品な食中酒というタイプの酒。
吟醸酒には香りはありますが、かなり控えめで薄化粧といった感じ。料理との愛称はもちろん、酒単体でも楽しめる味に思わず笑顔になる吾郎でした。




商品の購入・質問は越の桂月(こしのけいげつ)|毛利酒造合資会社へお問い合せ下さい。
TEL:0776-41-0020 越の桂月(こしのけいげつ)醸造元毛利酒造合資会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。  

Posted by 佐野 吾郎 at 15:00TrackBack(0)福井県の酒蔵巡り

2011年06月15日

常山(じょうざん)|常山(とこやま)酒造合資会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 189蔵目

常山(じょうざん)|常山(とこやま)酒造合資会社

福井県福井市御幸1丁目19-10
代表銘柄:常山(じょうざん)
創業:1804年(文化元年)8代
杜氏:南部杜氏
仕込み水:軟水
訪問日:2011/6/15

代表銘柄
常山 純米超辛
常山 越山若水 純米吟醸
常山 大吟醸 香月華

徳川 家康の次男、松平 秀康氏が初代福井藩主となり城を構えた場所が福井県福井市。
福井市は福井藩52万石の城下町として栄え、現在福井城の天守閣のあった場所には福井県庁が建ち、堀の周囲は官庁街になっています。

福井藩の御用商人としてスタートした酒蔵が常山(じょうざん)という名の日本酒を造る常山(とこやま)酒造です。
常山(じょうざん) 常山酒造|外観

常山酒造の起源は1621年(元和7年)、徳川2代将軍 秀忠の時代に始まります。
松平藩の御用商人として藩主より現在、福井中央郵便局がある辺りに500坪の土地を拝領。
綿屋の屋号で両替商を営んだ始まりといわれる酒蔵です。

綿屋は現在でいう銀行業者と同じような金融業を行っていたようで城下屈指の分限者とし知られ、一乗谷の城代家老だった神谷家と2度も縁組が行われていることから、単なる商人ではなく藩内の金融に関し権勢を振るった家柄だと推測されています。

そして文化元年(1804年)、場所を変え現在蔵が建つ場所にて「両替屋」の屋号で酒造業を開始。「常祝(じょうしゅく)」という酒名の酒を売り出します。次に県の特産品であった織物の「羽二重(はぶたえ)」にあやかり「羽二重正宗」という酒を造ります。羽二重正宗は現在も地元のレギュラー酒として販売されています。


写真は釜場です
常山(じょうざん) 常山酒造|釜場

福井市は第2次大戦中の昭和20年、アメリカ軍による福井空襲によって街を焼かれています。市内の中心部に位置した常山酒造もそのその際に焼失しますが御用商人という家柄で資産があったのか早々に酒蔵を建て直します。

しかし蔵を建て直し戦後の復興に向けて頑張っていた昭和23年、今度は福井地震が起きて壊滅的な打撃を受けます。
この時は現蔵元の祖母の実家が山林を持っていたので、その木材を使って蔵を再建させます。

2度の危機を乗り越えた常山酒造は戦後の経済成長に乗り地元を中心に羽二重正宗を販売。
そして現在の主力銘柄「常山(じょうざん)」は平成8年に誕生します。
ちなみに「常山」は、酒名では「じょうざん」と読み、酒蔵の名称では「とこやま」と読みます。

常山は食中酒として飲める酒を目指して造られています。

福井県は食材に恵まれ、特にお魚とお米が美味しい土地です。
料理が美味し土地だったので料理の邪魔にならない酒、料理との調和が良い酒が基本となります。大吟醸でも香りは穏やか。 料理と酒が相互に引き立つような酒、酔ってからでも飲みたくなる酒を目指しているとのこと。


常山酒造の杜氏、栗山雅明さん。流派は南部杜氏です。
常山(じょうざん) 常山酒造|麹室

常山酒造は静岡県浜松出身の栗山雅明さんが酒造りをされています。

もともと静岡で自動車整備会社で10年働いた後、日本酒好きが高じて、銘酒居酒屋「京三」を12年間経営。
日本酒を造りたいと思い静岡県の名門蔵「青島酒造」に就職し8年間酒造りを学びます。
平成13年に常山酒造に来た後、翌年には杜氏となり酒造りの責任を任されます。

南部杜氏の県外組合に所属。喜久酔の出身ということで、造りの前には杜氏を含め蔵人全員が髪を落とし丸坊主になって酒造りを行うとの事。

工業の街、静岡県浜松出身である栗山杜氏は「やらまいか精神」による酒造りを行っています。 何かしてみよう、一歩踏み出してみよう、何かチャレンジしてみよう、という精神で酒造りに挑まれています。


常山(じょうざん) 常山酒造|仕込み部屋

仕込みは1トンを基本としています。
杜氏が蔵に入った当時は1.5トンでしたが、1トンに減らす事で麹の製造時間をより長くすることが出来ます。麹の質を向上するため1トン仕込みに変更されたとの事。

工夫を得意とする杜氏さんで、ザル一つみても吟醸用の水切りが良いステンレスのザルは1つ2万5千円もします。
しかし探してみたら同じ性能を有する道具がどこかにあるものです。食品関係で40%精米の米粒がこぼれないステンレスのザルを発見。コストは1個5千円ほど。
杜氏さんは「このザルを1万円くらいで酒蔵に売って商売してもいいかも?」と冗談を語られました。

高価な機器を購入すること無くどう品質を向上させるのか?それを常に考えている杜氏さんだと感じました。


最後に訪問の証の記念撮影。
常山(じょうざん) 常山酒造|記念撮影
栗山杜氏の工夫の結晶ともいうべ常山を手に取り、感心する吾郎でした。


商品の購入・質問は常山(じょうざん)|常山(とこやま)酒造合資会社へお問い合せ下さい。
TEL:0776-22-1541常山(じょうざん)醸造元常山酒造合資会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。  

Posted by 佐野 吾郎 at 12:00TrackBack(0)福井県の酒蔵巡り

2011年06月15日

福千歳(ふくちとせ)|田嶋酒造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 188蔵目

福千歳(ふくちとせ)|田嶋酒造株式会社

福井県福井市桃園1-3-10
代表銘柄:福千歳(ふくちとせ)
創業:1849年(嘉永2年) 6代
杜氏:能登杜氏
仕込み水:弱軟水
訪問日:2011/6/15

代表銘柄
福千歳 圓 山廃純米
福千歳 徳 山廃純米吟醸
福千歳 RICE WINE(らいすわいん)

福千歳 田嶋酒造株式会社|蔵の外観

田嶋酒造株式会社は1849年(嘉永2年)に清水町甑谷で庄屋を営む田嶋 豊八氏が創業した酒蔵です。創業当初の屋号は「徳兵衛」、酒名は「加茂の井」。

江戸時代、人々は通い徳利を持って酒蔵に酒を買いに行ってたそうですから各町内に造り酒屋が1件はあったそうです。
豊八氏は地主で米が沢山あった事から、村の酒屋として造り酒屋を行ったのではないかと伝えられています。

蔵は途中に清水甑谷から清水町大森に移転します。しかしこの地も度々水害に襲われ不安要素が多く、3代目が倒れてきた木に当たり死亡する事故が起きます。
それを目の前で見ていた4代目は「この地は良くない」と福井市内への移転を考えるようになります。



福を呼ぶ酒、福千歳は芳醇旨口のキレの良い日本酒
福千歳 田嶋酒造株式会社|商品

念願の福井市内への移転は、意外な経緯から実現します。

それは第2次世界大戦による企業整備令によって、主食の米を確保する目的から酒蔵の多くは統合させられる事になったのですが、その例に漏れずこの蔵も統合の対象となります。

多くの酒蔵にとって企業整備令というのは良くない出来事でした。しかし結果論で考えるとこの蔵は企業整備令があったことから現在、福井市内に蔵を構える事が出来たのかもしれません。

というのは福井市というのは災が多かった街で、昭和20年の福井空襲によって街が焼かれています。更に3年後の昭和23年6月に、震度7を設定するきっかけとなった福井地震が起き、復興しかけていた街が再び壊滅します。更に同年9月九頭竜川の堤防決壊によって更に被害を受けます。

空襲で焼けてしまった建物を再び建て直した後、早々に地震で失うことは、多くの会社は立ち直ることが出来ません。

福井市が最も不幸な時代、企業整備令によって進出しなかった事が結果的に体力の温存につなります。

そして念願の福井市内で酒蔵を再建すべく、昭和28年に福井市内の千歳町(現在は福井市足羽2丁目付近)に移転。この時住んでいた「千歳町」から現在の酒名「福千歳」が誕生します。

その後、熊谷組の社長熊谷 太三郎氏の紹介で足羽山の御清水が湧き出ている土地に出会います。
現在は街中になっていますが、当時は家一件もなかったという福井市桃園に酒蔵を建て今に至ります。



写真は釜場です。私が訪問した時期は今季の造りが終わっていて片付けられています。
福千歳 田嶋酒造株式会社|釜場

酒造りは能登杜氏が酒造季に蔵に来て行われます。
原料米は福井産の五百万石をメインに使用。あと越の雫、一部兵庫山田錦も用います。

蔵は昭和51年までは全量山廃で酒造りをしていたそうです。
というのは前杜氏の越前大野杜氏は山廃仕込しか知らなかったからです。

越前大野杜氏は速醸という技術を学ぶ機会がなかったそうで、この蔵では越前大野杜氏が酒造りをしていたため蔵元も山廃以外は知らなかったとか。

ある時、大手酒蔵の技師がこの蔵を訪れた際「あなたの蔵は全部山廃ですか!」と驚かれます。
そこで蔵元が「山廃の他にも造り方があるんですか?」質問をすると「速醸があるでしょう」という答えが返ってきます。
蔵元はそこで初めて「速醸」の存在を知ったそうです。

では「速醸やってみようか」と昭和51年に初めて速醸を試みます。


杉張りの麹室
福千歳 田嶋酒造株式会社|麹室

福千歳の目指す酒は「芳醇旨口でキレの良い酒」。
かつては全量山廃で仕込んでいた経緯から、山廃仕込を得意とし冷で飲んでも美味しく、燗酒にすると更に美味しくなる食中酒を造られています。

フクロウは幸福を呼ぶ鳥と言われ、酒名「福千歳」の福と一致する事からこの蔵のキャラクターに採用。「福を呼ぶ福千歳」というのがこの蔵のキャッチコピーです。


次期蔵元後継者の田嶋 雄二郎さん。今年農大を出たばかり。
福千歳 田嶋酒造株式会社|仕込み部屋

蔵には今年の春、東京農業大学の醸造科学科を卒業した7代目蔵元後継者の田嶋 雄二郎さんが酒造りに参加。
大学時代に研究を重ね試験醸造を続けてきたワイン酵母を用いて造る日本酒、「RICE WINE」という日本酒を蔵に戻ってきて早速醸造を開始。

福井にはコシヒカリという美味しい食米があるのだから、その食米で酒を造りたい。米を無駄にしたくないのでできるだけ削りたくない。
このような日本酒業界の外からの視線で造った酒が、ワイン酵母を用いて造った純米酒。原酒ですがアルコール度数はわずか12度。

蔵元のお薦めする飲み方はロックで炭酸で割ってアルコール度数を8度くらいで飲みます。
通常の日本酒だと8度まで水で薄めると苦味が出て味のバランスを崩します。しかしRICE WINEは従来の日本酒の枠の外に存在する酒。原酒よりも7〜9度位に薄めたほうがベスト。

炭酸の苦味とレモンのような酸味がミックスされ、グレープフルーツのカクテルのような爽やかな味わい。ブラインドで出されたら日本酒で有ることが解らないような酒です。従来の日本酒という感覚で飲む酒ではなくカクテルとして飲む酒です。

従来の地酒専門店の中には否定的な意見をされる方が多いそうですが、従来の日本酒の枠から離れた日本酒を探している方には面白い存在だと思いました。


槽場と貯蔵タンク
福千歳 田嶋酒造株式会社|槽場
槽(ふね)とその左に立つ方が6代目蔵元
福千歳 田嶋酒造株式会社|槽(ふね)


福千歳 田嶋酒造株式会社|記念撮影
訪問の証の記念撮影。

東京農業大学 醸造科学科をこの春卒業した次期蔵元後継者の田嶋 雄二郎さんが、最後の在学中に造った日本酒「Rice WINE」を試飲。
従来の日本酒とは全く異なる味わいに可能性を感じる吾郎でした。




商品の購入・質問は福千歳(ふくちとせ)|田嶋酒造株式会社へお問い合せ下さい。
TEL:0776-36-3385福千歳(ふくちとせ)醸造元田嶋酒造株式会社
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Posted by 佐野 吾郎 at 10:30TrackBack(0)福井県の酒蔵巡り

2011年06月14日

一乃谷(いちのたに)|株式会社宇野酒造場

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 187蔵目

一乃谷(いちのたに)|株式会社宇野酒造場

福井県大野市本町3-4
代表銘柄:一乃谷(いちのたに)
創業:1625年(元和5年)20代
杜氏:能登杜氏
仕込み水:中軟水
訪問日:2011/6/14

代表銘柄
一乃谷 上撰
一乃谷 山廃仕込み 特別純米酒
一乃谷 大吟醸 月下美人

越前大野城に直ぐ前に蔵を構える一乃谷 宇野酒造場
一乃谷 株式会社宇野酒造場|外観

日本酒 一乃谷(いちのたに)を造る宇野酒造場は、代々この地で麦屋という屋号で商いを続けていた商家です。

当時、大野の郊外に八ケ山家銀山があり大野藩から許可を得た商売人が、銀山の採掘経営を行い藩に税を治めていました。

麦屋はその銀山の経営していた一人であり、大野藩にも金を貸すなどかなり裕福でな商人だったそうです。
農地もたくさん所有していおり、小作人からの年貢として米が豊富にあった事から江戸時代の中後期頃に酒造業に参入したのではないかと言われています。


写真は銀山を経営していたときの定書き。
一乃谷 株式会社宇野酒造場|古文書

大野藩への上納金に関するルールなどが書かれており、藩主松平忠直時代に数少ない貴重な資料だそうです。


一乃谷 株式会社宇野酒造場|商品

創業当時には酒名は無く「麦屋」という屋号でお酒が呼ばれていました。

現在の酒名「一乃谷」は、明治時代に誕生します。

当時、全国を旅する画家・俳人が酒蔵に泊めてもらい、その御礼に絵や歌をプレゼントする、という事が流行っていたそうです。
この蔵に立ち寄った俳人に、くまがい茶碗に注いだ酒を差し上げたところ「麦屋の酒は一乃谷、くまがいで飲めばいつも義経」という歌をいただきました。
その歌の中に出てくる「一乃谷」を酒名に命名されます。

一乃谷 株式会社宇野酒造場|釜場

一乃谷は福井県の中で一番に辛口の酒を造り始めた酒蔵です。

蔵元が酒蔵を継いだ当時、全国的に日本酒は甘口傾向で、福井県の酒も甘口だったそうです。
しかしこの蔵の仕込み水は他の大野の酒蔵とは少し地層が異なり、同じ中軟水でも「辛い水」なのだそうです。
隣の蔵と日本酒度が同じ酒でも、一乃谷だけは特別に辛く感じる酒が出来てしまうとか。

蔵元自身も、杯が進む辛口の酒が好みという事から、その水の特性を活かし福井県の酒が全体的に甘口だった時代に一乃谷だけは辛口の酒を造られます。


麹室の中にいる方が20代目当主、宇野 信裕さん。
一乃谷 株式会社宇野酒造場|麹室

蔵元が酒蔵を継いだ頃、福井の酒蔵経営者はかなり高齢化が進んでいて若い人でも60歳、年配の方は80歳という構成で新しい事を始めよう!という意識が低かったそうです。
外の世界から新しく酒蔵に来た宇野さんは一番の若手であった事から、他と違うことがしやすかったそうです。

最初の改革は、杜氏を自分に近い年齢に若返りさせます。福井県では一番最初に能登杜氏を採用し、酒造りのシーズンが始まる前には能登に行き、今年の造りを話し合いをし造りの方針を決めています。

吟醸酒への取り組みも早く、福井県で一番最初に山田錦35%精米の酒を造ったのも蔵元だとか。

一昨年からから愛知から若い蔵人が加わり。去年、蔵元の息子さんも酒造りに参加。
今後の展開が楽しみな酒蔵です。


写真は仕込蔵です。
一乃谷 株式会社宇野酒造場|仕込み部屋

天井に金属でコーティングされた円形の穴がありますが、そこから米をタンクに投入します。
人が落下しないよう肩で引っかかるサイズに穴が開けられているとの事。


一乃谷 株式会社宇野酒造場|記念撮影

最後に訪問の証の記念撮影。数々の受賞履歴の賞状を見て驚く吾郎でした。




商品の購入・質問は一乃谷(いちのたに)|株式会社宇野酒造場へお問い合せ下さい。
TEL:0779-66-2236一乃谷(いちのたに)醸造元株式会社宇野酒造場
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Posted by 佐野 吾郎 at 17:30TrackBack(0)福井県の酒蔵巡り

2011年06月14日

花垣(はながき)|有限会社 南部酒造場

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 186蔵目

花垣(はながき)|有限会社 南部酒造場

福井県大野市元町6-10
代表銘柄:花垣(はながき)
創業:1901年(明治34年) 4代
杜氏:社員杜氏(能登杜氏)
仕込み水:弱軟水
訪問日:2011/6/14

代表銘柄
花垣 生もと純米 生もと米しずく
花垣 山廃純米 米しずく
花垣 有機 純米吟醸
大吟醸 究極の花垣

奥越前の中心地として栄えてきた城下町、福井県大野市。
1573年朝倉氏が滅亡した後、戦功により織田家の部将金森長近が大野を統治します。
それにより城が構築され、京都のような碁盤目状の城下町が建設されます。
そして越前の小京都と言われる美しい景観の街に発展していきます。

その大野に日本酒ファン注目の酒蔵があります。
花垣(はながき)という酒を造る有限会社 南部酒造場です。
花垣 南部酒造場|外観

日本酒 花垣を醸す有限会社南部酒造場は、明治34年南部 悌蔵(ていぞう)氏が創業した現在5代続く酒蔵です。

悌蔵(ていぞう)氏は、大野藩の御用商人「茶の木屋」の5代目で金物商を営んでいました。
明治20年代に大野の街は10年を待たずして2度の大火が発生。焼け野原になった後に復興したのが写真の建物です。
大火がきっかけとなり、金物商から酒造業に変更されたというのが創業の経緯となります。


蔵の建物は文化庁の登録有形文化財に指定されています。
花垣 南部酒造場|登録有形文化財

金物商「茶の木屋」は、1733年(享保18年)に七右衛門氏という方によって創業されました。

そのため家の創業は1733年、創業者は初代 七右衛門氏となり、酒造りを開始した1901年は創醸(そうじょう)と言い、酒造業の創業者は悌蔵氏と伝えられています。

蔵元によると史実では明治の後半から大正の始めにかけ、大野だけで37社の酒蔵が存在していたそうです。
大野盆地には約4000町の田んぼがあり、各村々には庄屋や地主がいて米を集めて酒蔵を営んでいたそうです。その結果、昔は37社も酒蔵が存在していたとのこと。
現在は城下の市街地に4社の酒蔵を残しています。


酒名「花垣」は創業当初から続くこの蔵のメインブランド。
花垣 南部酒造場|七間清水

越前大野は日本百名水に指定されている名水の里。
真名川・清滝川の伏流水に恵まれ、街の各所に清水が湧き出していました。
地元の人々はこの名水を御清水(おしょうず)と呼んでいます。

現在でも大野市には上下水道が無く、天然の御清水が人々の飲料水に使われています。
一般の家庭は10メートル、酒蔵は50メートルという深い井戸から水を汲んでいます。

水、酒米、そして雪深く寒冷な気候で酒造りの条件を三拍子揃えた醸造の里で酒造りを行っています。


写真の方は4代目蔵元、南部 隆保さん。
花垣 南部酒造場|蔵元 釜場

甑(こしき)は二重甑(こしき)というものを使っています。

蔵元の手の厚みの部分は空洞になっていて中に蒸気が走ります。
甑の外側というの結露しやすく、米が水分を吸ってベトベトになります。この現象を甑肌(こしきはだ)といいます。

甑の外側の層に温かい蒸気を通すことで結露を防ぎます。この甑を採用してから甑肌(こしきはだ)が出なくなった事

蔵は製造の力点を原料処理に置いており、特に「蒸し」の部分を一つづつ改善。
綺麗な蒸気を用いるために、一度蒸した蒸気を綺麗に浄化したあと再沸騰させたものを甑に入れています。

蒸しの後半を10〜15分に高温で乾燥した蒸気を送ることで蒸しあがりの表面をカラッとさせて、艶やかで弾力がある良い蒸米に仕上げているとの事。


写真は麹室の一部です。

花垣 南部酒造場|麹室

南部酒造場には写真の杉張りの麹室と、ステンレス壁の二種類の麹室があります。

杉の麹室の良い点は、木が水分を吸ったり吐いたりしてくれる事で、乾燥のコントロールを木が手伝ってくれる事。つまり杉の木が乾燥のクッショになってくれるそうです。
ステンレスだとそういう事が無いため、人間が乾燥の具合を正確にコントロールしなくてはいけません。

しかしステンレスだと、木のように呼吸しないため、人間の手によって誤差なく乾燥がコントロール出来るという利点もあります。乾燥の具合を数字で測って確かめる場合には余計なクッショが発生しないステンレスのほうが制度が上がるとという考え方があります。また清掃がしやすいというメリットもあります。

蔵はステンレスが良いのか、杉が良いのか?悩み悩んだ結果両方取り入れたそうです。

ステンの室では麹米の重さを測る装置が床に設置されており、米がどれくらい乾燥しているのかが数字で把握できるとのこと。

北陸は湿度が高いため、出麹を普通の環境にさらしておくと、麹が湿気をすい湿潤な麹になります。湿潤な麹は味のさばけが悪いため出麹の為の特別室が用意されています。乾燥させた状態で麹の温度を冷ましていきます。


写真は仕込み部屋です。
花垣 南部酒造場|仕込み部屋

蔵は昭和30年代に建てられた鉄筋3階建て。
暖冬で暖かくても冬の気温が保てる仕込蔵になっています。

旧来の開放タンクと、密閉タンク、温度管理をしてくれるサーマルタンク。 3パターンのタンクをそれぞれのお酒の特性にあわせ使い分けて酒を仕込んでいます。


この槽(ふね)で大吟醸を搾ります。
花垣 南部酒造場|槽場
槽場は明治時代に建てられた建物の中。


写真は槽のおもりです。
花垣 南部酒造場|槽のおもり

たいへん珍しい槽で、写真の錘(おもり)が落ちようとする力を、静かに油圧で伝えて酒を搾り出します。
漬物石を載せているような感じで、柔らかい圧力で酒を搾ります。
他の蔵でこのタイプの槽は見たことがありません。


花垣 南部酒造場|商品

写真は利きさ酒をしたり勉強会をする場所。ここで試飲をさせていただきました。

花垣のお酒は特徴に飛んでいます。

華やかなタイプの特選大吟醸。こちらは優等生タイプのストライクゾーンが広い大吟醸酒。
有機の純米吟醸は淡麗とは対照的な旨口の純米酒。
生もと造りの米しずくは、ワインを思わせる酸を持つ、イタリアンなど現代の食事と調和が取れそうな新しい飲み方が提案できそうな酒。
そして貴醸酒。

貴醸酒を飲んだ後の甘い舌で生もとの米しずくを口にするととても不思議な味わい。酸がとてもスッキリと感じられ舌を洗う爽やかな酒に変身します。

特徴だった楽しいお酒を前に、訪問の記念撮影をするのを忘れてしまった吾郎でした。




商品の購入・質問は花垣(はながき)|有限会社 南部酒造場へお問い合せ下さい。
TEL:0779-65-8900花垣(はながき)醸造元有限会社 南部酒造場
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。  

Posted by 佐野 吾郎 at 15:55TrackBack(0)福井県の酒蔵巡り