2013年11月28日

弥右衛門(やうえもん)|合資会社大和川酒造店

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 344蔵目

弥右衛門(やうえもん)|合資会社大和川酒造店

福島県喜多方市字寺町4761
蔵元のサイト:http://www.yauemon.co.jp/


酒名:弥右衛門(やうえもん)、大和川(やまとがわ) ■創業:寛政2年(1790年)9代 ■杜氏:社員杜氏 ■仕込み水:軟水 ■訪問日:2013/11/28

代表銘柄
カスモチ原酒 弥右衛門酒
純米大吟醸 酒星眼回
純米大吟醸 大和川 四方四里 身土不二

合資会社大和川酒造店は江戸時代中期、寛政2年(1790年)に佐藤彌右衛門(さとうやうえもん)氏が創業した現在で9代続く酒蔵です。
弥右衛門(やうえもん) 合資会社大和川酒造店|外観
写真は平成2年に建てられた飯豊(いいで)蔵。

彌右衛門氏の祖先は1600年代に奈良から会津へ移り住んだと言われています。

奈良県を流れる大和川は度々氾濫し、流域に被害をもたらし、その度々に治山・治水が行われ、新しく出来た土地には綿の木を植え、綿花から綿を紡いだそうです。 その結果、大和川流域には綿の木の栽培と製綿の技術が蓄積されていき、その技術を持った人々が会津に渡って来たと言われています。

彌右衛門氏の祖先もそのうちの一人ですが、国替えで藩主に付いて行ったのか、技術者として会津に来たのかは分かりません。
喜多方の北にある松山町村松という場所で製綿業を営みます。
その家に生まれたのが彌右衛門氏ですが、長女が婿を取って家督を継いだ事により分家。
1770年頃に現在、北方風土館が建つ寺町にて綿業を始めたそうです。

この寺町という場所は越後北街道の要所、更には米の流通地だったそうで、この地での商いの実績が買われ、本家の信用力もあって1790年(寛政二年)に会津藩から酒箒(さけほうき)[酒造免許]を頂き酒造業を始めます。

酒箒(さけほうき)とは酒林の事を意味しますが、会津藩では酒造株の事を「酒箒」を表現していたようで、蔵元の話によると、蔵に残る会津藩の許可証にも「酒箒(さけほうき)」と記されているとの事。

創業当初の屋号は「大和彌」と言い、この名前は明治の中期まで続き、その後は「大和川」となります。

彌右衛門氏が生まれた本家はその後の世代でも分家が続き、その分家からも分家が生まれ、香久山、天香、大和錦、峰の雪、花錦といった銘柄が誕生したそうです。しかし現在、残っているのは大和川酒造と峰の雪の2社のみです。

左端の酒「カスモチ原酒 弥右衛門酒」がこの蔵の看板商品。
弥右衛門(やうえもん) 合資会社大和川酒造店|商品
この蔵の看板銘柄「カスモチ原酒」は明治時代から地元の人から重宝されてきた、麹歩合の高いコクのある甘口酒。

カスモチのカスとは醪(もろみ)のことで、モチは(もたせる)という意味です。つまり、醪を長く持たせる(醪を長期醗酵させる)ということです。

第二次大戦中はコメ不足により製造を休んでいたものの、昭和36年に「伝家のカスモチ原酒 彌右衛門酒」として復活。

昔からのファンに愛飲され、「糖類を使わない酒としては、日本で一番甘い」という個性豊かな酒として現在もなお人気の商品です。

かつては、このカスモチ原酒のみを製造していた時期があったそうなのですが、今では大和川、弥右衛門、酒星眼回(しゅせいがんかい)、良志久(らしく)の4ブランドを展開。濃醇甘口なお酒だけではなく、さっぱりした辛口のお酒まで味のレパートリーを増やされています。

弥右衛門(やうえもん) 合資会社大和川酒造店|弥右衛門

酒星眼回は、北方風土館でしか買えないお酒です。ラベルは小川芋銭の絵が描かれています。
弥右衛門(やうえもん) 合資会社大和川酒造店|酒星眼回

弥右衛門(やうえもん) 合資会社大和川酒造店|展示館

かつて蔵があった建物は、北方風土館として古い酒造道具や資料の展示、お酒の試飲販売などが行われています。

弥右衛門(やうえもん) 合資会社大和川酒造店|売店

写真は北方風土館から車で約5分の場所に位置する飯豊(いいで)蔵の釜場。
弥右衛門(やうえもん) 合資会社大和川酒造店|釜場

蔵は昭和62年(1987年)に新蔵建設のため2600坪の土地を購入。
3年後の平成2年(1990年)に、当時最新鋭の設備を持つ飯豊(いいで)蔵が完成します。
外観は和風建築物ですが鉄筋の3階建て。

写真はKOS製麹機。
弥右衛門(やうえもん) 合資会社大和川酒造店|KOS製麹機

製麹機とは別に杉張りの麹室もあります。
弥右衛門(やうえもん) 合資会社大和川酒造店|麹室

写真は酒母室。
弥右衛門(やうえもん) 合資会社大和川酒造店|酒母室

写真は仕込みに使われるOSタンク。
弥右衛門(やうえもん) 合資会社大和川酒造店|仕込み部屋 OSタンク

槽場は空調が効く個室に圧搾機が2機、置かれていました。
弥右衛門(やうえもん) 合資会社大和川酒造店|槽場

毎年10月初旬より造りを開始。
3月中旬に甑倒しが行われ、全て搾り終えるのが4月中旬。
年間で約1300石の日本酒を製造しています。

原料米については、喜多方市内にある約14町の自社田で自社栽培している夢の香、五百万石、雄町、山田錦をメインに使用。
飯豊山の伏流水(軟水)が豊富で、全量地下水による仕込みが行われています。

10年前ほどまでは越後杜氏が来て酒造りをされていたそうですが、今は現蔵元の弟さんが杜氏となり酒造が行われているとのことです。

醸造設備は山形の酒蔵の大山が設計したOSタンク、KOS製麹機が置かれていましたが、それとは別に、昔ながらの麹室もあり、近代設備の良さと昔ながらの手造りの良さの両方を残した蔵です。
どのフロアも床がピカピカでとても近代的かつ衛生的に感じました。

最後に訪問の証の記念撮影。
弥右衛門(やうえもん) 合資会社大和川酒造店|記念撮影
蔵の代表商品、カスモチ原酒 弥右衛門酒に注目する吾郎。

実は甘口のお酒も好きで、独特の甘みを持つと言われるカスモチ原酒にとても興味があります。

ネットが普及する以前は、貴醸酒や全麹仕込みによる濃醇甘口の酒とは早々に出会える事が無く、飲む機会が少なかったのですが、ネットが普及した今では以前よりは比較的簡単に手に入れられる時代になりました。

そうなると、単に甘い酒というだけではなく、そこから更に一歩踏み込んだ個性的な甘さが求められるようになります。

次世代の蔵元の話によると、古くからこの酒を知る地元の愛好家の話ですと「昔はもっと個性的な甘口だった」とか。
今でも他には無い甘味・旨味を持っているお酒ですが、更に特徴を出し認知度を広めていきたいとのことです。
今後の躍進が期待出来るお酒です。




商品の購入・質問は弥右衛門(やうえもん)|合資会社大和川酒造店へお問い合わせ下さい。
TEL:0241-21-1500弥右衛門、大和川醸造元合資会社大和川酒造店
ここに書かれているデータは筆者が訪問した時点の情報でございます。  

Posted by 佐野 吾郎 at 13:00TrackBack(0)福島県の酒蔵巡り

2013年11月27日

寫楽(しゃらく)|宮泉銘醸株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 343蔵目

寫楽(しゃらく)|宮泉銘醸株式会社

福島県会津若松市東栄町8-7
蔵元のサイト:http://www.miyaizumi.co.jp/


酒名:寫楽(しゃらく)、宮泉(みやいずみ)、玄武(げんぶ) ■創業:昭和29年(1954年)4代 ■杜氏:社員による製造 ■仕込み水:弱軟水 ■訪問日:2013/11/27

代表銘柄
寫楽 純米酒
寫楽 純米吟醸 ささめゆき
大吟醸 宮泉

寫楽(しゃらく)  宮泉銘醸株式会社|外観

寫楽(しゃらく)  宮泉銘醸株式会社|看板
鶴ヶ城から最も近い酒蔵、宮泉銘醸株式会社は昭和29年に宮森啓治氏が創業した現在で4代続く酒蔵です。

創業者の宮森啓治氏は、かつて会津で一番の規模を誇る老舗蔵「花春」の家に生まれますが長男では無かったため分家として独立されました。

第二次大戦の企業整備令によって統廃合され使わなくなっていた酒蔵を買い取り、現在の場所で酒造業を始めたというのが創業の経緯です。

写真は蔵の敷地の中にあった案内板。
寫楽(しゃらく)  宮泉銘醸株式会社|武家屋敷跡

蔵が建つこの場所は、かつて白虎隊寄合二番隊長、一ノ瀬加寿馬邸があった場所で、蔵の周囲には鶴ヶ城の家老級の武家屋敷が立ち並んでいたとのこと。
写真には写っていませんが、会津戦争の時に実際に使われた銃弾が展示されていました。

また、別の場所にある案内には蔵の前の甲賀通りで会津戦争の降伏式が行われたと書かれていました。

寫楽(しゃらく)  宮泉銘醸株式会社|商品
蔵の創業銘柄は宮泉。
現在、地酒ファンから人気急上昇中の寫楽(しゃらく)は、廃業した東山酒造という酒蔵が持っていた商標を引き継ぐ形で、平成17年に宮泉銘醸で造りはじめた銘柄。
東山酒造も花春から分家した蔵で、商標を引き継ぐなら同じ家の出が良いという事で寫楽を引き継がれたとのことです。

かつての寫楽は看板のように東洲斎写楽が描かれていたラベルだったのを覚えています。
見た目にインパクトがあり、名前も覚えやすいので印象に残っているお酒です。

寫楽(しゃらく)  宮泉銘醸株式会社|写楽の外観
その寫楽がリニューアルしたのは4代目蔵元、宮森義弘さんが酒蔵を継がれてからです。

システムエンジニアをされていた義弘さんは、今から11年前の2003年に酒造業を継ぐために会社を辞め、酒造りの勉強のため福島県のハイテクセンターで3年間勉強をされました。

蔵に戻られた当時は製造石数は約200石で普通酒を中心に製造されていました。
南部杜氏から技術を学んだ社員杜氏が酒造りをされていたそうです。

新しい世代の人々、日本酒を飲まない世代の人々が、寫楽を口に含んだ時に「日本酒はとても美味しい物なんだ」と思って頂ける酒を造りたい。

そう考えた蔵元は、高品質な市販酒を造っていきたいと考えていたそうですが、普通酒を中心に造っていた製造の現場と意見が合わず、最初の頃は度々衝突が起きていたとのことです。

そんなこともあり、最初の頃は義弘さんによって製造された酒は「寫楽」として、昔から造りをされていた人達が造る酒は「宮泉」として販売されていた時期があったそうです。

その後、義弘さんの方針に付いてくる社員は残り、付いて行けない方は去り、現在では義弘さんが製造責任者となり、社員全員が力を合わせて酒造りをされています。
現在は宮泉も寫楽と同じクオリティーで造られているとのことです。

写真は釜場です。
寫楽(しゃらく)  宮泉銘醸株式会社|釜場
写真ではわかりにくいのですが、四角い甑(こしき)で米を蒸されていました。

蒸された米は袋ごとクレーンで吊り上げ放冷機に移されます。
寫楽(しゃらく)  宮泉銘醸株式会社|釜場
甑(こしき)から米を掘り出す作業は腰を痛める辛い作業です。
しかしクレーンで持ち上げると蔵人の身体への負担が少なく短時間に行えます。

今季は10月1日からスタートし、4月下旬に甑倒し。
ゴールデンウィークを過ぎた5月下旬頃に造りを終える予定で、約900石の日本酒を製造する計画を立てられています。
今年は早く終わる方で、昨年は6月末まで酒造りを続けられていたそうです。

寫楽(しゃらく)  宮泉銘醸株式会社|麹室

写真は酒母。
寫楽(しゃらく)  宮泉銘醸株式会社|酒母

仕込み部屋を上のフロアから撮影。
寫楽(しゃらく)  宮泉銘醸株式会社|仕込み部屋_上から

寫楽(しゃらく)  宮泉銘醸株式会社|仕込みタンク 米投入

写真は仕込み部屋を下から撮影。
寫楽(しゃらく)  宮泉銘醸株式会社|仕込み部屋

写真は槽場。
寫楽(しゃらく)  宮泉銘醸株式会社|槽場
槽は個室に置かれてあり、部屋を仕切っての温度調節が可能。

今は杜氏という肩書きを止めて、社長が製造責任者という形で製造されているとのことです。
蔵は会津杜氏会に入られていて、県外の南部杜氏の資格を持つ蔵人もいるそうですが、杜氏とは名乗らないそうです。

蔵が目指されている酒は上でも書きましたが、新しい世代の人々、日本酒を飲まない世代の方が、口に含んだ時に「日本酒はとても美味しい物なんだ」と思って頂ける酒。

福島県では昔から少し甘口の酒が多かったそうで、福島県の方が慣れ親しんできた甘味のある酒で更に洗練された酒。
甘味を残しつつも切れが良い酒。
ブラインドテイスティングした際に、常に上に食い込んでいけるようなレベルの高い酒を造っていきたいとのです。

最後に訪問の証の記念撮影。
寫楽(しゃらく)  宮泉銘醸株式会社|記念撮影
仕込み水の美味しさに驚く吾郎。

今、人気上昇中の寫楽ですが、確かに味は洗練されており、人気が上昇する理由がよく分かります。 蔵は外も中もとても綺麗で、大掛かりな設備投資が行われ、蔵元が帰って来た頃は普通酒の製造が中心だったそうですが、今はその面影を全く残しません。

それどころか、他の蔵の手本となるような吟醸蔵に完全リニューアルしているように見えました。

設備投資は蔵にとってとても勇気がいることだと思いますが、蔵元はよく決断されたと思います。

またこのような蔵の多くは一般の蔵見学は不可というところが多いのですが宮泉銘醸は一般の方の見学も可能です。
会津若松には他にも見学可能な蔵があり、美味しいお店も多く、鶴ヶ城という酒蔵以外の観光地もあります。
日本酒愛好家の蔵見学には絶対お勧めの酒蔵です。




商品の購入・質問は寫楽(しゃらく)|宮泉銘醸株式会社へお問い合わせ下さい。
TEL:0242-27-0031寫楽、宮泉、玄武醸造元宮泉銘醸株式会社
ここに書かれているデータは筆者が訪問した時点の情報でございます。  
タグ :4代弱軟水

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2013年11月26日

末廣(すえひろ)|末廣酒造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 342蔵目

末廣(すえひろ)|末廣酒造株式会社

福島県会津若松市日新町12−38
蔵元のサイト:http://www.sake-suehiro.jp/


酒名:末廣(すえひろ) ■創業:寛永3年(1850年)7代 ■杜氏:社員杜氏(会津杜氏会) ■仕込み水:弱軟水 ■訪問日:2013/11/26

代表銘柄
末廣 伝承生もと 純米
末廣 大吟醸 剣
末廣 大吟醸 舞

末廣(すえひろ) 末廣酒造株式会社|外観

末廣(すえひろ) 末廣酒造株式会社|嘉永蔵

末廣酒造株式会社は江戸末期、寛永3年(1850年)に新城 猪之吉氏が創業した現在で7代続く酒蔵です。

会津藩の御用商人として酒造業などを営む商家に生まれた猪之吉氏は、長男ではなかったので家から独立。
今、蔵がある所から少しはなれた場所で酒造業を創業します。
そして約10年後には現在の場所に移転し、蔵を構え酒造りを行うようになったそうです。

創業当時の屋号は○の中にカタカナの「イ」と書いてマルイ。
「イ」は猪之吉氏のイです。

末廣(すえひろ) 末廣酒造株式会社|瓦

創業した18年後の1868年(慶応4年・明治元年)に会津戦争が始まり、蔵は見張りに一人〜二人蔵に残したまま疎開する事になります。しかし籠城戦となったため、お城には砲弾が打ち込まれますが、蔵があるあたりは無事で特に火災など起きず難を逃れたそうです。

ただ会津戦争の戦火から逃れたものの、明治39年に火災が発生。 現在喫茶店として営業している「新蔵」を残し蔵は消失します。 翌明治40年(1907年)に土蔵を建築し、その後約10年かけ継ぎ足すように建物を建て行き、現在の形になります。
焼け残った新蔵は、この蔵に残る一番古い建物になってしまうのですが、今でも「新蔵」と呼ばれているとの事。

現在の酒名「末廣」は「商いは末広く」の言葉からできた名前で、明治時代の商標登録が開始された時に、この辺りではもっとも早く取得されとのこと。
明治早々に商標登録をされたという事はそれ以前から使われていたかもしれません。
末廣(すえひろ) 末廣酒造株式会社|商品

末廣(すえひろ) 末廣酒造株式会社|商品

蔵は明治以降に大きく成長したようで、宮内庁御用達となり東京の新川にも事務所を構えます。
酒だけではなく漆器、秤なども扱っていたそうで、特に漆器はかなり手広くされていたそうです

土地を次々に買い足し、蔵から会津若松の駅まで自分の土地だったそうです。(ちなみにgoogle mapで調べたところ、蔵から駅までは1.4キロ有り徒歩で17分かかるとの事。)

この頃は蔵は商売だけではなく様々な方向で調子がよかったようで、この蔵から後に京都大学の総長にまで出世した新城 新蔵(しんじょう しんぞう)氏は末廣酒造の6男でした。

幼い頃から神童と呼ばれ松平容保公のお孫さんとはご学友との事。
容保のお孫さんとなると平民では無いわけですから、屋敷に先生を呼んで学問を学ばれていたはずです。
そこにご一緒出来るという身分を考えると、酒造業で成功した財力により信用が有り、なおかつ学力が優秀だったのでしょう。

また3代目蔵元の奥様は野口英世の恩師である小林栄先生の姉で、蔵は野口英世の面倒をみていたようです。
野口英世がこの蔵に来た事があり、その時の写真や書が蔵に残っています。

蔵のお座敷には会津藩主松平容保公や最後の将軍徳川慶喜の書が飾られており、そういう世界に通じるコネクションがあったようです。

末廣(すえひろ) 末廣酒造株式会社|売店
蔵には売店があり、試飲・購入が可能。
この直売所でしか売っていない酒もあるとの事。

蔵に併設されている高羽哲夫記念館。
末廣(すえひろ) 末廣酒造株式会社|資料館
山田洋司監督の映画「男はつらいよ」の撮影監督として全48作品の撮影に携わった会津出身の映画カメラマン、高羽 哲夫氏は現蔵元と親交があったそうで、遺品やポスター、撮影の様子を記した写真などが蔵に展示されています。

写真は嘉永蔵の仕込み部屋です。
末廣(すえひろ) 末廣酒造株式会社|仕込み部屋
酒造りですが末廣酒造では創業当時の場所にある嘉永蔵と、そこから西に約10キロ離れた場所にある平成8年に建てられた博士蔵の2箇所で酒造が行われています。

2月になると渇水期になり水が足りなくなる事から、酒つくりの拠点を博士蔵に移し嘉永蔵は酒造歴史館として残すことを考えます。

しかし嘉永蔵は酒造りを止めて2年が経過した頃から土蔵が痛み始めます。
昔ながらの木造建築物は、人が住まなくなり水の煮炊きが行われなくなると、どんどん錆びれるそうです。

蔵は酒造歴史館として100年先まで残したい願望がありました。 だったらここで少量でもいいので酒造りを再開しようと、2年酒造りを休んだ後に嘉永蔵でも酒造りを開始されたそうです。

末廣(すえひろ) 末廣酒造株式会社|仕込みタンク
この蔵で製造されている酒は原則、直売所で販売されている酒です。
この大きさのタンクを週に1本のペースで仕込み、年間約13本ほどのタンクを仕込んでいるそうです。
醸造スペースは一箇所集中型。釜場から仕込み部屋、槽場まで全て一部屋にあります。

末廣(すえひろ) 末廣酒造株式会社|小仕込み
写真は酒母タンクではなく仕込みタンクです。

「my酒」という名称で、個人の方からオーダーメイドで製造する酒。
仕込む酒は基本的に純米酒で、1升ビンで40本出来上がります。
価格は1升ビンでは3千円ちょっと。それが40本なのでトータルで15万円。
購入者は三段仕込みの1日間、仕込みを手伝う事が出来るとの事。 

末廣(すえひろ) 末廣酒造株式会社|槽
この槽(ふね)一台で酒を搾ります。

博士蔵に醸造施設を移転した際に、圧搾機はそちらに運んだため、嘉永蔵で醸造を再開する際には圧搾機は有りませんでした。
そこで他の酒蔵から使っていない槽を入手。少し小さな槽ですが、モロミが多い時は木の枠でかさ上げするなどし搾っているとの事。

造り手は40年以上も前から社員による製造。会津杜氏会に加盟されている佐藤 寿一さんという方が杜氏です。
仕込み水は水は弱軟水。
猪苗代湖の水が地下を浸透して、この辺りに湧いているのではないかと言われています。

原料米は地元産の五百万石とふくのはな、兵庫産の山田錦の3種類がメイン。

末廣酒造は明治に末期に、山廃仕込みを考案した嘉義 金一郎(かぎきんいちろう)先生が山廃仕込みを実証した全国の5箇所の蔵の1つです。
そういう経緯もあって山廃を軸にした商品展開に力をいれているとの事。

最後に訪問の証の記念撮影。
末廣(すえひろ) 末廣酒造株式会社|記念撮影
今後、蔵が力を入れていく伝承山廃純米酒に注目する吾郎。

末廣酒造株 嘉永蔵では蔵見学は基本大歓迎。
会津若松駅からも近く、日経プラス1の何でもランキングで「訪ねて楽しい日本酒の蔵元」の1位になるなど、訪問お勧め酒蔵です。
会津若松には他にも見学を受け入れてくれる蔵が多くあるので、若松に来られた際には訪問お薦めの酒蔵です。




商品の購入・質問は末廣(すえひろ)|末廣酒造株式会社へお問い合せ下さい。
TEL:0242-27-0002末廣醸造元末廣酒造株式会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。  

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2011年04月30日

天明(てんめい) 一生青春| 曙酒造合資会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅。
171件目の訪問蔵は、
福島県の会津坂下町で天明(てんめい) 一生青春という日本酒を醸す曙酒造合資会社です。

天明(てんめい) 一生青春|曙酒造合資会社

所在地:河沼郡会津坂下町字戌亥乙2
代表銘柄:天明,一生青春
創業:1904年(明治37年)4代
杜氏:蔵元杜氏
仕込み水:軟水
訪問日:2011/4/30

代表銘柄
天明 純米吟醸 山田錦 無濾過 本生
天明 本生純米酒 無濾過原酒
一生青春 大吟醸

曙酒造は明治37年に鈴木幸四郎氏によって創業した酒蔵です。 天明(てんめい) 曙酒造合資会社|蔵の外観

元禄時代から続く油屋の4番目に生まれた幸四郎氏は、婿養子として鈴木家にやってきます。
当時、鈴木家はこの地で味噌の醸造業を営む地主の分家で、一族経営をされていたようで鈴木家は味噌屋の大番頭を任されていました。

大番頭の仕事をしていた幸四郎氏は、小作人が作る米の良さに着目。
この米を安い価格で売るのはもったいないと考えた幸四郎氏は酒造業の参入を考えます。

思い立った幸四郎氏は、会津若松の酒蔵の元に酒造りの修行に出かけます。
そこで2年間修行を行い0から酒造りを学びます。そして元ってきて酒造りを開始したのが明治37年と言われています。

創業時の屋号は大黒屋、酒名は大◯(だいまる)と「曙(あけぼの)」でした。
日本酒だけではなく会津冨士という酒粕焼酎も造っていて評判が良かったそうです。

酒造りを行うに当たり、わざわざ小作人の方に酒造米を作ってもらったそうです。
単に「米が余っているので酒造りをしてみようか」ではなく、本気で酒造業に参入された事が伺えます。


写真は仕込蔵の柱。
天明(てんめい) 曙酒造合資会社|蔵の柱
鈴木鉄太郎氏とは、鈴木家の本家(味噌醸造業)の方です。

創業当初は本家の建物を借りていたのか?或いは本家の建物の一部を購入したのか?今となって解かりません。
ただ伝えられている話としては、本家の方が病気になり治療費が必要ということで、その際に鈴木幸四郎氏が本家の土地を購入し、現在の曙酒造の骨格が出来上がったようです。


写真は仕込部屋です。作業は2階から行います。 天明(てんめい) 曙酒造合資会社|仕込み部屋

鈴木孝教(すずき たかあき)さんの話によると、戦前には両沼酒造組合(会津坂下、柳津、旧高田町、本郷、湯川)には12社の酒蔵が存在していたようです。
今から27年前には両沼酒造組合には7社となり、現在残っているのはたった4社。

大黒屋の屋号でスタートした曙酒造ですが、第2次大戦による企業整備令などは行われず、戦後を乗り越えます。

そして昭和30年頃に社名を現在の曙酒造に変更。
酒名も「だいまる」に変わり、曙が主力商品に変化していきます。

そして現在の主力商品「天明(てんめい)」が平成10年に誕生します。
純米 無濾過本生、大吟醸の2種類でのスタートでした。


写真は仕込み部屋にて袋干しをしている様子です。 天明(てんめい) 曙酒造合資会社|袋干し

今季の酒造を終えた春過ぎ(4月後半〜5月)頃に酒蔵を訪問すると、ご覧のような袋干しの光景を目にします。


曙酒造では2台の槽(ふね)で酒を搾っています。 天明(てんめい) 曙酒造合資会社|槽(ふね)



こちらは曙酒造の自慢の貯蔵庫です。 天明(てんめい) 曙酒造合資会社|貯蔵庫

曙酒造の冷蔵貯蔵ですが、蔵の規模に対して広く、ご覧の大きさのフロアが4つ存在します。

結露防止のために樹脂が吹きつけられています。
写真はタンク貯蔵ですがビン貯蔵もかなりの量を保存されています。
ただ3月の東日本大震災によって、ビンが将棋倒しのように倒壊しかなりの破損があったようです。


天明(てんめい) 曙酒造合資会社|記念撮影

最後に訪問の証の記念撮影ですが2台の槽(ふね)の前で撮ってみました。

昔ながらの木の槽に驚く吾郎でした。




天明(てんめい)のお求めは、インターネットで販売日本一の地酒.com 佐野屋 をご利用ください。 (フリーダイヤル:0120-464-135)
地酒.com 佐野屋曙酒造合資会社と直取引を行なっている特約店です。   

Posted by 佐野 吾郎 at 15:00TrackBack(0)福島県の酒蔵巡り

2011年04月30日

星自慢(ほしじまん) 金澤屋|合資会社喜多の華酒造場

新進気鋭 酒蔵訪問の旅。
170件目の訪問蔵は、
福島県の喜多方市で星自慢(ほしじまん) 金澤屋という日本酒を醸す合資会社 喜多の華酒造場です。

星自慢(ほしじまん) 金澤屋 蔵太鼓|合資会社喜多の華酒造場

所在地:福島県喜多方市字前田4924
代表銘柄:星自慢,金澤屋,蔵太鼓
創業:1919年(大正8年)3代
杜氏:蔵元杜氏
仕込み水:軟水(飯豊山の伏流水)
訪問日:2011/4/30

代表銘柄
星自慢 特別純米 無濾過生原酒
金澤屋 辛口純米
純米 蔵太鼓

喜多の華酒造は大正8年に、星 金吾(きんご)氏が創業した現在3代続く酒蔵です。 星自慢 金澤屋 合資会社 喜多の華酒造場|蔵の外観

この蔵の総本家は、加賀の国の金沢からこの地に移り住んできたという、忠蔵(ちゅうぞう)という方を創業者とする「金澤屋 忠蔵」という味噌・醤油の製造業です。

喜多方の人々から「金忠(かねちゅう)」の愛称で親しまれていた総本家から分家をした、味噌・醤油の醸造業を営む商家の5番目に生まれたのが、喜多の華酒造の創業者となる星 金吾氏です。

星 金吾氏は5番目に生まれた為、分家独立する事になるのですが、その際に総本家と本家とバッティングしない商材として酒造業を選択します。

そして大正8年にめでたく創業。
創業当初の屋号は「金忠 酒造部」、酒名は「星正宗」。

兄弟にもう一人、酒造業に分家された方がいたそうですが、そちらは既に廃業され現在続いているのは喜多の華酒造のみという事です。


写真は釜場です。東日本大震災によって壁が崩れています。 星自慢 金澤屋 合資会社 喜多の華酒造場|釜場

創業から22年が経過した1941年に太平洋戦争が開始。そして翌年の1942年には企業整備令が発動され、金忠 酒造部を始め周辺の酒蔵は「耶麻酒造株式会社」という会社に統合される事になります。

この時代に酒造りを止めさせられてしまった酒蔵多くは、戦争が終わっても早々に復活することが出来ず、金忠 酒造部が再び酒造免許を取得するのは第2次世界大戦が終了し10年以上が経過した昭和31年でした。

喜多方で一番の酒蔵を目指すべく、喜多の華という社名を命名し再出発します。


写真の方が3代目蔵元、星 敬志さんです。 星自慢 金澤屋 合資会社 喜多の華酒造場|蔵元

現在、喜多の華酒造では3代目の蔵元自ら酒造りを行っています。
今年で杜氏歴は4年。
本醸造と普通酒を各タンク1本仕込む以外は、全て純米酒とのこと。

最近では「星さんの自慢の酒」という意味を持つ酒「星自慢」がよく売れているそうで、私が訪問中にも「星自慢」指名買いに来られるお客様が何人も来られました。


蔵見学に来られたお客様に酒つくりの説明をする蔵元。 星自慢 金澤屋 合資会社 喜多の華酒造場|仕込み部屋

喜多の華酒造場では一般の方の蔵見学を随時行っています。
私が訪問した日は、お客様が多く私も一緒に見学させてもらいました。


写真は槽場です。 星自慢 金澤屋 合資会社 喜多の華酒造場|槽場

この2台の槽(ふね)を用いて酒を搾っています。


星自慢 金澤屋 合資会社 喜多の華酒造場|商品

現在、喜多の華酒造では「星自慢」と「蔵太鼓」の2種類の酒を造られています。

星自慢は、ぽっちゃり系の酒。東京の有名酒販店が主催するブラインドの利き酒会で2年連続1位を獲得した経緯があります。

それに対し、蔵太鼓は日本酒度がプラスの10から13もある骨のある辛口酒。

これは蔵元が酒造りの勉強をされた際に、タイプが180度異なる二人の先生から指導を受けていた経緯から、両極端の酒になってしまったとの事です。


星自慢 金澤屋 合資会社 喜多の華酒造場|記念撮影



商品の購入・質問は星自慢 金澤屋|合資会社喜多の華酒造場へお問い合せ下さい。
TEL:0241-22-0268 星自慢 金澤屋醸造元 合資会社喜多の華酒造場
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。   

Posted by 佐野 吾郎 at 13:40TrackBack(0)福島県の酒蔵巡り