2011年04月26日

大山 おおやま|加藤嘉八郎酒造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅。
158件目の訪問蔵は、
山形県の鶴岡市で大山という日本酒を醸す加藤嘉八郎酒造株式会社です。

大山 おおやま|加藤嘉八郎酒造株式会社

所在地:山形県鶴岡市大山三丁目1-38
代表銘柄:大山(おおやま)
創業:1872年(明治5年)4代目
杜氏:社員杜氏
仕込み水:中軟水
訪問日:2011/4/26

代表銘柄
大山 特別純米酒
大山 純米吟醸 封印酒

大山で一番大きな酒蔵。
地名、大山(おおやま)という酒を醸す加藤嘉八郎酒造株式会社大山 加藤嘉八郎酒造|外観 加藤嘉八郎酒造株式会社は明治5年、加藤長三郎家から分家した加藤 嘉八郎・有元氏によって創業した酒蔵です。

すぐ隣にある酒蔵、冨士酒造とは親戚関係にあたり、そもそも大山の地には加藤治右衛門家という加藤家の本家があり、そこをルーツに数々の加藤家に別れて行ったそうです。
その酒蔵の1件が加藤嘉八郎酒造になります。

現在4蔵が残る大山の酒蔵の中でも、最も歴史が新しい蔵ですが、初代にして大山で一番大きな酒蔵となり、2代目の有邦氏の代では更に大きく発展する事になります。


大山 加藤嘉八郎酒造|連続蒸米機 写真は連続蒸米機械です。

加藤嘉八郎酒造は、昭和40年代に鉄筋3階建ての蔵を建て、蔵の機能の大半を近代的な建物に移転。機械化によって良い酒造りを目指します。

蔵が成長し規模が大きくなると、仕込みの量が増えるのと同時に造り手も増えます。
小規模生産だと蔵元や杜氏が全体の把握が出来るのですが、一定の量を超えると難しくなります。

以前、富山県の銀盤酒造に訪問した際、蔵元が「規模が一定を超えると、誰か手を抜く人が現れる」と話されていましたがその結果、銀盤酒造「手抜きを行われない為の機械化」を行われるようになりました。

加藤嘉八郎酒造も規模が大きくなるにつれ、蔵元の頭の中で何らかの理由があり機械化を行おうという考えが現れたのでしょう。

ナショナルブランドのような普通酒を大量に造っている蔵ではなく、特定名称酒が中心の蔵ですが、製造の近代化・機械化が行われている蔵元です。


写真はKOS製麹機一次槽という麹を造る装置。 大山 加藤嘉八郎酒造|KOS製麹機 このような装置につながっています。 大山 加藤嘉八郎酒造|KOS製麹機 特許を持つ木谷氏のK、酒名「大山」のO、機械の製造を行った佐々木貞治商店のS、それぞれのイニシャルからKOS製麹機と名付けられました。

機械化と言っても、麹造りは酒つくりの要となる部分です。写真の装置の前に制御盤が置かれており、米の状態によって温度、湿度、時間などの判断は豊富な経験を持つ蔵人・杜氏によってコントロールされます。
造り手の指示通りに正確に仕事を行う。そういう方針での機械化だそうです。


写真の同様に加藤嘉八郎酒造が開発した仕込みタンク、OS清酒仕込装置です。 大山 加藤嘉八郎酒造|OSタンク

高床式になっていて、底が半円状。周囲は2層構造ととなり、外の層は冷水が流れます。

酒名「大山」のOと、製造会社の佐々木貞治商店のSから、OS清酒仕込装置と名付けられています。

タンク番号に「813」と書かれていますが、800個もタンクはありません。
先頭の「8」は創業者の「嘉八郎氏」の名前から8をいただいています。

長野県の酒蔵、仙醸(せんじょう)でも同様のタンクが用いられています。

大山 加藤嘉八郎酒造|OSタンク中

タンクの中を見せてもらいました。

3本ある銀色に輝く刃物のようなものは、モロミをかき混ぜる際に用いる「櫂」になります。
写真では判りにくいのですが、一方が刃物のように尖っています。
モロミの櫂入の際は米粒を押し潰さないよう尖った方で櫂入を行います。

貯蔵タンクにも用いることが出来て、貯蔵中のお酒を拡散させる時には、逆回転させて尖っていない方で拡散させます。

タンク内部の右部分に刺さっている棒状のものが温度センサーです。

大山 加藤嘉八郎酒造|貯蔵タンク 写真は蔵の家宝というべく、ケヤキ作りで施されたとても贅沢な蔵の1階の貯蔵庫です。

写真では暗くて判りにくいのですが、中央の緑の琺瑯タンクの左上に梁が見えます。


2階にはこのとおり、大きなお雛様が飾られイベントホールになっています。 大山 加藤嘉八郎酒造|雛壇 柱や梁がご覧のとおり優雅かつ豪華。
蔵の入口のドアは大きなケヤキの1枚板が使われていて龍の宝飾が施されていました。

あまりにも豪華な蔵に驚く吾郎でした。




商品の購入・質問は大山|加藤嘉八郎酒造株式会社へお問い合せ下さい。
TEL:0235-33-2008 大山醸造元 加藤嘉八郎酒造株式会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。   

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2011年04月26日

栄光冨士 有加藤 |冨士酒造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅。
157件目の訪問蔵は、
山形県の鶴岡市で栄光冨士という日本酒を醸す冨士酒造株式会社です。

栄光冨士 有加藤 古酒屋のひとりよがり|冨士酒造株式会社

所在地:山形県鶴岡市大山三丁目32-48
代表銘柄:栄光冨士,有加藤,古酒屋のひとりよがり
創業:1778年(安永7年)13代目
杜氏:南部杜氏
仕込み水:軟水(月山山系水)
訪問日:2011/4/26

代表銘柄
手造り大吟醸 古酒屋のひとりよがり
栄光冨士 精選、万流
栄光冨士 有加藤(ありかとう) 純米吟醸 中汲み

栄光冨士 有加藤 冨士酒造株式会社|蔵の外観 冨士酒造は1778年(安永7年)、庄屋を営んでいた加藤 専之助有恒氏によって創業した酒蔵です。
創業当初の酒銘は「冨士」、屋号は「加茂屋」と名乗っていました。

当時、鶴岡は酒井藩の領地でしたが、冨士酒造が位置する「大山」は天領(徳川の直轄地)でした。
その為、酒税が3分の1で済んだそうです。

また蔵の近くは加茂港という北前船が寄港する港があり、当時は酒田港よりも栄えていたそうです。
大山は、その加茂港に通じる難所、加茂坂の手前に位置しました。
その為、物資が坂の手前である大山で一旦蓄えられ、人夫が馬車などを用いて、物資を港に運んだそうです。

街は物流の中継地点として大変に栄え旅籠も多く、力仕事をする男達が大勢集まれば当然、お酒の需要も現れます。
そのような場所であった為、酒造業は発展します。

現在、大山には4件の酒蔵が密集して残っていますが、上記のような時代背景があったからではないでしょうか。

栄光冨士 有加藤 冨士酒造株式会社|看板 現在13代目となる蔵元、加藤 有慶さんが酒蔵を継いだのは今から5年前の平成18年。

当時、栄光冨士は戦えないお酒だったそうです。
「全国の酒販店にお酒を持って行って利き酒してもらっても、断られ続け悔しい思いを何年も続けた」と語る蔵元。

蔵元が目指したい酒は「流れ星のような酒」。
光輝き続けている星のような酒ではなく、流れ星のような酒。
パッと光ってスッと消えていくような酒。

しかもその光がとても綺麗である事。

しかし当時の冨士酒造が造っていた酒は、新酒と古酒をブレンドをしていた、とても輝いていないお酒だったそうです。

栄光冨士 有加藤 冨士酒造株式会社|釜場

蔵元は上喜元の蔵元・杜氏である佐藤正一さんから「基本に忠実に造るとおいしい酒が出来上がる」という言葉をきき、「基本」についてとことん考えられます。

酒つくりの基本は、1麹、2酒母、3もろみと言われますが、それらを1つ1つの検証を開始。

麹は負けていない。
酒母は改善の余地がある。
モロミの管理はどうらろうか?

蔵人と何度も何度も話し合い、時には口論に発展する事もあったそうですが、一歩一歩レベルアップを図ります。

栄光冨士 有加藤 冨士酒造株式会社|商品 そして今季の造りでは、「原料の前処理」「搾った後の処理」この2点の改善を強化したところ、格段に酒の味が変わりました。

上から(鑑評会出品酒)から下まで、蔵元が外に持って行けるレベルの酒が完成したそうです。

蔵人達もその結果に満足。
「社長が言っていたことは本当だった。こうやって造ったら本当に良い酒になった」と話されたそうです。


今年ようやく目指していた「パッと輝く酒」が出来上がりました。

他の山形の酒蔵さんとと肩を並べるとまでには行かないとしても、ようやく近づけるお酒が出来ました。

そう語る蔵元。
日本酒ファンの皆様、栄光冨士 有加藤は要チェックの山形酒です。


右の方が13代蔵元の加藤有慶さんです。
手にされているのが加藤家に伝わる家宝、加藤清正公の手槍の柄の部分です。 栄光冨士 有加藤 冨士酒造株式会社|記念撮影 冨士酒造は戦国武将「加藤清正」の縁故者と言われています。

加藤清正の三男、熊本藩の第2代藩主加藤忠広公は、徳川家光から肥後領内支配の不行き届きを責められ、改易となり庄内藩の預りとなりました。
その結果、熊本から遠く離れた庄内の地にやってきます。

忠広公が側筆に産ませた男性と女性がいるのですが、その女性方が加藤家のルーツご先祖になります。
蔵には清正公の手槍の柄の部分が家宝として残っているとの事。

その家宝の手槍の柄を見せていただき驚く吾郎でした。




商品の購入・質問は栄光冨士|冨士酒造株式会社へお問い合せ下さい。
TEL:0235-33-3200 栄光冨士,有加藤醸造元 冨士酒造株式会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。   

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2011年04月26日

くどき上手 ばくれん|亀の井酒造株式会

新進気鋭 酒蔵訪問の旅。
156件目の訪問蔵は、
山形県の鶴岡市でくどき上手、ばくれんという日本酒を醸す亀の井酒造株式会社です。

くどき上手 ばくれん|亀の井酒造株式会

所在地:山形県鶴岡市羽黒町戸野字福ノ内1
代表銘柄:くどき上手,ばくれん,おしゅん,亀仙人
創業:1875年(明治8年)5代目
杜氏:蔵元杜氏
仕込み水:軟水
訪問日:2011/4/26

代表銘柄
くどき上手 純米吟醸
くどき上手 ばくれん 吟醸酒 超辛口+20
くどき上手 命 斗瓶囲大吟醸


日本酒ファンの間で人気の酒くどき上手くどき上手|亀の井酒造 くどき上手を造る亀の井酒造株式会社は明治8年、3町5反の田畑を持つ中農規模の農家に生まれた今井 亀治氏によって創業した、現在5代続く造り酒屋です。

蔵の近くに「前川」という川があったことから、創業当時の酒名は「前川」。屋号は泉谷と名乗っていました。

3町5反という広さは、坪数になおすと1万坪を超える土地です。
今なら1万坪も持っていたら、大地主といえますが当時は中農だったそうです。
酒造株を手に入れるに当たり、土地の一分を売却されたそうです。


写真は釜場です。
私が訪問した時期には今季の造りが終了していましたのでご覧のとおり片付いています。 くどき上手 亀の井酒造|釜場 造りの時期に訪問すると、この上に甑が乗り、朝には湯けむりが上がってます。

亀の井酒造の最初の危機は、戦中戦後の国家総動員法です。
第二次大戦中から戦後にかけて、米不足と国家総動員法によって、多くの酒造業は統廃合など整理される事になります。
亀の井酒造は先代の蔵元が兵隊に行った事などから、昭和18年に酒造業の中止命令を受ける事になります。

一度中止に追い込まれた蔵の多くは、酒造業を辞める事になったのですが、先代蔵元は復活を目指します。
復活の志を持つ他の蔵と同調し、昭和30年に余目にて酒造免許を所得。
そして昭和35年に現在の場所に移転をし、酒造業を復活させます。

この時代に姿を消した酒蔵がとても多く、数社が結合して一つの酒蔵になったケースも沢山あります。
亀の井酒造は完全復活するまで昭和35年までかかってしまったのですから、大変だった事が想像できます。


写真の方が5代目蔵元、今井俊冶さん。 くどき上手 亀の井酒造|仕込み部屋 現在の主力銘柄、くどき上手は昭和58年に5代目の蔵元の今井俊冶さんによって誕生したブランドです。

昭和35年に復活を遂げたの亀の井酒造ですが、休業していた17年のブランクはとても大きなものがありました。
仲の良い地元の酒蔵の応援などもあって酒造業を続けてきたのですが、造っている酒は普通酒が主体。

丁度、銘酒専門店という店が東京に姿を現し始めた頃。5代目は普通酒を小さく販売している現状を変えなければと考えていました。

昭和56年に大学の友だちの結婚式で東京に行った蔵元は、友人から「面白いところに連れて行ってやろう」という話になり、東京に出店していた大手日本酒蔵のアンテナショップに連れてこられます。

蔵元はそこで出会った「吟醸酒の生酒」に感動されます。こんな美味しいお酒があったのかと・・・。


くどき上手 亀の井酒造|麹室

早速その翌年に吟醸の生酒造りにチャレンジ開始。
ヨネシロという米を磨けるところまで磨こうと45%まで精米します。
思い切った高精米が良かったのか、造りが良かったのか、最初の造りにして蔵元も納得がいく酒が完成。東北の秋の鑑評会でも優等賞を受賞します。

初年度は「亀の井 吟醸 生酒」という酒名で発売を開始しますが、銘酒専門店に扱ってもらうためには、感じが良いブランド名が必要であると考えた蔵元は、奥様に「何かよい名前はないか」と相談をされます。

丁度、豊臣秀吉に関する歴史の本を読まれていた奥様は、今はたかが100石足らずの酒蔵ですが、500石、千石、2千石と出世をしていきたいですね。 豊臣秀吉は様々な人々を、口説き落として出世をしていきましたが、「くどき上手」となって出世ができれば、という話がきっかけとなり、酒名「くどき上手」が誕生します。


くどき上手 亀の井酒造|貯蔵庫 ご覧のように蔵は近代化されています。写真には入りきれていませんが、多くのサーマルタンクが並ぶ光景に圧巻されます。


昭和59年にくどき上手は東京への販路拡大を開始。

かつてのご縁で名刺交換した地酒専門店に飛び込んで行きますが、ブランドとしては無名ですが鑑評会等で良い成績を収めている事から、将来を見込まれる形で専門店の間で取扱いも増えていきます。

同時に西武百貨店でも採用が決まり、くどき上手は順調に売れていきます。そしてご縁があって吟醸酒協会に加盟。吟醸酒を味わう会では、くどき上手のブースの前には長蛇の列が出来るという人気ぶりです。

右肩上がりで出荷数量を伸ばして行ったくどき上手ですが、ここ新たなターニングポイントを迎えます。このまま3千石、5千石と伸びるところまで伸ばしていくべきか?それとも千石くらいまでを上限として、それ以上造らず品質を高めていくべきか。

蔵元は後者を選びます。拡張路線を改め販売店も33店舗に限定し、現在のくどき上手に至ります。


こちらは冒頭の写真にある白い建物の2階です。この建物を建てる際に、茶室を2階に移転させました。 くどき上手 亀の井酒造|茶室 この建物は1階が200坪の大貯蔵庫と出荷の前処理場所。
2階が茶室が置かれたイベントホール。


くどき上手 亀の井酒造|2階からの景色 蔵の四方は田んぼに囲まれています。
私が訪問した4月は田植え前なので写真のような景色。
やがて水が張られ、苗が植えられ、夏には緑に茂り、秋には黄金色となり、冬は雪が積もって真っ白になります。

秋になり黄金色に実った稲を、ここから眺めていると、お城の天守閣から眺めるお殿様のような気分になるとの事。


くどき上手 亀の井酒造|美術館 3階には美術館。
5代目蔵元の叔父、画家の今井繁三郎氏の作品が飾られています。
身内に芸術家がおられて、かつ美術館まで持つ酒蔵というのは156社まわった時点では亀の井酒造のみです。


くどき上手 亀の井酒造|記念撮影最後に訪問の証の記念撮影です。
とても多くのサーマルタンクが並ぶ蔵に驚く吾郎でした。


くどき上手のお求めは、亀の井酒造株式会社と直取引を行なっている
地酒.com 佐野屋 をご利用ください。 (フリーダイヤル:0120-464-135)
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。

商品一覧
くどき上手 純米吟醸 しぼりたて無濾過
くどき上手 辛口純米吟醸
くどき上手 白 ばくれん 吟醸酒 超辛口+20
くどき上手 生 ばくれん 吟醸生酒 超辛口+20
くどき上手 つや姫 純米吟醸生 にごり酒
くどき上手 酒未来 純米吟醸
くどき上手 酒未来44 純米大吟醸
くどき上手 亀の尾33 純米大吟醸
くどき上手 亀仙人 純米大吟醸
スーパーくどき上手 改良信交30 純米大吟醸
くどき上手 本流 播州愛山48 純米大吟醸
くどき上手 出羽燦々33 純米大吟醸 生
くどき上手 出羽燦々22 穀潰し 純米大吟醸
くどき上手 特A山田錦35% 大吟醸 澱がらみ
くどき上手 Jr. ジュニア 純米大吟醸
くどき上手 羽州山田錦48」 純米大吟醸
くどき上手 雄町44」 純米大吟醸
くどき上手 出羽の里44 純米大吟醸
くどき上手 美郷錦44 純米大吟醸
くどき上手 短稈渡船44 純米大吟醸
  

Posted by 佐野 吾郎 at 10:30TrackBack(0)山形県の酒蔵巡り

2011年04月25日

白露垂珠(はくろすいしゅ)|竹の露合資会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅。
155件目の訪問蔵は、
山形県の鶴岡市で白露垂珠(はくろすいしゅ)、竹の露という日本酒を醸す竹の露合資会社です。

白露垂珠(はくろすいしゅ)|竹の露

所在地:山形県鶴岡市羽黒町猪俣新田字田屋前133番地
銘柄:白露垂珠(はくろすいしゅ)、竹の露
創業:1858年(安政5年)6代目
杜氏:社員杜氏
仕込み水:軟水
訪問日:2011/4/25

代表銘柄
白露垂珠 純米大吟醸 出羽燦々
白露垂珠 特選純米酒
白露垂珠 純米吟醸 初しぼり

霊峰月山の麓、羽黒町に残る酒蔵「竹の露」。 白露垂珠(はくろすいしゅ)|竹の露合資会社 東北の霊場として名高い出羽三山神社の1つ羽黒山。その門前町として栄えた羽黒町には江戸末期には約30の酒蔵があったそうです。

竹の露合資会社は幕末の安政の大獄が起きた1年前の安政5年(1858年)、当時この地の地主であった金野 岩治氏によって創業された酒蔵です。

本家は金野 今平(こんぺい)氏といい、かつてまとまった人数で新潟から羽黒に移住してきました。
地名が「猪俣新田」である事から、新田を開拓し自分の土地を持つために移り住んできたのだと思われます。

一族がこの地に次々に分家をしていくのですが、その中でも比較的多くの土地を所有していた金野 岩治さんが造り酒屋をしようという事が、酒造業の始まりのようです。

創業当初の酒名は不明ですが、蔵の周囲が竹林があった事から、何時の頃からか「竹の露」という酒名を名乗るようになっていたそうです。

写真は仕込み水を貯蔵しているタンクです。 白露垂珠(はくろすいしゅ)|水 竹の露の自慢の一つが「仕込み水」。

かつては蔵の地域の水道水は「地下水」が用いられていました。
しかし2001年から月山ダムの貯め水に変わる事になります。
ダムの貯め水を仕込み水に使うことを嫌った蔵元は、井戸を掘る事を考えます。

井戸を掘り続ける事307メール。
クリスタルの岩盤層の中に、酒造りに最適な地下水を掘り当てます。


写真が地下水のデーター。 白露垂珠(はくろすいしゅ)|水のデータ 水1ccの中に含まれる一般細菌、大腸菌は0と書かれています。

自然水の場合、水1ccにつき検出される一般細菌の数は100個が基準値だそうですが竹の露の仕込み水はゼロ。
これは大変珍しいケースとのことです。

カドミウム、水銀など悪い要素については0.00・・・1未満という、検出不能というレベル。
どの数字を見ても基準値を大きく下回っています。
硬度は19ml。超軟水です。

竹の露はこの天然水を仕込み水に用いるのと同時に、井戸を地域に開放。
蔵の横に井戸を設け、住民が自由に水を汲むことが出来ます。


写真が竹の露の心臓部と言える麹室。 白露垂珠(はくろすいしゅ)|麹室 麹蓋が並んでいます。
特選純米酒以上のスペックの酒は、麹蓋を用いて1升盛りという少単位で麹作りを行っています。
出品酒並みの麹造りを、レギュラークラスの市販酒から行われています。


白露垂珠(はくろすいしゅ)|商品 写真は今年導入した充填機です。 記念撮影 この充填機は日本酒だけではなく「生水」を充填する事ができます。
お酒と生水が同じラインで充填できるのは日本で竹の露のみ。
素晴らしい地下水を商品をするために導入したそうです。

なんと「生水」の充填許可も日本で唯一だそうです。
説明を聞きいて驚く吾郎でした。




白露垂珠(はくろすいしゅ)のお求めは、竹の露合資会社と直取引を行なっている
地酒.com 佐野屋 をご利用ください。 (フリーダイヤル:0120-464-135)
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2011年04月25日

初孫|東北銘醸株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅。
154件目の訪問蔵は、
山形県の酒田市で初孫という日本酒を醸す東北銘醸株式会社です。

初孫|東北銘醸株式会社

所在地:山形県酒田市十里塚字村東山125−3
銘柄:初孫
創業:明治26年 4代目
杜氏:社員杜氏
仕込み水:中硬水
訪問日:2011/4/25

代表銘柄
初孫 生もと 純米酒
初孫 純米本辛口 魔斬(まきり)
初孫 純米大吟醸 祥瑞

鶴岡、酒田地区で最も大きな酒蔵。
山形のリーダー格の酒蔵の一つが初孫を造る東北銘醸株式会社です。 初孫|東北銘醸株式会社 初孫 東北銘醸株式会社は、代々酒田の港町で回船問屋を営んでいた金谷(かなや)商店の佐藤 久吉氏が、明治26年に酒造免許を取得し酒造業を開始した造り酒屋です。
創業当初の酒名は「金久(きんきゅう)」。

当時の酒田というのは、最上川の水運によって様々な物資が酒田港に集められ、そこに寄港する北前船によって全国に物流が行われていました。
京都や大阪から入る物資も多かった事から、東北の中でも酒田に関しては京都の文化の影響を受けていて、この地域のお味噌は白味噌、お持ちも丸く味付けは薄味。街には舞妓さんもいたそうです。

江戸時代から続く豪商「本間様には及びもないが せめてなりたや殿様に」という歌まで詠まれた、本間家が酒田にいました。
そのような背景から酒田は高い文化を持つ経済都市であった事が想像できます。

初孫酒造のルーツである金谷商店は回船問屋であった事から、酒造業を開始した当時は現在の場所ではなく酒田港のすぐ近くに位置していました。

しかし時代は流れ、水運の時代から鉄道の時代へ変化していきます。物流が船から汽車に変わることで、回船問屋の扱う物流量は減り産業が衰退、酒造業がメインになっていきます。

久吉氏は、時代の流れを敏感に察し、酒造業に参入されたのかもしれません。

初孫 東北銘醸株式会社|商品 酒名「初孫」は昭和のはじめに酒造業の創業者、佐藤 久吉氏に初孫が誕生した際に命名された酒です。

当時は大戦ムードが高かった時期なので、「◯◯正宗」とか「◯◯男山」といった勇ましい酒名が時代のトレンドでした。

今でこそ「初孫」という酒名はたいへん素晴らしい名前ですが、当時は周囲からの反対も多かったそうです。
久吉氏は初孫という商標を他人にゆずる事も考えますが思い止まり、初孫という名前の商品の販売を行います。

写真の方が今回、蔵をご案内していただきました取締役営業部長 後藤誠さんです。 初孫 東北銘醸株式会社|酒母室 写真は酒母室です。初孫では製造する酒の全量が「生もと」造りという、乳酸添加を行わない昔ながらの製造方法が行われいます。

生もとで造ると、特に辛口は後味のキレが良いこと。
味に奥行きが現れること。
燗酒にしても美味しい事。
熟成にしても味が上がってくる事。

酒の小売免許制が変わった事によって、今後は全国の地酒同士が競争する時代が来るであろう。大手の酒も山形に入ってくるだろう。
そのような時代を迎えるに当たって、他社と同じ確立された手法による酒造りをしても差が現れない。

特に大規模な地方蔵の場合、近代化・合理的な酒造りを行う傾向になるのですが、初孫に関しては「全量生もと造り」という昔ながらの手を尽くした酒造り行わないと、良い酒が出来ないだろう。
そう考えて、平成6年から全量生もと造りを開始します。

現在は全量生もと造りに至っています。

私が訪問した時期は、今季の製造が終了していましたが、ご覧のように綺麗に整っていました。

初孫 東北銘醸株式会社|麹室 初孫は万石クラスの酒蔵です。その為、機械による麹作りも行っていますが、写真のように麹蓋を用いた1升盛りの麹作りも行われています。


写真は仕込み部屋です。レギュラーから純米クラスの酒がこの部屋で仕込まれています。 初孫 東北銘醸株式会社|仕込み部屋_上


上記の仕込み部屋を下から見たらこうなります。 初孫 東北銘醸株式会社|仕込み部屋_下


こちらは槽場です。圧搾機の色が素敵ですね。 初孫 東北銘醸株式会社|槽場 薮田社の圧搾機が2機ありますが、注目は地べたに置かれていない事。

酒粕は下に落とされます。高台にする事で、下で台車で受けて運ぶのに便利になります。また酒粕を受ける台車も地面から高く出来ますので衛生的にも良くなります。

初孫 東北銘醸株式会社|記念撮影 最後に訪問の証の記念撮影です。

とても清潔に整えられた近代的な酒蔵にて、クラッシックな手法で酒つくりが行われている事に驚く吾郎でした。




商品の購入・質問は初孫|東北銘醸株式会社へお問い合せ下さい。
TEL:0234-31-1515 初孫醸造元 東北銘醸株式会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。  

Posted by 佐野 吾郎 at 16:00TrackBack(0)山形県の酒蔵巡り