2011年03月02日

日本城・車坂・鉄砲隊|吉村秀雄商店

新進気鋭 酒蔵訪問の旅。
130件目の訪問蔵は、
和歌山県岩出市で車坂・鉄砲隊という酒を醸す吉村秀雄商店です。

日本城・車坂・鉄砲隊|吉村秀雄商店

所在地:和歌山県岩出市畑毛72
銘柄:日本城,車坂,鉄砲隊
創業:大正4年 4代
杜氏:但馬杜氏
仕込み水:中軟水 紀の川の伏流水
訪問日:2011/3/2

代表銘柄
日本城 極上純米酒
鉄砲隊 純米吟醸 和歌山山田錦
車坂 播州山田錦 純米吟醸
じゃばら酒


和歌山県で日本城、車坂という地酒を造る「吉村秀雄商店」は、大正4年吉村秀雄氏が起業した蔵元です。
日本城 車坂 鉄砲隊 吉村秀雄商店

吉村秀雄氏は、この地に続く名主の9男として明治29生まれました。

当時吉村家は生糸の生産をしており、同時に小作人から地代であった米が入ってきたました。
裕福な家庭で生まれて来た秀雄氏は15歳の時に家を離れ、灘の酒蔵に修業に行きます。

そして29歳になった大正4年に酒造業を起業します。
創業当時は、吉村秀雄氏とその妻であったちよさんとが大八車で酒樽を引っ張って、地元に酒を売り歩いていた小さな酒蔵だったそうです。

その後、遠縁の方を手がかりに、東京方面に強い卸し問屋さんとの取引を得て、東京や山梨といった市場に販路を拡大。
それによって小さな蔵が大きく成長をはじめます。


上記の蔵の外観の写真には煙突が2本映っています。
蔵が2つあり、それぞれの蔵に但馬杜氏が入り、同じ蔵の中で二人の杜氏を競い合わせて良い酒を造っていたそうです。

2代目に入ってからは灘にも酒蔵を建てられます。
当時、和歌山では灘の酒が大変重宝されていて「灘の生一本」という言葉はブランドだったそうです。
灘に蔵を出すことによって「灘の生一本」をいうブランドを手に入れ、地元で販路を拡大する事を考えました。
灘への進出については、地元にこだわる創業者と2代目の間で、確執があったようですが、若い意見を聞き入れる形で灘に蔵を増設。
最盛期には約2万石の酒を造られるようになり和歌山で最大の蔵へと成長ます。


写真の方が吉村秀雄商店の吉村猛さんです。蔵をご案内していただきました。
車坂_日本城_仕込み部屋.jpg吉村秀雄商店は現在、地元ブランドとして代々続く「日本城にほんじょう)」の他に、平成17に創立した県外向けの特別酒「鉄砲隊」、平成18年に「車坂」という日本酒を中心に。
日本酒以外では、焼酎、梅酒、地元の果実で造るリキュールを生産しています。

酒つくりは代々、兵庫の但馬杜氏が携わっています。

写真の方が吉村秀雄商店の杜氏、林本 嘉宣さんです。
吉村秀雄商店で酒造りをされて45年が経つ但馬杜氏のベテランです。
車坂_日本城_杜氏.jpg現在の吉村秀雄商店が造る日本酒は、ベテラン杜氏である林本 嘉宣さんの腕によって造られる酒。

現在の造り酒屋の多くは、蔵が造りたい酒と思う酒を杜氏に造らせている「蔵元酒質設計型」が主流で、杜氏制をやめて社員や蔵の家族が酒を造ってしまおう、という蔵が増えています。
しかし中には、杜氏の技や感性を大切に酒つくりを行う「デザイナーズ杜氏」型の酒蔵もあります。

吉村秀雄商店は「デザイナーズ杜氏」寄りの酒蔵という印象を受けました。

蔵は杜氏を信用されており、偽りのない正直な酒造りをモットーとし、素材が良くなければ良い酒は造れない、との考えで米を吟味から、精米の加減はもちろん最終的に出来上がるお酒の像まで、杜氏の考えが盛り込まれています。

蔵は杜氏を信用しており、また杜氏が造る酒を高く評価し、良い関係で酒造りが行われています。


車坂_日本城_酒母.jpg

写真は釜場です。連続蒸し米機の他に、木の甑が現役で使用されています。
車坂_日本城_木釜.jpg

写真は地下にある貯蔵蔵です。
車坂_日本城_貯蔵庫.jpg吉村秀雄商店が造る、車坂や鉄砲隊は「熟成タイプ」の酒が多く、冬季に造った酒の多くは、この地下の貯蔵庫で寝かされて出荷を待ちます。

新酒で出荷されている商品もありますが、レギュラー酒で1年くらいは寝かせるそうです。


写真は精米機です。自社で精米されています。
車坂_日本城_精米機.jpg

最後に訪問の証の記念撮影です。
この蔵の名物「出品酒」の出来立の新酒を試飲させていただきました。
車坂_日本城_記念撮影.jpg出品酒を感じさせる優雅な香りに思わずニッコリしてしまう吾郎でした。

ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。

  

Posted by 佐野 吾郎 at 10:40TrackBack(0)和歌山県の酒蔵巡り

2011年02月24日

紀土(KID)・鶴梅・紀美野|平和酒造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅。
127件目の訪問蔵は、
和歌山県海南市で紀土(KID)・鶴梅・紀美野という酒を醸す平和酒造株式会社です。

紀土(KID)・鶴梅・紀美野|平和酒造株式会社

所在地:和歌山県海南市溝ノ口119
銘柄:紀土・鶴梅・紀美野
創業:昭和3年 4代
杜氏:社員杜氏 南部杜氏
仕込み水:中軟水 貴志川の伏流水
訪問日:2011/2/24

代表銘柄
紀土 純米酒
紀土 純米吟醸
鶴梅の梅酒
純米酒 紀美野 生原酒



和歌山県の新進気鋭、紀土と書いてキッドと読む日本酒。
新しい世代の日本酒ファンを創出を目的に造られている酒が紀土KID)です。
紀土(KID) 鶴梅 紀美野 平和酒造株式会社

平和酒造は昭和3年に創業した酒造業の中では比較的新しい蔵元。

蔵のルーツは、室町時代から続く「無量山 超願寺」というお寺です。

高野山に続く道に建てられた寺院として、室町時代→江戸時代→明治→大正→昭和と歴史を重ねてきたのですが、婿養子さんが谷口酒造という酒蔵から来られます。
その方が生家の家業であった酒造業が忘れられなかったのか、酒造業を始めらられ、お寺から酒蔵に代わったそうです。

お寺の住職さんが造り酒屋を開業する、というケースは珍しいかと思います。

蔵の玄関の門は、お寺での時の門が使われているそうです。
そう言われたらなんとなくお寺っぽい外観の蔵ですね。

その後、第2時大戦中の国家総動員法によって、国から休業の命令が出て酒造りが中断。そして再び酒造りを行えるようになったのが昭和27年。
平和な時代に酒つくりが出来るという思いから、蔵の名前が現在の「平和酒造」となったそうです。



写真の方は平和酒造の後継者、山本 典正さん。1978年生まれの32歳です。
平和酒造_仕込部屋.jpg平和酒造は昔ながらの建物の中で酒造りが行われていますが、床はご覧のとおり白い塗装が施され、木材には柿渋がぬられています。

外観こそ昔ながらの酒蔵の装いですが、中は近代的でとても衛生的であり清潔な酒蔵です。
山本 典正さん自らもご覧のように蔵の中を回られる際は、頭に帽子をかぶられています。



写真の方が平和酒造で杜氏を務める柴田 英道さん(36歳)。
平和酒造_杜氏.jpg山本 典正さんは今から6年前の28歳の時に蔵に入られて、柴田 英道杜氏と二人三脚で蔵の改革を行って来ました。

現在の平和酒造の蔵人の平均年齢は27.5歳。

若い人々によって造られている日本酒が紀土キッド)です。
まだ立ち上げて2年目という新しい銘柄です。


和歌山県で造られている日本酒の多くは、旨口の酒であると言われています。
それに対し紀土は、旨口系の酒ではありません。
綺麗さ、爽快さ、切れ味で飲んでもらう酒です。


和歌山の酒として何を表現するのか?を考えたとき、もちろん地元の和歌山でとれる米も重要ですが、和歌山は山が多く決して稲作が有利な土地ではありません。

平和酒造は何を表現すべきなのか?
蔵元と柴田杜氏が一緒になって考えた結果「逆に、山が多い点に強みがある」事に気が付きます。

山が多いという事は水が綺麗なのです。

仕込み水はもちろんの事、一般家庭の水道水でさえ、仕込み水に間違えられるくらい、とても澄んだ透明感ある水なのです。


清らかな貴志川の伏流水を酒に表現したい。
和歌山の水の良さをお客様に感じていただきたい。

また蔵元自身も少し軽いお酒が好きで、そのほうが飲みやすく、若い世代の方が日本酒の世界に入って行きやすいと考えた事から、紀土は淡麗とまでは行きませんが、やや辛口の酒が主体との事です。


写真は釜場とその天井です。私は釜場の天井が好きです。
それぞれの蔵の工夫が釜場の天井に現れていて、良い蔵ほど芸術美があります。
平和酒造_釜場.jpg
そして紀土のもう一つの目的が、新しい世代の日本酒ファンの創出です。

最初の方に書きましたが平和酒造の蔵人の平均年齢は27.5歳という若さです。
造り手と世代が近い、若い消費者層に日本酒をアピールできる強みがあります。

山本 典正さんが、心がけている事が3つあるそうですが、

・一つは和歌山を大切にしていく事。
・若い飲み手を育てられる蔵である事。
・日本の文化を世界に表現していく事。

この3つ全ては「若い人々にいかに飲んでいただくか」に集約できる、と考えています。

そういう意味では、これからの飲み手を育てていく事はとても大切な事です。
若い方達に日本酒をいかにアピールしていくか?


紀土(キッド)という酒名は、若い方に飲んでもらいたい、という気持ちも表現されていて、「子供を育てるような気持ちで、若い飲み手を育みたい」という意味が含まれているとの事。

良いお酒を造ることで若い消費者を日本酒に振り向かせたい。
その為に造られている日本酒が紀土なのです。



麹造りは麹蓋(こうじぶた)で手作業で行われています。
平和酒造_麹.jpg

私が訪問した日は、たまたま出品酒用の雫酒が採取していました。
平和酒造_雫取り.jpg竹筒から酒袋が吊るされています。
ビニールが被せられているのは、外気を遮断する事が目的。


雫酒を採取している斗ビンです。
斗瓶の口部分もビニールで覆い外気を遮断しています。
平和酒造_斗瓶.jpg
出品酒を利き酒される蔵元。
平和酒造_蔵元.jpg
蔵には至る所にビニールカーテンによって遮断が行われています。
ビニールカーテンもピカピカの新品です。

天井や梁もご覧のとおり、柿渋が塗られ、とても清潔な印象を受けます。



最後に訪問の証として、蔵の中庭で記念撮影です。
水の美味しさに満面の笑みになる吾郎でした。
平和酒造_記念撮影.jpg
商品の購入・質問は平和酒造株式会社へお問い合せ下さい。
TEL:073-487-0189 紀土・鶴梅・紀美野醸造元 平和酒造株式会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。   

Posted by 佐野 吾郎 at 10:34TrackBack(0)和歌山県の酒蔵巡り

2011年02月24日

長久・超超久・紀国屋文左衛門|中野BC株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅。
126件目の訪問蔵は、
和歌山県海南市で長久超超久・紀国屋文左衛門という酒を醸す中野BC株式会社です。

長久・超超久・紀国屋文左衛門|<中野BC株式会社

所在地:和歌山県海南市藤白758-45
銘柄:長久超超久・紀国屋文左衛門
創業:昭和33年(酒造業) 2代
杜氏:社員杜氏 但馬流
仕込み水:軟水
訪問日:2011/2/24

代表銘柄
超超久 純米吟醸 無濾過生
紀伊国屋文左衛門 純米酒
長久 本醸造
紀州 蜂蜜梅酒
紀州 緑茶梅酒


現在和歌山県で最も生産規模が大きな蔵元、中野BC株式会社です。
長久 超超久 中野BC株式会社

現在で2代目という酒蔵としては若い蔵です。

蔵の誕生の経緯ですが、創業者である中野 利生氏は、大工をされていたそうですが、
昭和7年「中野醤油店」を創業。醤油の製造販売を開始します。

創業当初は従業員が2〜3人という零細で、大工出身であったことから蔵の設備等は自前で賄っていたそうです。

しかし他社に類を見ない蒸熟法「大豆蒸熟法」で品質の向上と製造の合理化に成功。

関西初の薄口醤油を造るなど、商売を成功させ、当時和歌山県下で163蔵もあった醤油蔵の中で3位の規模にまで成長しました。

そして昭和24年、酒造業に着手しますが最初に免許を取得したのは「焼酎」でした。
これがヒットし3年で和歌山県で最大の規模になります。
次に梅酒を着手し、昭和33年に日本酒の製造を開始します。



写真は大規模プラントの仕込蔵です。
中野BC_大ロット.jpg和歌山県で最も新しく酒造業に参入した中野BCですが、昭和33年に日本酒の製造を開始し、19年後の昭和53年には県内1位の規模の酒蔵になります。

ここまで急成長した理由は何でしょうか?

和歌山の地盤ですが、灘や伏見に近く、競争相手というのは地元の蔵ではなく、灘や伏見の酒蔵になります。

和歌山の消費者も、地元の酒よりも県外の酒を有難がる傾向があり、特にその当時は「灘の生一本」というのは日本酒においてとても強力なブランドだったのです。

灘や伏見で造られるお酒にはとても強いブランド力があった為、和歌山の酒蔵の中には、灘や伏見に酒蔵を移転させる蔵も珍しくありませんでした。

羅生門、日本城などはかつて灘に蔵を移転し、そこで造った酒を、地元の和歌山に持って帰ってきて販売していたのです。
玉乃光は伏見に移転し、今ではすっかり伏見の酒蔵です。

そんな逆境に置かれた中野BCが行った戦術とは、灘よりも一歩上の品質の酒を目指したことでした。

長久の2級酒のレベルを、灘の1級酒のレベル以上の酒質にレベルアップさせます。
長久の1級酒は、灘の特級酒以上の酒質にレベルアップさせます。

ブランドで勝てない分、味のパフォーマンスで勝負をしたのです。
(現在の特定名称酒市場と同じですね)

また和歌山県は醤油発祥の地です。
そして海に恵まれていることから海産物が豊富です。
その結果、和歌山では「魚を醤油で煮炊きする料理」が郷土料理として愛されています。

醤油に砂糖を加えて煮炊きした魚料理は、淡麗辛口の日本酒は合わず、少し味に旨味がある酒が好まれます。

長久はそのあたりも考え、少し味が濃い旨口の酒を造ったことから、その味が消費者に認められ、シェアを伸ばして約20年で和歌山県のトップの座に躍り出ます。




特定名称酒は、ご覧のように小仕込みが行われています。
中野BC_小仕込みタンク.jpg

写真の男性は中野BCで杜氏をつとめる河嶋 雅基さんです。
昭和43年生まれの42歳。流派は但馬流になります。
中野BC_杜氏.jpg

写真は出品酒用に使う斗瓶(とびん)です。

中野BC_斗瓶.jpgまもなく出品酒を詰めるために使うために、水洗いが行われていました。
満タンまで水が入っていますが、10回水を入れ替えて洗うそうです。

雫を取るだけではなく、斗瓶の洗浄から大変な作業なのです。


写真は中野BCのこだわり日本酒ブランドの一角「紀伊国屋文左衛門」です。
中野BC_商品.jpg紀伊国屋文左衛門の他にも、「超超久」という名前のこだわりブランドもあります。
味わいは「淡麗辛口とは逆の路線」、芳醇旨口タイプの酒との事。

日本酒、焼酎、梅酒の他にワインも造られており、梅の濃縮果汁を造る技術を活かして、清涼飲料の原料の生産も行われており、飲料全体の総合企業に向けて成長を続けています。



蔵の敷地は13700坪。
その中に3700坪の広さの長久邸が構えます。
一人の大工が1代で築いた、紀伊国屋文左衛門の日本酒バージョンのような話ですね。
中野BC_長久邸.jpg長久邸は一般公開されておりまして、蔵見学を行った際に観ることができます。
お座敷があり、長久邸でお酒の会なども行っているそうです。



写真は貯蔵タンクの下で記念撮影。。
あまりにも背が高いタンクに驚く吾郎でした。
中野BC_記念撮影.jpg
商品の購入・質問は中野BC株式会社へお問い合せ下さい。
TEL:0120-05-0609 長久超超久・紀国屋文左衛門醸造元 中野BC株式会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。   

Posted by 佐野 吾郎 at 10:12TrackBack(0)和歌山県の酒蔵巡り