2011年03月03日

世界一統・南方|株式会社世界一統

新進気鋭 酒蔵訪問の旅。
135件目の訪問蔵は、
和歌山県で世界一統・南方という酒を醸す株式会社世界一統です。

世界一統・南方|株式会社世界一統

所在地:和歌山県和歌山市湊紺屋町1丁目10
銘柄:世界一統,南方
創業:明治17年 6代
杜氏:社員杜氏 無所属
仕込み水:弱硬水
訪問日:2011/3/3

代表銘柄
世界一統 特撰
大吟醸 熊楠
限定醸造 純米吟醸 南方
超特撰特醸大吟醸 イチ



和歌山城の城下町。
かつて紀州藩の藩校があった場所に建つ酒蔵が世界一統せかいっとう)です。
株式会社世界一統

和歌山の城下で商いをしていた南方弥右衛門氏が、明治17年に紀州侯の籾倉を譲りうけ、南方酒造の名で酒造業を創業。

写真の通り、直ぐ近くに和歌山城を望む場所に蔵があります。ご城下のよい場所で代々商売が出来た訳ですから、クラスが高い商人だったことが想像できます。

その創業者の次男が南方熊楠であり、熊楠は学者の道に進んだため、その弟の常楠氏が2代目を継ぐことになります。

2代目を継いだ南方常楠氏は早稲田大学の出身で、当時早稲田の学長であり、後に内閣総理大臣になられる大隈重信候にお願いし、命名いただいた名前が「世界一統」です。

蔵のすぐとなりは、和歌山城の外堀となる川が流れています。
世界一統_外観.jpg世界一統が造る酒の半分以上が和歌山県内に出荷。

地元以外では大阪と首都圏に出荷されていますが、大阪の立ち飲み系の居酒屋探訪記などの取材で、度々世界一統の酒が紹介されるなど、昔から大衆酒として愛されてきた酒です。

世界一統は、昨年(2010年)まで、但馬杜氏が酒造りを行っていました。
しかし今年の造りから、京都の齊藤酒造(英勲)で酒造技師をされていた武田博文氏が杜氏をしたい、という事で新生世界入社。

昨年は平均年齢が65歳でしたが、今年は35歳と一気に若返りました。

これから将来を見据えて良い酒を造れる環境が出来ました。

写真の方が2011年から世界一統の杜氏を務める武田博文さん(40歳)です。
世界一統_杜氏.jpg
他県と比べて温暖な和歌山ですが、県内の酒蔵の多くは「やや味がある旨口傾向」の酒が多いのですが、世界一統が造る酒は、和歌山の中ではキレがある辛口の酒を造られてきました。

そのような背景の中、新しい杜氏の武田さんは「過去に世界一統が造ってきた辛口の伝統を守りつつも、味にふくらみを加えた酒を造っていきたい」と語っていただきました。




写真は浸漬タンクと釜場です。左の浸漬タンクから米を落下させ、コンベアで甑に運びます。
世界一統_釜場.jpg


このタンクの中、世界一統が発酵しています。
世界一統_仕込み部屋.jpg

写真の商品、世界一統のこだわりブランドの南方(みなかた)。今年で3年目になります。
世界一統_商品.jpg南方は、全て無濾過の原酒(生・火入れ)です。
大量生産をせず、きっちりとした品質管理が行える地酒専門店に出荷される限定流通品です。




和歌山産の果物で造ったリキュール、商品名は生産地をいれています。
世界一統_リキュール.jpg

訪問の証の記念撮影ですが、蔵の屋上に上がらせていただき、大看板の下で撮影。
この看板ですが真下で見るとかなり迫力がありました。
世界一統_記念撮影.jpg今、和歌山は「世代交代」の時代に入っていて、世界一統、平和酒造、中野BC、田端酒造など、次の世代の20代〜30代の方が酒造りを開始されています。
栃木に似た若いパワーの台頭を感じました。

商品の購入・質問は株式会社世界一統へお問い合せ下さい。
TEL:073-433-1441 世界一統・南方醸造元 株式会社 世界一統
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。   
タグ :6代弱硬水

Posted by 佐野 吾郎 at 15:30TrackBack(0)和歌山県の酒蔵巡り

2011年03月03日

龍神丸・紀勢鶴|高垣酒造場

新進気鋭 酒蔵訪問の旅。
134件目の訪問蔵は、
和歌山県で龍神丸,紀勢鶴という酒を醸す高垣酒造場です。

龍神丸・紀勢鶴|高垣酒造場

所在地:和歌山県有田郡有田川町大字小川1465
銘柄:龍神丸,紀勢鶴,喜楽里
創業:天保11年 1870年
訪問日:2011/3/3

代表銘柄
龍神丸
喜楽里(きらり)
紀勢鶴(きせいつる)


山の斜面はみかん畑ばかり。
そんな光景が広がる有田川沿いの国道を走り、道が細くなって来た静かな町にひっそりと佇む酒蔵、高垣酒造場
龍神丸 高垣酒造 外観

高垣酒造場の歴史は古く、創業は1840年(天保11年)。
171年間、途絶える事無く酒造りが続けられてきた酒蔵です。

戦中戦後、国家総動員法で酒造りの休業を命じられた為、多くの酒蔵では一時的に酒つくりが途絶えています。

「何故、ウチのような小さな蔵が免除されたのか解かりませんが、創業当時から一度も途絶えること無く171年間酒造りを続けてきました。」
そう語るのは高垣任世(ひでよ)さん。


高垣酒造場紀勢鶴(きせいつる)の酒名で、地元で愛される日本酒を製造されてきました。
それが8代目蔵元、高垣淳一さんがこだわりの酒「龍神丸」という酒を造られます。


淳一さんは淡々と酒を造られていたそうで、自身が好きだから酒を造る。
市場に媚びる酒ではなく、自分が納得出来る酒を造りたい。
そういう気持ちで造ったこだわりの酒が龍神丸でした。

やがて様々な酒を発掘したいとアンテナを伸ばしている小売店の中から、高垣酒造場まで足を伸ばしてくる酒販店が現れます。
そうして蔵に訪問した小売店の中で、意気投合できるお店に龍神丸が広がっていきます。

当然そのようなお酒は小売店も大切に販売されます。
そうやって龍神丸はリピーターも現れ、静かにファンを広げています。


龍神丸_外観2.jpgそんなある時、漫画「もやしもん」の作者の方が酒造りの取材の蔵に来られたそうです。
日本酒人口が減っているという背景から、日本酒をPRする手助けになれば、と思いから取材に協力されます。

その親切な対応に作者が感謝されたようで、日突然電話で「龍神丸を今週号に掲載しますよ」という連絡を受けます。
その結果、全国に名が知られる酒になるのですが、任世さんのお話によると、既にその頃には、人気の酒となり、多くのリピーターが付いておられたそうです。

全国区に知れ渡った後も、自身が納得される酒をコツコツ造るというスタイルは変えず、昔からのリピーターを大切にされ、2010年には170周年を迎えますが、突然の不幸が起きます。
淳一さんが47歳の若さでご他界します。

私は蔵元とは世代が近く、この詳細については取材は控えさせていただきました。


既に翌年の酒造り用の米の発注を済ませた後で、170年間酒造りを継続した蔵の歴史もあります。
前年には170周年を記念し喜楽里(きらり)という酒も発売されています。

酒造りの歴史を途絶えさせてはいけないとの思いから、任世さんは先代の力を借りて酒造りを継続。
長い歴史を途絶えさせる事無く、酒造りを続けられました。

大変な時期にも関わらず、快く取材を受けていただき、有難うございます。

これからも高垣酒造場を応援したいと思います。


  

Posted by 佐野 吾郎 at 13:30TrackBack(0)和歌山県の酒蔵巡り

2011年03月03日

羅生門・七人の侍|田端酒造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅。
133件目の訪問蔵は、
和歌山県和歌山市で羅生門,七人の侍という酒を醸す田端酒造株式会社です。

羅生門・七人の侍|田端酒造株式会社

所在地:和歌山県和歌山市木広町5丁目2ー15
銘柄:羅生門,七人の侍
創業:嘉永4年 1851年
杜氏:南部杜氏
仕込み水:弱硬水
訪問日:2011/3/3

代表銘柄
羅生門 龍寿 純米大吟醸
羅生門 鳳寿 大吟醸
羅生門 純米吟醸
大東一 飛切 本醸造
七人の侍 純米酒


和歌山の地酒の中、高品質路線の先駆けとなった銘酒が「羅生門」です。
羅生門 田端酒造株式会社

羅生門で有名な田端酒造株式会社は、嘉永4年(1851年)、紀州藩徳川家より酒造株を受け、酒造業を開始されたという由緒ある酒蔵です。

羅生門という酒名の由来は、5代目蔵元が黒澤明監督を敬愛されており、映画「羅生門」がヴェネツィア国際映画祭グランプリを受賞。
その際に感銘を受けた5代目は酒名として用いることを考え、その後商標登録を行い商品化しました。

羅生門は大吟醸、純米大吟醸、純米吟醸の3種類で、高級酒のみに命名される田端酒造のフラッグシップです。
兵庫の吉川産の特A地区山田錦が原料米に用いられています。

羅生門 純米大吟醸 龍寿はモンドセレクションへの出品酒であり22年連続最高金賞を受賞しています。

この酒は、現在のような地方の銘酒を専門に販売する「銘酒専門店が少なかった」頃から、こだわりの高級酒として百貨店に並び、その昔佐野屋が一般酒販店だった時代に、仕入れたくとも問屋さんが卸してくれないという「幻の酒」の先駆けのような存在であった事を覚えています。

羅生門は決まったお店にしか出荷されない商品であり、限定流通の先駆けでした。


羅生門を造る田端酒造は「蔵の中は非公開」なのですが、今回特別にご案内していただきました。
羅生門_杜氏.jpg写真の方が田端酒造で杜氏を務める山本浩伸さん。
流派は南部杜氏になります。
酒造歴は16年。先代の杜氏に付いて純米大吟醸 龍寿の仕込みを教わって来られたそうです。

水は紀の川の伏流水(弱硬水)を使用。
主に用いる原料米は、兵庫の吉川産の特A地区山田錦に他には、五百万石、去年から発売した「さとこのお酒」は全量和歌山産の米(山田錦)が用いられています。

さとこのお酒」とは現社長の娘さん「聡子さん」による酒で、和歌山産の米、紀の川の伏流水、和歌山酵母を用いた純和歌山産の酒です。
蔵に入られ酒造りの仕事に就いて4年目。昨年「さとこのお酒」を販売したところ、マスコミなどに取り上げられて早々に完売したヒット商品とのこと。

あと最近では「七人の侍」という名の純米酒を発売。
こちらは、普段晩酌できる価格帯で造るこだわり純米酒という路線です。
原料米には五百万石が用いられている、辛口の食中純米酒です。

2010年の秋に、家族で和歌山に旅行に行った際に、海沿いのお店で浜焼きと一緒に「七人の侍」を戴きました。醤油などで焼いた魚介類にはとても相性が良い程良く辛い旨口の純米酒であったことを記憶しています。


羅生門_仕込み部屋.jpg蔵は昭和28年に建てられた鉄筋コンクリート3階建てです。

訪問する前は、もっと機械化された近代的な蔵というイメージがありました。建物こそは近代化されいますが、造りの手法はクラシカルです。


最後の訪問の証の記念撮影です。
注目の酒、さとこさんが造ったお酒を飲んでみたいと思う吾郎でした。
羅生門_記念撮影.jpg

商品の購入・質問は田端酒造株式会社へお問い合せ下さい。
TEL:073-424-7121 羅生門,七人の侍醸造元 田端酒造株式会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。  

Posted by 佐野 吾郎 at 11:00TrackBack(0)和歌山県の酒蔵巡り

2011年03月02日

黒牛(くろうし)・菊御代|名手酒造店

新進気鋭 酒蔵訪問の旅。
132件目の訪問蔵は、
和歌山県海南市で黒牛(くろうし)・菊御代という酒を醸す名手酒造店です。

黒牛・菊御代|名手酒造店

所在地:和歌山県海南市黒江846
銘柄:黒牛・菊御代
創業:1866年 5代目
杜氏:但馬杜氏
仕込み水:弱硬水
訪問日:2011/3/2

代表銘柄
黒牛 純米酒
黒牛 純米酒 無濾過生原酒
一掴 大吟醸


日本酒ファンの間で人気の地酒、黒牛くろうし)で有名な名手酒造店
黒牛(くろうし) 名手酒造店

名手酒造店は慶応2年(1866年)に名手源兵衛氏が創業した酒蔵です。

創業当時、蔵は今の位置から約100メートル離れた場所にあったそうですが、明治5年に建物ごと引っ張って来て今の位置の移転。当時は約80石の酒を造っていたと記録に残っているそうです。
(写真の建物は大正5年〜7年頃に建てられたものです。この裏にある蔵が建物ごと引っ張ってきたそうで、江戸時代頃に建てられたものもあるとの事です)


創業者はいずれもパワフルな人物が多いのですが、名手酒造店の創業者もパワフルな方でした。

農村の出であった源兵衛氏は肥料屋に奉公に入ります。

やがて肥料屋の本家から暖簾分けを受け、ろうそく屋を創業しますが事業に失敗。
再び本家の肥料屋への奉公と逆戻りすることになります。

しかし自分の店を持ちたい希望は捨てきれず、酒造業の起業を考えますが、ろうそく屋で失敗た経緯があるので、そう簡単にはいきません。
ハンディがありながらも、本家を説得し200両を借り受けて酒造業を開業します。

無い背水の陣の思いで起業されたのでしょう。


写真の方が名手酒造店5代目の名手 孝和さんです。
黒牛_貯蔵タンク.jpg
源兵衛氏の決断は成功します。
創業当初は80石でスタートした名手酒造店ですが明治時代に入り業績を伸ばし、大正時代には更に業績が良かったのでしょう。
現在の蔵の本宅となる建物(先頭の写真)を大正の5年から7年にかけて建てられます。
本家から借り入れた200両も利息をつけて返済され事業は軌道に乗っていきます。


現在和歌山県で稼動している造り酒屋は、大正から昭和にかけて創業した酒蔵と、江戸時代から続く酒蔵に2分されますが、名手酒造店は後者の戦前前から続く「旦那衆」に属する造り酒屋になります。



写真は薮田(やぶた)と呼ばれる、日本酒の圧搾機です。タンクで発酵していた醪(もろみ)をこの圧搾機で濾して、日本酒と酒粕に分離します。
黒牛_蔵元.jpg

和歌山県は海岸線からすぐ山という地形から、海岸線しか移動できないという時代が近年まで続いてきました。
となると三重県か大阪府に移動するしかありません。
隣接する県に奈良もありますが、山道が続く上に市場消費地といえる奈良市内までは遠く、不便なのです。

商業的に日本酒を売り込みに行く大消費地を考えると、大阪になるのですがその大阪は灘と伏見の2大勢力のお膝元。
この市場に和歌山酒が入り込むことは難しいどころか、「灘の酒蔵が日帰りで営業できる距離に和歌山があった」ことから、逆に灘の日本酒が和歌山県内を進出してきました。

和歌山の消費者にとって、灘の日本酒はとても魅力的な存在であり「灘の生一本」というのはとても強いブランドでした。

そのような背景から、和歌山の酒蔵の中には灘に蔵を構え、灘で造った酒に「灘の生一本」というブランドを引っさげて、地元に持って帰ってくるという蔵が現れました。それらの酒蔵は力をつけて和歌山を代表する蔵に成長していきます。

それに対し大規模化に進まなかった名手酒造店は厳しい状況に迫られます。



写真は大吟醸 一掴(ひとつかみ)黒牛 純米大吟醸を仕込む部屋です。
黒牛_仕込み部屋.jpg昭和63年の大晦日、
信託銀行に務められていた名手 孝和さんが銀行を退職し蔵に戻ってこられます。

その当時、名手酒造の年間製造国数は450石。

蔵を継続するのか、廃業をするのか2つの選択に迫られていたそうですが、銀行を辞めて蔵に戻ってこられた孝和さんの選択は「続ける」以外にありません。

その当時は既に「吟醸酒」の市場が存在していましたが、孝和さんは純米酒を造っていくことを考えます。

バブル崩壊後、現実的に毎日の晩酌に出来ないような高級酒ではなく、普段の晩酌が出来て尚かつこだわりが感じられる本格志向の酒、黒牛 純米酒を企画します。

平成元年の仕込みから純米酒造りを開始し、平成2年には黒牛の発売を行います。
同時に蔵に隣接する土地を確保に成功。設備的に純米酒を造っていける体制が整えていきます。

もしこの土地が手に入らなかったら黒牛は無かっただろう、孝和さんはそう話されました。



黒牛_仕込み部屋2.jpg
バブル崩壊後の本物志向と低価格志向が混在した時代、2千円台で購入できるこだわりの純米酒である黒牛はヒットします。

まだ和歌山の地酒が「銘酒専門店」と呼ばれる酒屋に並ばなかった時代、黒牛が和歌山の地酒の中で先駆けとなり銘酒専門店に並び始めます。

温暖で梅とミカンの特産地であり、日本酒の銘醸地とはイメージが遠い和歌山県。
「銘酒」のジャンルでは販売が難しいと思われていた和歌山の地酒において、新たな方向性を示した蔵と言えます。



写真は釜場です。蔵は時代と共に周辺の土地を吸収し、大きくなってきました。
黒牛_釜場.jpg

最後に訪問の証の記念撮影です。蔵に隣接する「黒牛茶屋」で撮影しました。
黒牛_記念撮影.jpg今年の新酒の出来映えを確認。
新商品「黒牛 純米吟醸 ふなくち搾り 本生原酒は試飲で即決、その場で仕入れを決定。
35ケース中15ケースを買占めようと考えながら試飲する吾郎でした。




ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。  

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2011年03月02日

初桜・高野山の般若湯|初桜酒造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅。
131件目の訪問蔵は、
和歌山県岩出市で初桜・高野山の般若湯という酒を醸す初桜酒造です。

初桜・高野山の般若湯|初桜酒造株式会社

所在地:和歌山県伊都郡かつらぎ町大字中飯降85
銘柄:初桜,高野山の般若湯
創業:1765年(明和二年) 3代(笠勝家以降)
杜氏:但馬杜氏
仕込み水:弱硬水
訪問日:2011/3/2

代表銘柄
高野山般若湯 純米吟醸酒  聖 HIJIRI
高野山般若湯 純米酒
高野山般若湯 徳利
紀州みかんの酒
高野山麓 紀州の梅酒


和歌山では、紀ノ川の上流域で造られる日本酒の事を「川上酒(かわかみざけ)」と呼ばれています。
第二次世界大戦のころまで、橋本から粉河の間に33件も酒蔵があったそうですが、現在酒造りを継続している唯一の酒蔵が初桜酒造です。
初桜 高野山の般若湯 初桜酒造株式会社

蔵の歴史は古く1765年(明和二年)に木下家が酒造株を得て酒造業を開始。
その後、木下家の跡継ぎが途絶えたことによって蔵のオーナーが変わります。

昭和十五年に現在の蔵元、笠勝家が蔵を引継ぎ、現在の初桜酒造に至ります。


写真の方が、初桜酒造3代目蔵元、笠勝 清人さんです。
初桜酒造_蔵元.jpg現在、初桜酒造が現在力を入れている銘柄は「高野山の般若湯」という名前の日本酒。

般若湯とはお坊さんの間で用いられていた用語で、お酒を意味します。
宗派によってお酒を飲むことを厳しく禁止されていたりするわけですが「薬として少々飲む分にはOK」とされていました。
その際に、般若湯という言葉を用いました。

お坊さんも人の子であり当然お酒が飲みたい事がある訳です。
そういう時にこっそり飲む酒の事を般若湯と言われるようになりました。


高野山の麓に残る蔵元として、地域性を表現できる事から、昔お坊さんが飲んだであろう般若湯を彷彿とさせる酒を造られています。

般若湯は、お坊さんがガブガブ飲む酒ではありません。
綺麗でスイスイ飲めてしまう酒は高野山の般若湯にふさわしくないだろうという事で、しっかりした野太い味。燗酒にして飲んだ時に、身体があたたまるような酒を持ち味としています。


写真は仕込蔵です。
太陽光がタンクの周囲を照らしています。
初桜酒造_仕込み部屋.jpg


初桜酒造_開放タンク.jpg

写真は釜場です。
2つ釜がある理由は昔の名残だそうで、瞬間湯沸かし器が無かった時代は、米を蒸す以外にも、洗い物をしたりとお湯を必要としましたので、釜は2台あった方が便利だったそうです。
初桜酒造_釜場.jpg

あともう一つ珍しいのがこの写真。
初桜酒造_地下通路.jpg石垣の上に、太い木が橋のようにかけられていますが、上は歩道になっています。

大きな酒蔵の中には、道路を挟んで建物が建てられていたりしますが、それと同じです。
蔵の敷地の一箇所を一般の方が利用する歩道があります。
その歩道の下に、設けられた地下通路です。
何時の時代に造られたのかは不明ですが、石垣の様子から明治時代以前ではないでしょうか?



最後に訪問の証の記念撮影です。
「高野山の般若湯」を飲む事で、次の酒蔵訪問の力を養う吾郎でした。
初桜酒造_記念撮影.jpg
商品の購入・質問は初桜酒造株式会社へお問い合せ下さい。
TEL:0736-22-0005 初桜・高野山の般若湯醸造元 初桜酒造
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。  

Posted by 佐野 吾郎 at 13:00TrackBack(0)和歌山県の酒蔵巡り