2011年10月13日

西之門(にしのもん)|株式会社よしのや

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 227蔵目

西之門(にしのもん)|株式会社よしのや

長野県長野市西之門町941
酒名:西之門(にしのもん)、雲山(うんざん) ■創業:1637年(寛永14年)16代 ■杜氏:社員杜氏(諸派) ■仕込み水:犀川(さいがわ)の伏流水 ■訪問日:2011/10/13

代表銘柄
西之門 純米吟醸
西之門 大吟醸
雲山 本醸造

長野駅から長野電鉄に乗って3つめ目の駅「善光寺下」を下車。
そこから徒歩で約7分の場所に、年間約600万人もの人々が訪れるという国宝の善光寺があります。

現在の長野市は善光寺の門前町を起源として発生した都市と言われ、善光寺の周囲には昔ながらの風情を残した町並みが残っています。
その善光寺の門前町に、江戸時代の初期といえる1637年に創業したという長い歴史を持つ酒蔵が、西之門(にしのもん)という酒を造る株式会社よしのやです。
西之門(にしのもん) 株式会社よしのや|外観
西之門(にしのもん) 株式会社よしのや|外観
入り口
西之門(にしのもん) 株式会社よしのや|景観
株式会社よしのやは江戸時代の初期に当たる寛永14年(1637年)に創業した、現在で16代続く酒蔵です。

祖先は紀州で武士をされていたそうで、どういう経緯は不明ですが浪人の立場となり、妻子を京都に残し善光寺に来て定住します。
そして2代目の伊右衛門氏が、寛永14年(1637年)酒造業を開始されます。
当時、蔵の立っている場所は善光寺の境内だったそうです。

かつて日本酒は僧坊酒とも言われ、お寺で酒造りが行われてた時代がありました。
しかし江戸期から酒造業は民間に移りはじめます。
善光寺でもかつては僧坊酒が造られていたのかもしれません。それが時代の変化によって民間に役割が移ったのでしょうか?
藤屋という屋号で、酒造りを始めたそうです。

写真は蔵の売店に飾られている蔵の歴史です。
西之門(にしのもん) 株式会社よしのや|歴史
これによると寛保3年(1743年)に7負代目が屋号を「吉野屋」に改め、10代目が醤油製造業を開始。
明治時代に入ってから味噌の醸造も開始されたようです。

酒名は江戸期には「吉野川」、明治から昭和35年までが桜奈美(さくらなみ)。 昭和35年以降「雲山」となり、現在は蔵元での直販限定で「西之門」という酒を造っています。

西之門(にしのもん) 株式会社よしのや|商品

地元に雲山という酒を販売する一方、年間約600万人の観光客が訪れる善光寺の門前町に位置する酒蔵という事で、蔵は複合観光施設。酒蔵工場見学、蔵元直営の販売店、レストランが存在します。
西之門(にしのもん) 株式会社よしのや|釜場
蔵見学は自由で、ビール工場の見学のように、ガラス張りになっていて2階のフロアーから見下ろすように見学ができます。
解説によると写真は釜場(原料米の前処理工程)を行う装置だそうです。

写真は麹を造る製麹機
西之門(にしのもん) 株式会社よしのや|製麹機
株式会社よしのやでは、かつては越後杜氏による酒造りが行われていました。
現在はベテランの杜氏の腕を必ずとも必要としない、近代化の手法を取り入れ、醸造学科を卒業した社員による酒造りを行なっているとの事。

写真は仕込み部屋です。
西之門(にしのもん) 株式会社よしのや|仕込み部屋
とても近代化され立派な設備だと思いました。

写真は槽場です。
西之門(にしのもん) 株式会社よしのや|槽場
少し解りにくいのですが、薮田式に似ている圧搾機を上から撮影。

蔵は営業時間中であれば、アポ無しでも見学可能。売店では試飲販売が行われています。
日本酒以外にも、味噌や醤油の販売もされていて、ヒット商品は「甘酒」だとか。
確かにとても美味しい甘酒で、私は2本お土産に買いました。5千円以上のお買上で送料無料で宅配便で送ってもらえます。
長野市に来られた際、善光寺の観光も兼ね気軽に立ち寄れりたい酒蔵です。




商品の購入・質問は西之門(にしのもん)|株式会社よしのやへお問い合せ下さい。
TEL:026-225-5061西之門、雲山醸造元株式会社よしのや
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。  

Posted by 佐野 吾郎 at 11:00TrackBack(0)長野県の酒蔵巡り

2011年10月12日

志賀泉(しがいずみ)|志賀泉酒造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 226蔵目

志賀泉(しがいずみ)|志賀泉酒造株式会社

長野県中野市東山3-1
酒名:志賀泉(しがいずみ) ■創業:1963年(昭和38年) ■杜氏:社員杜氏(飯山杜氏所属) ■仕込み水:軟水 ■訪問日:2011/10/12

代表銘柄
志賀泉 特別本醸造 一滴二滴
志賀泉 純米酒
志賀泉 精選

昭和38年創業、酒蔵として歴史が新しい志賀泉酒造株式会社
志賀泉(しがいずみ) 志賀泉酒造株式会社|外観

志賀泉という酒を造る志賀泉酒造は、元々は長野県内の複数の酒蔵が出資し、昭和35年に出来た共同のビン詰め場でした。
やがて昭和38年、「清酒共同製造場」というような位置づけで酒造業が行われるようになります。
設立当初は、複数の酒蔵の酒を集約して製造していた蔵でした。
その為、蔵元は世襲制ではなく、出資した株主が交代で蔵主を勤めてきたそうです。

しかし現在はその役目も終え「志賀泉(しがいずみ)」という自社ブランドを製造。
蔵元の中山 治さんと、その息子様の中山 佳紀さんが酒造りをされており、一般的な酒蔵のような形態に変化されているようです。

酒蔵としては近代的な建物と土地の広さに、かつては「清酒共同製造場」であった事が伺えます。

写真は杜氏を勤める中山 佳紀さん。
志賀泉(しがいずみ) 志賀泉酒造株式会社|中山佳紀杜氏
現在、志賀泉酒造では蔵元の息子さんの中山 佳紀さんが杜氏を務め酒造りをされています。
流派は飯山杜氏組合に所属されているそうです。

原料米は美山錦が主体。
蔵元が自ら育てて作った美山錦と、近所の農家で作っていただいている美山錦がメイン。
それに、ひとごことを少し使用されているとの事。

車で30分かけて木島平村の龍興寺の湧き水を汲んできて酒造りに使用されています。

写真は建物最上階にある連続蒸米機。
志賀泉(しがいずみ) 志賀泉酒造株式会社|釜場
かなり大型の連続蒸米機です。

共同製造場として誕生した蔵だけあって、かつては大きな仕込みが行われていた事が伺えます。
現在はこの連続蒸米機は蔵の主力商品である「志賀泉 精選」など普通酒を仕込む際に使用。
特定名称酒を製造する際には流石に大きすぎるので甑を用いているそうです。

写真は酒母室です。
志賀泉(しがいずみ) 志賀泉酒造株式会社|酒母室
真ん中に見える大きな金属の筒は「甑(こしき)」です。
特定名称酒はこの甑を用いて米を蒸します。

私が訪問した10月は、まだ今季の製造が開始していない為、甑は酒母室に保管されていました。
蒸米機と酒母室は同じフロアにあります。

写真は麹室です。
麹志賀泉(しがいずみ) 志賀泉酒造株式会社|麹室

写真は仕込み部屋。
志賀泉(しがいずみ) 志賀泉酒造株式会社|仕込み部屋
志賀泉が造っている酒は昔からやや甘口の酒との事。
現在でも日本酒度がマイナス1くらい酒が主体だそうですが、2009年から造り始めた「特別本醸造 一滴二滴」が日本酒度がプラス5という、この蔵の中では一番の辛口酒。

地元市場での評価もよく徐々に地元に浸透。
これからの商品として佳紀杜氏は期待されているそうです。

最後に訪問の証の記念撮影。
志賀泉(しがいずみ) 志賀泉酒造株式会社|記念撮影
佳紀杜氏が手がけた期待の酒、「特別本醸造 一滴二滴」を手に取り関心する吾郎でした。




商品の購入・質問は志賀泉(しがいずみ)|志賀泉酒造株式会社へお問い合せ下さい。
TEL:0269-22-3322志賀泉醸造元志賀泉酒造株式会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。  

Posted by 佐野 吾郎 at 16:00TrackBack(0)長野県の酒蔵巡り

2011年10月12日

勢正宗(いきおいまさむね)|株式会社丸世酒造店

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 225蔵目

勢正宗(いきおいまさむね)|株式会社丸世酒造店

長野県中野市中央2丁目5-12
酒名:勢正宗(いきおいまさむね) ■創業:1872年(明治3年)4代 ■杜氏:飯山杜氏 ■仕込み水:軟水 ■訪問日:2011/10/12

代表銘柄
旭の出乃勢正宗 純米原酒 もち米四段仕込
勢正宗 もち米四段仕込み
勢正宗 本醸造

長野県中野市は人口は4万5千人ながら4件の造り酒屋が残っています。
食文化的に辛口の酒を造って来た蔵が多いのですが、1社だけ創業当初から甘口の味のある酒を造り続けている蔵があります。
その蔵が勢正宗(いきおいまさむね)という酒を造る、株式会社丸世(まるせ)酒造店です。
勢正宗(いきおいまさむね) 株式会社丸世酒造店|外観
株式会社丸世酒造店は明治3年(1872年)に、関 申七郎(しんしちろう)氏が創業した現在で4代続く酒蔵です。

申七郎氏は大きな農家の家に生まれたそうで、家は農業の他にも両替商、お茶屋、麹屋など様々な商売をされていたそうです。
当時の麹屋という商売は、麹を造って売っていたのではなく、近隣の農家の方が米を持ち込んできて、それを麹を造り工賃をいただいていたそうです。作ってもらった麹を元に各家庭ではお味噌を造ったり、醤油を造ったり自給自足の生活をされていたそうです。

写真の方は4代目蔵元、関 康久さん。
勢正宗(いきおいまさむね) 株式会社丸世酒造店|関 康久蔵元
恐らく申七郎氏は長男では無かったのでしょう。
様々な商いをされていた関家ですが、近くで売りに出されていた造り酒屋を買い取り、それを申七郎氏に与え独立させます。
そのようにして丸世酒造店が誕生します。

創業当初は「勢(いきおい)」という名の酒を造っていたそうです。
本家は現在、味噌屋として蔵の斜め向かいに存在しています。

淡麗辛口とは正反対の酒。
勢正宗(いきおいまさむね) 株式会社丸世酒造店|商品
原料米は特定名称酒には長野県産美山錦を使用。
昔の2級酒には一般米(コシヒカリが主体)。
それに餅米も使用します。
仕込み水ですが軟水を浄水器で濾過し、イオン交換樹脂を通して硬度ゼロの水にして酒造りに用います。

そして「熱掛けの餅米4段仕込み」という製造手法を用い、やや甘口で味のある酒。
蔵元が言われるには淡麗辛口とは正反対の酒を造られています。

写真は造りの時期を待つ釜場。
勢正宗(いきおいまさむね) 株式会社丸世酒造店|釜場
この蔵では酒に甘味や濃さを与えるため、先代から餅米を用いてい4段仕込みが行われてきました。
ただ先代の時代は、餅米を酵素を使って溶かして甘酒を作り、それをモロミに加えるという手法でした。

税務署の鑑定官が酒造期にこの蔵を巡回指導に訪れた際、酵素を用いた餅米4段なら他の酒蔵も行なっているので大して珍しくない手法、と教えられます。
それに対し「熱がけ」と言われる昔からの餅米4段仕込みなら、全国でも行なっている蔵は稀で、関東信越国税局(新潟、長野、埼玉、群馬、栃木、茨城)の酒蔵では1件も行なっていない、という話を聞きます。

写真は麹室。
勢正宗(いきおいまさむね) 株式会社丸世酒造店|麹室
どうせ餅米4段をするなら「熱掛け」で造って甘みと旨味を出そう。
誰もしていない事をしてみよう、と蔵元は考えますが言い出した鑑定官も製造方法が解かりません。

そこで鑑定官の先生が大正時代の文献から製造方法を発見。
蔵元はそれを読み、自分なりに解釈し、鑑定官の先生の指導も加わって「熱掛けの餅米4段仕込み」を完成。
現在この蔵の主力商品として、様々な種類が製造・販売されています。

少し試飲させて頂きましたが、4段仕込みながら甘いという感じの酒ではなく味の密度が詰まった濃醇な酒。
手つくりを感じさせる味でした。

写真は仕込み部屋。
勢正宗(いきおいまさむね) 株式会社丸世酒造店|仕込み部屋

写真は槽場。
勢正宗(いきおいまさむね) 株式会社丸世酒造店|槽場

最後に訪問の証の記念撮影。
勢正宗(いきおいまさむね) 株式会社丸世酒造店|記念撮影
大正時代、日本酒は甘口の酒が多かったそうで、その当時は酵素剤など知られていなかったので、どの蔵も「熱掛け餅米4段仕込み」が行われていたそうです。
しかし現在では、それが行われている蔵はほんのわずかだとか。

蔵元から話を聞きながら「熱掛け餅米4段仕込み」で造られた酒を手に取り驚いている吾郎でした。




商品の購入・質問は勢正宗(いきおいまさむね)|株式会社丸世酒造店へお問い合せ下さい。
TEL:0269-22-2011勢正宗醸造元株式会社丸世酒造店
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Posted by 佐野 吾郎 at 14:20TrackBack(0)長野県の酒蔵巡り

2011年10月12日

岩清水(いわしみず)|株式会社井賀屋酒造場

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 225蔵目

岩清水(いわしみず)|株式会社井賀屋酒造場

長野県中野市大字中野1597
酒名:岩清水(いわしみず) ■創業:1853年(嘉永6年)6代 ■杜氏:蔵元杜氏(諸派) ■仕込み水:軟水 ■訪問日:2011/10/12

代表銘柄
岩清水 純米五割麹
岩清水 無濾過生原酒
岩清水 本醸造 辛口

北信州の中心に位置する長野県中野市。

この土地の食文化は山菜が中心で、えのき茸、タラの芽、コシアブラ、野沢菜といった山菜が今でもよく食べられています。
しかし最近では食文化に変化が見られ、リンゴで育てた信州牛、新農ポーク、信濃地鶏といった肉文化が登場。
特に若い世代から支持を受け、週末になるとすき焼き屋さんには若い世代の方で混在しているとの事。

食の変化と共に日本酒も変化しなくては。
そう考えた蔵元が、肉料理にもガッツリ寄り添える日本酒造りにチャレンジ。
中野の新進気鋭、良い意味で異端というべき注目の酒蔵が株式会社井賀屋酒造場です。 岩清水(いわしみず) 株式会社井賀屋酒造場|外観
清水(いわしみず) 株式会社井賀屋酒造場|外観
株式会社井賀屋酒造場の歴史は長く、現存している史跡によると嘉永6年(1853年)には酒造りが行われていたそうです。

明治3年に「中野騒動」と言われる大規模な百姓一揆が起き、その際に天領地に建っていた蔵は焼けてしまい、古い資料の多くを焼失。
よって詳しい創業の年代や、蔵元の代数などは不明ですが、解っている範囲では嘉永6年(1853年)には酒造業が行われていて、家の代数も6代前までは判明しています。その為、創業は嘉永6年で代数は6代と発表していますが、蔵に残る石の灯篭には文政12年(1825年)と刻まれている事から、酒造業が行われていたことは定かでないとしても、井賀屋という店はかなり古くから続いていたと思われます。

蔵元の話によると、当時は酒造業の権利は売買されており、その際に屋号も同時に売買される事もあったようです。 井賀屋という屋号は、様々な家によって引き継がれてきた屋号で、現在の小古井家が伊賀屋の屋号を引き継いだのは明治34年との事です。

小古井家の先祖は飯山藩の3家老の一人でした。
しかし藩主に跡継ぎがなく御家が断絶。
その後は笠蔵という場所で領主のような事をされていたそうです。

そして明治以降に岩船の開拓をするため、この地に移住。
明治34年に小古井諦造氏によってに正式に伊賀屋の屋号が小古井家に引き継がれます。

現在の主力銘柄「岩清水」が誕生したのも丁度、小古井家に引き継がれた明治34年。
それ以前は「福美人」「末広」という酒名の酒を造っていたそうですが、商標制度が始まった際に、他社が先に商標登録を行ったので、使えなくなります。その結果、蔵主が交代した際に酒名「岩清水」が誕生し現在に至ります。

現在蔵が立っている場所は、中野騒動が起こる前は県庁があった場所だそうです。

写真の方が6代目蔵元、小古井宗一さん。
清水(いわしみず) 株式会社井賀屋酒造場|小古井宗一蔵元
以前は季節雇用の飯山杜氏がこの蔵の酒を造っていました。
しかし平成17酒造年度から、蔵元の小古井宗一さんが自ら酒造りをされています。

原料米は信州産の酒造好適米のみを使用。
品種は白樺錦、ひとごこち、金紋錦、美山錦。
仕込み水は岩舟の天然水で、かなりの柔らかい軟水だそうです。

写真が新たな主力銘柄、岩清水 純米 五割麹
清水(いわしみず) 株式会社井賀屋酒造場|五割麹

以前はスッキリと辛い酒を中心に造っていた井賀屋酒造場ですが、小古井宗一さんはこの地の食の嗜好が変化している事に気が付きます。

そのきっかけは市内に、信州牛という牛肉を食べさせてくれるすき焼き料理店が現れた事です。
その店が若い世代の人々で大繁盛しているとのこと。
宗一さんはそのお店に足を運び信州牛を食べた所、とても美味しいと感じられたそうです。

食の変化と共に日本酒も変化しなくては。
そう考えた蔵元が、肉料理にもガッツリ寄り添える日本酒造りにチャレンジ。

肉料理に合う日本酒を造るにはしっかりした酸が必要。
酸を基調にした酒を造るため、通常は日本酒を仕込む際に用いる麹米の比率は2割程度ですが、麹の比率を増やします。
試行錯誤の末に、純米 五割麹という酒が完成します。

蔵元の説明では、「肉を食べるには丁度よい酒。米の味が出てきてご飯を食べているような感じの酒になる。」とのこと。
また燗酒との相性もよく、熱燗(とびきり燗 55度)がお薦めだそうです。
熟成させたほうが美味しくなる事から、地元の酒販店からは「古い酒から出荷してくれ」というオーダーをされるそうです。
他社にはない酒なので、これを主力にしたいとの事。

写真は麹室。
清水(いわしみず) 株式会社井賀屋酒造場|麹室
この部屋の中で、5割麹に使われる麹が造られています。

写真は仕込み部屋。
清水(いわしみず) 株式会社井賀屋酒造場|仕込み部屋
静かでお落ち着いた仕込み部屋の中、酒が静かに醸されます。

写真は酒母室です。
清水(いわしみず) 株式会社井賀屋酒造場|酒母室

写真は槽場。 清水(いわしみず) 株式会社井賀屋酒造場|槽場

清水(いわしみず) 株式会社井賀屋酒造場|槽
佐瀬式の昔ながらの槽、1機でモロミを絞っているそうです。

最後に小古井宗一さんは、

新しいことに恐れないでチャレンジしたい。失敗しても自分の糧になる。
始まりが伝統になる。一滴、一滴魂を込めて酒を造りたい。

自身で酒造りを始めて、ようやく自信が持てる酒が1種類完成しました。
まだ1種類ですがこれを2種類、3種類と増やせるよう頑張って行きます。

とお話されました。

まだ大都市圏の地酒専門店や酒マニア達からその存在を知られていない長野県の新進気鋭の発見です。
様々な蔵を歩くと、思わぬ出会いがあります。

最後に訪問の証の記念撮影。
清水(いわしみず) 株式会社井賀屋酒造場|記念撮影
煙突は明治34年つくったもの。
その当時、この煙突を作るのに、校長先生の年収くらいのお金がかかったそうです。
レンガ作りの煙突には四角い物が多いのですが、珍しい丸型を見て驚く吾郎でした。




商品の購入・質問は岩清水(いわしみず)|株式会社井賀屋酒造場へお問い合せ下さい。
TEL:0269-22-3064岩清水醸造元株式会社井賀屋酒造場
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2011年10月12日

天領誉(てんりょうほまれ)|天領誉酒造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 224蔵目

天領誉(てんりょうほまれ)|天領誉酒造株式会社

長野県中野市岩船190
酒名:天領誉(てんりょうほまれ) ■創業:1880年(明治13年)4代 ■杜氏:飯山杜氏 ■仕込み水:軟水 ■訪問日:2011/10/12

代表銘柄
天領誉 雪粋吟雫 純米吟醸 雪中生貯蔵
天領誉 特別純米
天領誉

北信州の中心に位置する長野県中野市。
江戸時代は「天領」と言われる幕府管轄の土地で、谷街道と草津街道が交わる宿場町として栄えたそうです。
現在は農業が主な産業で、えのき茸、リンゴ、ぶどうなど果樹栽培が盛んとのこと。

人口4万5千人という中野市には5つの酒蔵があります。
その一つが天領誉という名の酒を造る、天領誉酒造株式会社です。 天領誉(てんりょうほまれ) 天領誉酒造株式会社|外観
天領誉(てんりょうほまれ) 天領誉酒造株式会社|看板
天領誉酒造株式会社は明治13年(1880年)、中嶋 春吉氏が創業した現在4代続く酒蔵です。

菜種油を商う商家に生まれた春吉氏は、独立分家する際に奥様の進言により酒造業に参入。
中村という場所から出て来たという事で、創業当時の屋号は中村屋酒造店といい、旭鶴という酒名の酒を造っていました。
蔵元の住所に「岩船」とありますが、かつて蔵の近くに船着場があったそうです。

写真の方は今回、蔵をご案内いただいた齋藤裕司さん。
天領誉(てんりょうほまれ) 天領誉酒造株式会社|蔵人
天領酒造が造る酒は、地元の風土に根ざした酒。

この土地の食生活は山の幸が中心。
しかも、えのき茸、タラの芽、コシアブラ、野沢菜といった山菜が中心だとか。
山菜は天ぷらにしたり、味噌汁に入れたり、野沢菜漬けのようなお漬物にしたり。
現在は流通が良くなりましたが、かつて魚は塩漬けにされた保存食しか入って来なかったそうで、決して品質が良いとは言えるものでは無かったそうです。

その結果、今でも山の幸が中心とした食文化が残っていて、肉よりも菜っ葉、山菜を好まれる方が多いそうです。
そういう山の幸に合わせる酒となると、ベッタとした甘口よりも辛口の酒。
天領誉酒造では毎日飲んでも飽きないスッキリ・サッパリした辛口の酒を中心に造られています。

現在の主力商品の天領誉は一般公募によって昭和30に誕生。
天領誉(てんりょうほまれ) 天領誉酒造株式会社|商品

仕込み水には超軟水である志賀高原の伏流水を、地下80〜100メートルの井戸より採取。
逆浸透膜をかけ、鉄分ゼロ、ミネラル、マンガンもゼロという状態にし、酒造りに使用しています。
原料米には長野県産の美山錦のみ使用。他県産の米は使用されていないとの事です。
飯山杜氏組合に所属し、醸友会の顧問を勤めるベテランの杜氏が酒造りをされています。

写真は仕込蔵
天領誉(てんりょうほまれ) 天領誉酒造株式会社|仕込み部屋
天領誉の自慢の酒が「雪粋吟雫(せっすいぎんしずく)」という名の北信州でしか造れない酒。

雪粋吟雫は、かつて日本一の積雪量を記録した長野県の最北端に位置する栄村の雪中で4ヶ月保存。
5月の連休の時期に取り出すそうですが、手彫の雪室なので900本しか貯蔵できないとの事。

また日本酒以外には、薔薇のリキュールを製造。
信州中野は薔薇の産地だそうで、特別製法の純米酒を薔薇の花に漬け込み、着色料、香料などの添加物を一切使用せず、薔薇の色と上品な香りを引き出した酒。
アルコール度数は8度との事です。

写真は釜場です。
天領誉(てんりょうほまれ) 天領誉酒造株式会社|釜場

訪問の証の記念撮影。 天領誉(てんりょうほまれ) 天領誉酒造株式会社|記念撮影
蔵元自慢の酒、「雪粋吟雫(せっすいぎんしずく)」を試飲。

華やかな吟醸香に透き通るような透明感を持つ、美しい雪解け水を連想させる綺麗なタイプの酒。
地元でも人気の酒だそうです。
まるで大吟醸酒を思わせる美しい味わいに驚く吾郎でした。




商品の購入・質問は天領誉(てんりょうほまれ)|天領誉酒造株式会社へお問い合せ下さい。
TEL:0269-22-2503天領誉醸造元天領誉酒造株式会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。   

Posted by 佐野 吾郎 at 10:20TrackBack(0)長野県の酒蔵巡り