2011年05月24日

蓬莱鶴(ほうらいつる)|株式会社原本店

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 175蔵目

蓬莱鶴(ほうらいつる)|株式会社原本店

広島市中区白島九軒町9-19
代表銘柄:蓬莱鶴(ほうらいつる)
創業:1805年(文化2年)6代
杜氏:蔵元杜氏(諸派)
仕込み水:中硬水
訪問日:2011/5/24

代表銘柄
蓬莱鶴 純米吟醸 奏
蓬莱鶴 純米大吟醸 生原酒

まるで大手ナショナルブランドの酒蔵のような建物。 蓬莱鶴 株式会社原本店|蔵の外観

しかし実のところこの建物は「マンション」です。
広島市の酒蔵、蓬莱鶴(ほうらいつる)は、日本で一番最初にマンションの地下で酒造りを行った酒蔵なのです。


マンションの横に回ってみました。 蓬莱鶴 株式会社原本店|玄関

どうやらこの階段を降りると酒蔵があるようです。


蓬莱鶴 株式会社原本店|入口

階段を降りるとこんな感じ。ここはまだ通路です。先に進んでいきます。


通路からでも蔵の中が観察できます。 蓬莱鶴 株式会社原本店|エントランス

「発酵・搾り室」という看板がかかっています。

この先に入口があったので中にお邪魔してみました。


蓬莱鶴(ほうらいつる)という名の酒を造る株式会社原本店は、我々の常識を超えた酒蔵です。

株式会社原本店は文化2年(1805年)、商家出身の松本屋七衛門氏によって創業した200年以上の歴史を持つ酒蔵です。

かつての酒名は「園の白露」「九星正宗」。
現在の酒名「蓬莱鶴」の由来は、かつて蔵の位置する場所から宮島の弥山(みせん)が見えていたそうで、その姿は中国の蓬莱山のようだったそうです。
中国の蓬莱山とは仙人が住む不老長寿の山であった事から「蓬莱鶴」という酒名が、大正・昭和の時代に誕生したと言われています。

蓬莱鶴は第2時大戦中は、大本営にお酒を出荷されていて商売は好調だったようです。

広島に投下された原子爆弾により蔵は焼失しますが、翌年には再建し酒造りを行っていたそうです。

その蓬莱鶴が現在の酒蔵になったのは平成7年。


写真の方は6代目蔵元の原 純さん。中央の青いテントは何でしょうか? 蓬莱鶴 株式会社原本店|蔵元
麹室でした。 蓬莱鶴 株式会社原本店|麹室

原本店は日本で一番最初にマンションの地下で醸造を行った蔵元と言われています。
最近では小規模の蔵元による四季醸造を目にする事が多くなりましたが、その先駆けとなりました。

写真の青いテントは「日本で唯一」と言われるゴアテックス素材で作った麹室です。

麹室の要点である3点(「乾燥度が保てる」「温度が保てる」「雑菌が繁殖しない」)を兼ね備えるべく、蔵元が考案たものです。

ゴアテックは空気は通しますが水は通しません。その特性を活かし水分を外には出ていきますが、中には入ってきにくいので乾燥度が保てます。 結露しない為、雑菌が繁殖しにくい。ヒーターがあるので温度は保てる。洗濯機で丸洗い出来ます。

写真は仕込み部屋です。 仕込み部屋

この小さなタンクで酒を仕込んでいます。

蓬莱鶴 株式会社原本店|醪
中を覗いてみみました。醪(もろみ)が湧いています。

私が訪問した日は5月25日です。この時期でも醪(もろみ)を見ることが出来ます。(大半の酒蔵ではこの時期には醪(もろみ)を見ることは出来ません。)


写真の機器はお酒を搾る為の道具です。 蓬莱鶴 株式会社原本店|槽場

右の装置は袋吊りを行うためのもの。
左の装置は小型の槽(ふね)です。

注目は両方の機器には足に車輪が取り付けられ移動出来るようになっている点です。

醪(もろみ)を槽場まで移動させて酒を搾るのではなく、槽場が仕込み部屋に移動して行ってお酒を搾るんです。
槽(ふね)が移動出来ればホースやポンプでお酒を輸送させる必要はありませんね。


こちらは釜場です。 蓬莱鶴 株式会社原本店|釜場

こちらも同様の甑(こしき)の足に車輪が取り付けられています。

蒸しあがった米は、甑ごと移動させる事が可能です。


こんなユニークな酒蔵から造られる酒、蓬莱鶴の味のコンセプトは「晴れの日に飲んでもらう楽しいお酒」。

特別な日はもちろんの事、普段の時でも楽しく飲んでいただくお酒を考えて酒造りをされています。

香りは華やかで、しっかり米を溶かす事で濃い味わいを目指しているとの事。


訪問の証の記念撮影はゴアテックス素材の麹室の前で撮影しました。 蓬莱鶴 株式会社原本店|記念撮影

ゴアテックスの麹室に驚く吾郎。

酒造業の参入など「夢」のように思いがちです。

しかし酒造免許さえあれば資金的には、思っているほど大きな金額がなくとも参入出来るのでは?という気持ちになった吾郎でした。




商品の購入・質問は蓬莱鶴(ほうらいつる)|株式会社原本店へお問い合せ下さい。
TEL:082-221-1641 蓬莱鶴醸造元株式会社原本店
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。   

Posted by 佐野 吾郎 at 17:00TrackBack(0)広島県の酒蔵巡り

2011年05月24日

御幸(みゆき)|株式会社小泉本店

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 174蔵目

御幸(みゆき)|株式会社小泉本店

広島市西区草津東三丁目3-10
代表銘柄:御幸(みゆき)、延寿菊(えんじゅぎく)
創業:天保年間(1830〜1843年)6代
杜氏:社員杜氏(広島杜氏)
仕込み水:中軟水
訪問日:2011/5/24

代表銘柄
御幸(みゆき) 特選 本醸造
御幸(みゆき) 上撰 広島の酒
御幸 しぼりたて 生生地

株式会社小泉本店は天保年間(1830〜1843年)に小泉 来助(らいすけ)氏によって酒造業を創業した酒蔵です。 御幸(みゆき) 株式会社小泉本店|蔵の外観

小泉本店の酒造業の経緯を遡ると戦国時代に始まります。

小泉 来助氏の祖先は戦国武将である小早川隆景の家臣団の一人といわれています。
主君である小早川隆景が隠居後、その家臣団は毛利氏に帰参しますが、来助氏はその際に帰参した家臣の一人だったようです。

毛利家の家臣となった小泉氏ですが、途中から毛利家臣団に加わり草津城の城代に任命された児玉氏の目付として現在酒蔵がある草津の地へやってきます。

その頃は戦国武将の一人で、児玉氏と共に度々戦場に出向いたそうです。
しかし毛利輝元が関ヶ原の戦いで西軍側についていたと判断され、120万石あった所領が37万石に減封されます。
それにより家臣の多くは失業する事になります。
小泉氏は周防・長門に移動して行った毛利氏には付いて行く事はなく、草津の地に残ります。

毛利氏が去った後、この地の領主は福島正則となり、その後は浅野家となります。
そのような背景から、かつての毛利家の家臣であった小泉氏は江戸中期には庄屋化し、米が豊富にあった事から天保年間に酒造業を開始したようです。


御幸(みゆき) 株式会社小泉本店|仕込み部屋

草津は戦国時代には毛利の軍港でありその経緯から水運が発展していた町でした。
鉄道が出来る以前の時代は、水運が栄えていた場所には酒蔵が多かった事から、この周囲も酒蔵が多かった事が想像できます。

小泉本店は古くから延寿菊(えんじゅきく)酒名の酒を造っていましたが明治18年に明治天皇が広島に行幸された際、この蔵でご休憩されます。
それを記念し御幸(みゆき)という酒名に改めます。


写真は仕込みタンクです。小規模の四季醸造システムが入っていました。 御幸(みゆき) 株式会社小泉本店|四季醸造

小泉本家では昔ながら酒造りを行う一方で、蔵の一角に四季醸造を行える設備があります。

写真のタンクで1升ビン換算で約100本少しの酒を仕込むことが出来ます。

蔵元は日本酒は「旨味で飲む酒」という考え方をされています。日本人は旨味が解る人種なので良い旨味を表現した酒造りを目指されています。

酒造りに用いる原料米は広島産の千本錦、中生新千本が中心。兵庫産の山田錦の使用は止めて、広島の米と水と人で造る地元にこだわった酒造りをされています。


タンクの中は醪(もろみ)が発酵していました。 御幸(みゆき) 株式会社小泉本店|醪


私が訪問したのは5月24日。
大半の酒蔵では今の季節に訪問しても醪を見ることが出来ませんが、思わぬところで醪を見ることが出来ました。

部屋の温度は空調でコントロール可能。
ステンレスタンクの外側の層に冷水が流れるようになっています。


超小型の薮田(やぶた)です。 御幸(みゆき) 株式会社小泉本店|小型の薮田
手前の円筒形のものが甑(こしき)です。 御幸(みゆき) 株式会社小泉本店|小型の釜場

奥の装置で蒸気を作り、手前の円筒形の釜で米を蒸します。


御幸(みゆき) 株式会社小泉本店|記念撮影

訪問の証の記念撮影ですが、四季醸造が行える蔵の前で撮影してみました。

広さとしては20坪もないでしょうか?コンビニ1件分の広さがあれば酒蔵が出来てしまう事に驚く自分。
酒造業への参入ですが、免許さえ何とかなれば私にでも参入は出来なくない、と思う吾郎でした。




商品の購入・質問は御幸(みゆき)|株式会社小泉本店へお問い合せ下さい。
TEL:082-271-4004 御幸醸造元 株式会社小泉本店
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。   

Posted by 佐野 吾郎 at 14:50TrackBack(0)広島県の酒蔵巡り

2011年03月12日

雨後の月|相原酒造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅。
140件目の訪問蔵は、
広島県で雨後の月という酒を醸す相原酒造株式会社です。

雨後の月|相原酒造株式会社

所在地:広島県呉市仁方本町一丁目25-15
銘柄:雨後の月,金泉
創業:明治8年 4代目
杜氏:社員杜氏
仕込み水:軟水 瀬戸内海国立公園内の野呂山の伏流水
訪問日:2011/3/12

代表銘柄
雨後の月 特別純米酒
雨後の月 超特選 真粋大吟醸
雨後の月 純米吟醸 無濾過生原酒 雄町
金泉 純米吟醸あらしぼり 白い稲妻


広島県の若手蔵の相談役のような酒蔵 雨後の月 相原酒造株式会社
雨後の月 相原酒造

相原酒造は明治8年、相原格(いたる)氏によって創業した、広島県呉市仁川で4代続く酒蔵です。

江戸時代、広島県の西條にて旅籠を営んでいた相原家が呉の仁川に移住。

相原家の次男であった格氏は、酒造業の免許が緩和された明治8年、当時はまだ16歳でしたが本家より分家して酒造業をはじめます。同時に本家も酒造業を行います。

創業当時の酒名は、白雪、去年の雪(こぞのゆき)、若竹。

現在の「雨後の月」という酒名は明治33年に誕生。
酒名の由来は、徳冨蘆花氏(とくとみろか)が呉に住んでいた時「雨後の月」という短編小説を書いており、そこから酒名を取ったのだと言われています。



写真は酒母室です。酒母を冷やす作業をしている最中です。
右端の方が4代目蔵元相原準一郎さんです。
雨後の月_酒母室.jpgかつて仁方町だけで9件の酒蔵と10の醤油蔵が稼動していました。
広島県下でも仁方は有数の酒処で、広島県のベスト10のうち5社が仁方町の酒蔵だったそうです。

というのは海軍の軍港であった呉港は商船の出入りが禁止はもちろん、港の沖を横切ることも出来ませんでした。
その為、呉港の両サイド、川原石と仁方に商用の港が置かれ、大阪商船三井や辰馬汽船の船舶によって四国・九州はもちろん、台湾や満州まで様々な物資と共に日本酒が運ばれていたそうです。


酒蔵に残る、明治28年の日本酒番付によると、相原酒造は広島県下で3位の製造量に成長しています。あの賀茂鶴よりも生産規模が大きな酒蔵だったのです。



雨後の月_仕込み部屋.jpg

そうやって栄えた仁方の酒蔵ですが昭和16年に大きな転機が訪れます。

第2次世界大戦の戦況が進む中、主食である米を用いて酒つくりが困難になる事から、国家総動員法によって呉に27件あった酒蔵のうち2社を残し、相原酒造を含めたその他の蔵は酒造りを辞めさせられる事になりました。


相原酒造の酒つくりが復活したのは昭和29年です。
ようやく政府から酒つくりの再開の許可を得て、相原酒造は本家と共に酒造りを開始します。

しかし13年間のブランクは大きく、ブランド力は衰退しゼロに近い状況からの再スタートだったそうです。


写真は槽場です。
空調で整えられた冷蔵倉庫の中に、ヤブタ式の圧搾機(緑色の装置)が置かれています。
雨後の月_薮田.jpg
相原酒造は現在4代目蔵元の相原準一郎さんによって、こだわりの特定名称酒を中心とした酒つくりが行われています。


広島酒の特徴を簡単な言葉で説明すると、米の旨味を引き出した芳醇な酒。

要するに味が少し濃いお酒なのですが、現在の相原酒造が造っている酒は広島酒とは対照的な存在。

軽やかで、上品で、いい香りがする酒を目指して酒造りをされています。

その理由は4代目の蔵元である相原準一郎さんの嗜好によるもの。

重いお酒が好きではありませんでした、と語る準一郎さん。
その昔は日本酒はタンクで常温保存が行われてきたのですが、味が濃い上に熟成でひねた酒は「飲みにくい」と思われていました。

従って、軽やかで上品で、いい香りがするほうが飲み易いを考え、それを目指した酒造りをされてきました。

昨今は、香りが華やかなタイプだと長持ちしないので、香りはやや控えめにして上品でスイスイ飲めるようなお酒にしたいと思いっています。

雨後の月_麹室.jpg蔵の設備ですが、早くから吟醸酒造りを中心にしていただけあって、新進気鋭の若手蔵と比べて、設備等は充実しています。

仕込みタンクの多くは温度調整できるサーマルタンクが中心。
槽場は空調で整えられた冷蔵倉庫の中にあります。


写真の装置はお酒の火入れ・急冷を行う熱交換器です。
雨後の月_急冷装置.jpgタンク貯蔵を行う場合の問題は、どうやって急冷するかです。タンクの外から水で冷やしても時間がかかり急冷は行えません。

そこで上記の装置「熱交換器」を用います。

マイナス5度で貯蔵されているお酒を、お湯と熱交換を行い65度にさせます。
お酒を65度で30秒ホールドした後、マイナス5度の日本酒と熱交換を行い10度に冷ましてからタンクの貯蔵していきます。

素早く火入れをした後に急冷を行い、お酒に与えるダメージを極力低く抑え、火入れを行います。


ビン貯蔵するお酒は、ビンのまま熱を加えて、ご覧のようなプールで急冷を行います。
雨後の月_瓶燗.jpg

最後に訪問の証の記念撮影は相原酒造の撮影スポット、酒名「雨後の月」と書かれた白壁の蔵を背景に撮影しました。蔵の美しさに驚く吾郎でした。
雨後の月_記念撮影.jpg雨後の月のお求めは、相原酒造と直取引を行なっている
地酒.com 佐野屋 をご利用ください。 (フリーダイヤル:0120-464-135)
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。
  

Posted by 佐野 吾郎 at 15:00TrackBack(0)広島県の酒蔵巡り

2011年03月12日

華鳩|榎酒造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅。
139件目の訪問蔵は、
広島県で華鳩,清盛という酒を醸す榎酒造株式会社です。

華鳩|榎酒造株式会社

所在地:広島県呉市音戸町南隠渡二丁目1-15
銘柄:華鳩,清盛
創業:明治32年 1899年 4代目
杜氏:広島杜氏
仕込み水:中軟水,弱硬水
訪問日:2011/3/12

代表銘柄
華鳩 貴醸酒8年貯蔵
華鳩 貴醸酒10年熟成大古酒
華鳩 貴醸酒の生にごり酒
華鳩 貴醸酒オーク樽貯蔵
華鳩 花見酒 純米酒

昭和49酒造年度に、全国で初めて「貴醸酒」を醸造した酒蔵、華鳩はなはと) 榎酒造株式会社
華鳩 榎酒造株式会社 煙突

華鳩 榎酒造は明治32年、榎順蔵氏によって創業した酒蔵です。

「隣の村まで行くのに人の土地を通らずに行けた」という広大な土地を所有していた豊な名主の末息子として生まれた順蔵氏は、成人した後「腕一本で生きることを決意」。

実家を出て当時、商業が盛んであった倉橋島に出てきて、現在の蔵がある土地を本拠地にして船乗りから、質屋から様々な商売を行います。

やがて呉に海軍の軍需工場が移転してくる事から、造り酒屋を創業します。


蔵の近くには、平清盛が日宋貿易の航路として開削したといわれている海峡があります。
平清盛のゆかりの地であった事から創業当初は酒名を「清盛」と名乗っていました。

地元では評判の「清盛」でしたが、源氏贔屓が多い東京では評判は今ひとつ。

平清盛は吉良上野介と同様、時代劇などで悪役で演じられる事が多い為、ゆかりの地では名君であっても、県外でも同様であるとは限りません。

そこで蔵元は新たな酒名を考えます。

戦前の国語の教科書は、冒頭が「ハナ ハト マメ・・」で始まっていることから、ハナハト読本と呼ばれていたそうです。
当時の人々にとって「ハナ ハト」とは馴染みある言葉であり、蔵が建つ地名が「鳩岡」であった事から、酒名を「華鳩はなはと)」に改めます。

華鳩_看板.jpg


創業当初の酒名「清盛」ですが、戦後、吉川英治 新・平家物語にて、平清盛が「貴族政治から武家政治に変わった第一人者」として良く描かれている事。
2012年の大河ドラマの主役が平清盛であり、近年では名君として、取り上げられる事が増えたため、現在でも商標は取得中で、清盛は現役で販売されています。


榎酒造が造る酒の持ち味は「優しい味」。
日本酒度はプラスなのに甘く感じる酒が出来てしまうそうです。

優しい味わいは水に由来すると言われていますが、それだけではなく造る人の性格、造る環境、オーナーの性格も酒に現れるような穏やかな酒。

「ホッとやすらぐ日本酒」というのが蔵のキャッチコピーですが、その最たる酒が貴醸酒です。


華鳩の代名詞と言える貴醸酒は、先代の(3代目蔵元)榎徹(えのき とおる)さんによって行われました。


写真の手前の方が、先代(3代目)の榎徹さんです。
華鳩_仕込み部屋.jpg
貴醸酒きじょうしゅ)とは、仕込み水の代わりに「日本酒」で仕込んだお酒で、とても濃醇な甘みを持つ酒になります。

大学卒業後、酒蔵に入った3代目蔵元が「人がしない事をやてみよう」と、様々な事にチャレンジをされます。

例えば「にごり酒」です。
広島県で一番最初ににごり酒を造ったのが榎酒造でした。
大型仕込みというのも行ったそうです。

そして昭和49年に、日本で一番最初に貴醸酒の醸造を開始します。

その頃と言えば日本酒の生産量が全盛期です。
そんな時代に貴醸酒のような変わった酒を造ろうとは普通は思いません。
今考えると英断でした。

蔵元が行った様々なチェレンジですが、個性を追求した貴醸酒とにごり酒は現在も健在。

貴醸酒は蔵を代表となっています。

ちなみに貴醸酒のにごり酒というのも人気だそうです。
私も試飲させていただきましたが、佐野屋即戦力商品として十分な酒質と個性を持ち合わせていあました。




写真は現在の蔵元、4代目である榎俊宏さんです。
華鳩_麹.jpg

写真は酒母室。
華鳩_酒母室.jpg

写真は貴醸酒の醪です。少しクリーム色がかって見えます。
華鳩_醪.jpg3代目のチャレンジ精神は4代目にも引き継がれています。

中でも面白いのが、貴醸酒を用いて貴醸酒を造った「大累醸」という酒。
貴醸酒を造る際、仕込み水に日本酒を用いますが、その日本酒に貴醸酒を用いた酒が「大累醸」。

その中でも、仕込み水の代わりに「20年古酒の貴醸酒」を用いて造った大累醸は、醪(もろみ)の色から茶色。お味噌のような独特の酒粕がとれたそうです。



写真は槽場の天井です。
華鳩_槽場.jpg

華鳩には地下にコンクリートで覆われた貯蔵庫があります。
夏でも20度以下の気温を保ち、更に多さがプレハブ冷蔵庫も完備。
華鳩_貯蔵庫.jpg

貴醸酒の一部はオーク樽で熟成・貯蔵を行っています。
華鳩_オーク樽.jpg蔵が海外から取材を受けた際に、向こうの方が誤って「酒はオーク樽に貯蔵されている」という記事を雑誌に掲載されてしまったそうです。

それがヒントとなり「それじゃあ実際にオーク樽で貯蔵してみよう」という事になり、貴醸酒をオーク樽に貯蔵。
その結果、貴醸酒とオーク樽の樽香とのマリアージュはとても良く、美味しくかつ個性的なお酒が出来上がりました。

私も試飲させていただきましたが、日本酒の多くはオーク樽で貯蔵すると、樽の香りに負けてしまうのですが貴醸酒だと引け劣らず、とてもバランスが良く美味しく味わえました。

蔵は「生もと造り」もされています。
生もとで造った酒は貴醸酒を造るのに向いているそうです。
華鳩_商品.jpg

最後に訪問の証の記念撮影です。
貴醸酒をひと通り試飲させていただいた後、仕込み水をいただきました。
硬水のようなミネラル感がある味に、軟水の柔らかさを持つ不思議な味に驚く吾郎でした。
華鳩_記念撮影.jpg
商品の購入・質問は榎酒造株式会社へお問い合せ下さい。
TEL:0823-52-1234 華鳩,清盛醸造元 榎酒造株式会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。   

Posted by 佐野 吾郎 at 11:20TrackBack(0)広島県の酒蔵巡り

2011年03月12日

同期ノ桜|江田島銘醸株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅。
138件目の訪問蔵は、
広島県で同期ノ桜,江田島という酒を醸す江田島銘醸株式会社です。

同期ノ桜|江田島銘醸株式会社

所在地:広島県江田島市江田島町中央二丁目27-1
銘柄:同期ノ桜,江田島
創業:明治40年(1907年) 4代
杜氏:蔵元杜氏 無所属
仕込み水:中軟水
訪問日:2011/3/12

代表銘柄
同期ノ桜 純米酒
保万齢 広島の酒 
江田島 本醸造酒



呉港から高速フェリーに乗って、軍艦の姿を横見に見ながら約10分で江田島に到着。


江田島銘醸は明治40年、住岡八百蔵氏によって創業した、現在江田島に残る唯一の酒蔵です。

創業者の八百蔵氏は江田島で宮大工をされていました。
しかし明治20年に江田島に海軍の兵学校が江田島に移転してきます。
静かだった島が、兵学校の建設で開発され住む人が増えてきます。

島が発展し人口が増える様子を見て、酒を造って地元の人達に飲んでもらえば商売になると考えて創業します。

現在、江田島には江田島銘醸1社のみ残っていますが、当時同じ町の中だけでも3〜4つの蔵があったそうです。


江田島銘醸_外観.jpg
写真の方が4代目蔵元住岡 光男さんです。
江田島銘醸_麹室.jpg
現在の年間製造石数は200石。麹も手つくりです。

灘の酒と比べ味が濃く芳醇と言われている広島酒ですが、江田島銘醸が目指す酒は、やはりボディーがある芳醇な酒。

「鑑定の先生が、利き酒をされた際、酒は良いのだけど、味が濃いので点数を悪くする先生がいますが、私はむしろ、そういう酒を造りたい。」と語る蔵元。

蔵元自信、ボディーがある重厚な酒がお好きだそうで、瀬戸内のあっさりした魚には少し濃い目の酒が合うとの事。




江田島銘醸_仕込部屋.jpg

同時に後切れの良さも追求されており、昔の杜氏さんが言われていた「尻の丸い酒」。
味のボディーがあり、同時に膨らみがあるものの、後切れが良く、尻が丸く感じられる酒。

そういう酒を目指して、蔵元自らが杜氏となり酒造りをされているそうです。


写真の奥に見えるのが、釜場です。ステンレスの容器が釜です。
全体に小規模な設備になっています。
江田島銘醸_釜場.jpg

最後に蔵元と一緒に、訪問の証の撮影です。
江田島銘醸の代表銘柄「同期の桜」に感心する吾郎でした。
江田島銘醸_記念撮影.jpg
商品の購入・質問は江田島銘醸株式会社へお問い合せ下さい。
TEL:0823-42-0001 同期ノ桜,江田島醸造元 江田島銘醸株式会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。  

Posted by 佐野 吾郎 at 09:10TrackBack(0)広島県の酒蔵巡り