2011年05月26日

関西一 於多福(おたふく)|柄酒造株式会社(つかしゅぞう)

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 180蔵目

関西一 於多福(おたふく)|柄酒造株式会社(つかしゅぞう)

広島県東広島市安芸津町三津4228
代表銘柄:関西一,於多福(おたふく)
創業:1848年(嘉永元年)8代
杜氏:蔵元杜氏(広島杜氏)
仕込み水:軟水
訪問日:2011/5/26

代表銘柄
於多福 純米
関西一 純米吟醸
於多福 純米吟醸

関西一,於多福(おたふく) 柄酒造株式会社(つかしゅぞう)|蔵の外観

柄酒造株式会社(つかしゅぞう)は、嘉永元年(1848年)に、槌屋 忠左衛門(つちや ちゅうざえもん)氏が創業した酒蔵です。
創業当時の屋号は「槌屋(つちや)」、酒名は「於多福(おたふく)」。

安芸津という地名は「安芸藩の津(みなと)」を意味し、ここには舟が入る港があり、安芸藩の米の集積地としての役割を持っていました。

かつては港の周囲には安芸藩の御用蔵が並んでいたそうで、その米を利用し2次産品を造ったのが酒造業の開始の経緯ではないかと考えられます。

蔵元の話によると大正時代まで、安芸津の地にだけでも24件の酒蔵が存在していたそうです。


関西一,於多福(おたふく) 柄酒造株式会社(つかしゅぞう)|仕込み部屋

蔵はかなり小規模な部類に入ります。

現在の蔵は安芸津駅から徒歩で3分くらいの距離にありますが、かつて安芸津駅の周辺は海で入江になっていたそうで、蔵は少し離れた場所にありました。
やがて海が埋め立てられ陸となり、明治20年前後に事業拡大のため今の場所に蔵を移転しました。

現在の主力銘柄「関西一(かんさいいち)」は、明治時代に誕生します。


写真は6代目蔵元、柄 宣行さん。蔵元自ら酒造りをされています。 関西一,於多福(おたふく) 柄酒造株式会社(つかしゅぞう)|麹室

蔵元の話によると広島杜氏のルーツである安芸津には、かつて100人以上の杜氏がいたそうです。
昔からこの地に住む75歳以上の男性は、全員どこかの酒蔵で働いた経験がある、というくらい、酒造りが街の主力産業だったそうです。


関西一,於多福(おたふく) 柄酒造株式会社(つかしゅぞう)|商品

甘口と言われる広島酒の中、柄酒造が造る酒「関西一(かんさいいち)」は、ずっと辛口の酒を造ってきた酒蔵です。

主力商品は関西一 本醸造。
造られる酒の多くは地元消費です。 数年前から、創業酒名「於多福(おたふく)」を復活。特定名称酒の熟成酒などに用いられています。

試飲させていただいたところ、確かに辛口の男酒でした。

灘の酒が辛口の男酒と言われますが、それを彷彿とします。
それに対し軟水である広島は、女性的な酒が出来る上がる傾向がある事から、灘の酒のようなシャンとした男造りたい、という願望があったのではないでしょうか?

それ故、関西で売れている灘の酒を目指すという意味で「関西一」という酒名を考えられたのかもしれません。


関西一,於多福(おたふく) 柄酒造株式会社(つかしゅぞう)|記念撮影

最後に訪問の証の記念撮影。

出品クラスの大吟醸酒が持つ上品で華やかな酒に驚く吾郎でした。




商品の購入・質問は関西一,於多福(おたふく)|柄酒造株式会社(つかしゅぞう)へお問い合せ下さい。
TEL:0846-45-0009関西一,於多福(おたふく)醸造元柄酒造株式会社(つかしゅぞう)
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。  

Posted by 佐野 吾郎 at 17:00TrackBack(0)広島県の酒蔵巡り

2011年05月26日

富久長(ふくちょう)|今田酒造本店

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 179蔵目

富久長(ふくちょう)|株式会社今田酒造本店

広島県東広島市安芸津町三津 3734
代表銘柄:富久長(ふくちょう)
創業:1868年(明治元年)4代
杜氏:蔵元杜氏(広島杜氏)
仕込み水:軟水
訪問日:2011/5/26

代表銘柄
富久長 純米吟醸 中汲み槽しぼり
純米吟醸 八反草
雫大吟醸古酒 百試千改

「百試千改」の志を受け継ぐ酒蔵、富久長 株式会社今田酒造本店富久長(ふくちょう) 株式会社今田酒造本店|蔵の外観

広島杜氏は「安芸津杜氏」「三津杜氏」とも言われます。

富久長 今田酒造本店は広島杜氏発祥の地、安芸津町三津に明治元年に創業した酒蔵です。

かつては「白美」「神泉」という名の酒を造っていて、現在の酒名「富久長」は、広島杜氏のルーツとなる三浦 仙三郎氏に命名していただいた酒名だそうです。
1910年(明治43)に商標登録され、2010年には100周年を迎えました。

安芸津は広島杜氏発祥の地であり、広島県杜氏組合は安芸津にあります。
安芸津の町長が杜氏組合の組合長を務めていたという、杜氏が街の基幹産業でした。
地元の高校、広島県立竹原高校 安芸津分校に醸造が学科まであったそうです。

杜氏さんに対する尊敬の度合いが高く、安芸津の男性にとって「杜氏は花形」の職業。

賀茂鶴で杜氏を1年間勤めたら家が立つ。とまで言われ、杜氏はみんなのあこがれの職業でした。
しかし杜氏になるのはとても大変、一番優秀な人しかなることが出来なかった為、みんなみんな杜氏になりたくて仕方がなかったそうです。

そのような広島杜氏の故郷に位置する今田酒造本店の酒造りは、広島杜氏をのルーツとなる三浦仙三郎氏による「百試千改」の志を受け継ぐ酒造りです。


富久長(ふくちょう) 株式会社今田酒造本店|商品

灘よりも良い酒を造りたい。
明治時代、広島の酒造家の間でこのような大きな目標が生まれましたが、それを実現するためには1社だけで技術研究をしているだけでは何時まで経っても追いつけません。
そこで広島の各社が情報公開をし、皆で研究して進歩のスピードをアップさせよう。
志を共にした蔵が互いに情報公開をしあう事で「百試千改」を行います。

今でこそ例えばコンピューターのOSの開発の世界では「オープンソース」という、情報を公開して皆で開発を進めて発展させていこう、という考え方が存在します。

今田酒造本店で酒造りを務める今田美穂さんは、そんな時代にオープンソースを考えて実行した醸造家が自分の故郷にいた。
その事に強い感銘をうけます。


軟水による吟醸酒の製造方法を発見した広島酒の次の課題は、更に産業を発展させること。
その為には精米の技術の向上は不可欠でした。
灘の酒造業が発展した背景には六甲山を下る流れの強い水があったため、水車を用いた精米が行えました。
広島酒を発展させるには効率よく精米を行う必要性に迫られます。

そこでも複数の広島の酒蔵が力を出し合いました。
当時山陽本線を敷設していた技師の佐竹 利一氏に動力式の精米機の製造を依頼します。

そして日本で一番最初に動力の精米機が広島で誕生し、生産量が飛躍的に増え広島が酒処の一角として台頭する事になります。

精米機を作った佐竹はというと、現在は国内シェは70%。海外でも北米の98%、アジア70%をはじめ全世界で50%以上のシェアを持つ精米機の世界トップ企業に遂げました。


これから日本酒はどういう方向に進むのか?時代に流れによってどう変化させて行かねばいけないのか。

今田 美穂さんは広島杜氏という枠を超えて、オープンソースの考え方を大切にする酒造家とともに、現在の日本酒がもつ様々な課題に取り組んでおられます。


富久長(ふくちょう) 株式会社今田酒造本店|記念撮影

最後に訪問の証の記念撮影ですが、蔵の入口に飾られている様々な賞状を前に驚く吾郎でした。




商品の購入・質問は富久長(ふくちょう)|今田酒造本店へお問い合せ下さい。
TEL:0846-45-0003 富久長醸造元今田酒造本店
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。   

Posted by 佐野 吾郎 at 15:00TrackBack(0)広島県の酒蔵巡り

2011年05月26日

誠鏡(せいきょう) 幻|中尾醸造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 178蔵目

誠鏡(せいきょう) 幻(まぼろし)|中尾醸造株式会社

広島県竹原市中央五丁目9-14
代表銘柄:誠鏡(せいきょう)、幻(まぼろし)
創業:1871年(明治4年)6代
杜氏:社員杜氏(広島杜氏)
仕込み水:中硬水
訪問日:2011/5/26

代表銘柄
誠鏡 純米たけはら
誠鏡 純米吟醸 雄町
大吟醸 幻 白

誠心誠意の酒造り、広島県竹原の誠鏡(せいきょう)誠鏡(せいきょう) 幻 中尾醸造株式会社|蔵の外観

「安芸の小京都」と言われる広島県竹原市。
中尾醸造株式会社は町並み保存の中に残る2件の酒蔵とは対照的に市街地に位置する酒蔵です。
その結果、蔵の建物を自由に手を入れる事が出来ため、写真の通り近代的な酒蔵に遂げました。

中尾醸造株式会社は明治4年(1871年)、この地で米を扱う商人であった廣島屋 儀八氏が創業した酒蔵です。

江戸時代に塩田で栄えた竹原ですが、少し奥の内地に行くと、かつては京都の下鴨神社の荘園として開拓された田園がありました。

その田園地帯で収穫される米を扱っていた儀八氏は、それらを酒造りに活用しようという理由で、酒造業に参入しやすかった明治時代に酒造りをはじめたのではないかと考えられています。

現在の酒名、「誠鏡(せいきょう)」は明治後半に誕生。
お酒を注いた杯の表面は鏡にように映ります。それを鏡に例え「蔵人の真心を映し出す鏡のような酒であってほしい」という願いから「誠鏡」という酒名が名付けられました。

そして昭和49年に誕生した、もう一つのブランド「幻(まぼろし)」は、蔵が開発したリンゴ酵母を用いて造られた純米大吟醸酒。初年度は1升ビンで100本のみが発売されたそうです。

昭和16年に法人化し、現在の中尾醸造株式会社に社名変更します。
「酒造」ではなく「醸造」ですが、特に味噌や醤油を造っていたわけではなく、製造は昔から日本酒のみとの事。


写真は釜場です。 誠鏡(せいきょう) 幻 中尾醸造株式会社|釜場

現在の近代的な酒蔵は平成7年に建てられたものです。
鉄筋の3階建てで、2階〜3階で製造が行われています。写真の釜場は2階にあり、上から下に酒造りの工程がすすむよう機器が配置されています。


写真は高温糖化酛を造る設備です。 誠鏡(せいきょう) 幻 中尾醸造株式会社|酒母室

中尾醸造は「高温糖化酛」という酒母製造の手法を開発した蔵元です。

自社酵母の開発に力を入れていた中尾醸造は、リンゴから採取した酵母による酒造りを試みますが、リンゴ酵母というのがとても弱くて他の酵母に負けてしまいます。そこで他の酵母が混ざらず純粋にリンゴ酵母だけで酒母を造る必要に迫られました。

その結果、考案されたのが「高温糖化酛」です。

写真のタンクに水と麹と蒸米を入れ55度で8時間保つと、麹が蒸米を溶かし糖分を作ります。つまり糖化が行われ甘酒が出来上がります。
また55度で8時間温めることで、自然酵母など雑菌が死滅し、無菌に近い状態になります。

そうなった状態で、20度まで冷却した後に目的の酵母を添加します。
他の酵母が死滅した状態で目的の酵母を添加するので、弱いリンゴ酵母でもしっかり発酵を行います。

また他の酵母の影響がないので蔵グセなども出にくく、目的の酵母で狙い通りの酒に仕上げやすい為、現在は全国新酒鑑評会の出品酒の約6割が高温糖化酛で造られるそうです。


写真は麹を造る製麹機です。 誠鏡(せいきょう) 幻 中尾醸造株式会社|製麹機
下の装置も製麹機ですが、上下の写真と「歯」を見比べて下さい。 誠鏡(せいきょう) 幻 中尾醸造株式会社|製麹機2

歯の形状が異なるのは、それぞれの用途が異なるからです。

上の製麹機は「種付け」といって麹菌を付ける作業用。下の製麹機は盛りの作業を行います。


左の方が6代目蔵元 中尾 強志さんです。 誠鏡(せいきょう) 幻 中尾醸造株式会社|麹室

誠心誠意を社是とする中尾醸造は、真心込めた酒造りが行われています。

特に麹造りには重きに置いて、時間を省かず一番良い状態になるまで時間をかけて造る事に重点を置いているとの事。

中尾醸造の酒造りの信条は「地元の米と気候風土を活かした旨口の酒造り」。

・日本酒本来のコクと旨味をしっかり持ち合わせること。
・堅さ、荒さ、青臭さがなく適度に熟成していること。
・重たくなく軽い酒質であること。

以上の3つが酒質の方針です。


また酒造りに関しては

・食と酒について普段から関心をもつこと。
・リスクを避け、安全に傾くほど、真に旨い酒造りから遠ざかる。
・何でも試す。いつも新しい事に挑戦する気持ちを持つ。
・機会化・合理化については、品質に向上が見込めるもの。もしくは品質が損なわれないと考えられるものに限り行い、そこから生まれる余力をより重要な部分に注ぐ。
・小さな清潔の積み重ねが蔵の微生物バランスに影響し、正しい姿勢の酒を生む。

このような姿勢で誠心誠意の酒造りが行われています。


誠鏡(せいきょう) 幻 中尾醸造株式会社|仕込み部屋
仕込み部屋もご覧の通り綺麗で清潔。 誠鏡(せいきょう) 幻 中尾醸造株式会社|仕込み部屋 上から

仕込み部屋の一部だけは、昔ながらの建物が用いられています。

訪問の証の記念撮影です。 誠鏡(せいきょう) 幻 中尾醸造株式会社|記念撮影

リンゴ酵母で造られた旨味がありながら爽やかな酒質の酒に、思わず笑顔になる吾郎でした。




商品の購入・質問は誠鏡(せいきょう)|中尾醸造株式会社へお問い合せ下さい。
TEL:0846-22-2035 誠鏡醸造元中尾醸造株式会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。
  
タグ :中硬水6代

Posted by 佐野 吾郎 at 12:30TrackBack(0)広島県の酒蔵巡り

2011年05月26日

龍勢(りゅうせい) 宝寿|藤井酒造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 177蔵目

龍勢(りゅうせい) 宝寿|藤井酒造株式会社

広島県竹原市本町三丁目4-14
代表銘柄:龍勢(りゅうせい),宝寿(ほうじゅ)
創業:1863年(文久3年)5代
杜氏:社員杜氏(広島杜氏)
仕込み水:軟水
訪問日:2011/5/26

代表銘柄
龍勢 純米大吟醸 黒ラベル
龍勢 特別純米
龍勢 夜の帝王 特別純米酒

記念すべき第一回全国新酒品評会にて日本一の名誉に輝いた酒、龍勢(りゅうせい)龍勢(りゅうせい) 宝寿 藤井酒造株式会社|蔵の外観

藤井酒造株式会社は江戸時代末期、文久3年(1863年)に藤井 善七氏が創業した酒蔵です。

現在、蔵元が位置する場所はかつは海でした。
元々は山手で商売をされていた藤井 善七氏は、江戸後期に製塩によって干拓され陸地化した現在の場所に来て酒造業を開始します。

創業当時の屋号は「かね善」。龍勢(りゅうせい)が最も古くから残る酒名であることから、創業当初の酒名は龍勢ではないかと言われています。


写真の方は藤井酒造の杜氏、藤井 雅夫さんです。 龍勢(りゅうせい) 藤井酒造株式会社|仕込み部屋

この地の水は発酵力が弱い「軟水」であった事から、創業当初の藤井酒造の酒造りには苦労されたと思います。
しかし隣町の安芸津にて「花心」という酒を造る酒造家、三浦仙三郎氏によって軟水による醸造法が確立。
それによって藤井酒造の酒は劇的に改善されます。

明治40年 第一回全国清酒品評会で藤井酒造が造る龍勢が日本一になります。
それにより龍勢藤井酒造の看板商品となります。


龍勢(りゅうせい) 宝寿 藤井酒造株式会社|槽場

その後、昭和天皇がご誕生の際、新聞各社が「宝寿」とお祝いしたことから、新たな酒名「宝寿(ほうじゅ)」が誕生。

第2次世界大戦によって原料米事情が悪くなった事から、看板であった龍勢の酒名は封印。

その後は酒名は「宝寿」のみとなり、昭和の級別の時代は宝寿が販売される事になります。


龍勢(りゅうせい) 宝寿 藤井酒造株式会社|釜場

しかし平成2年に龍勢が復活します。

日本酒の級別が廃止され、特定名称の時代になると、地酒が台頭。首都圏などには珍しい地酒を販売する専門の酒屋や居酒屋が現れます。

藤井酒造5代目蔵元は、地酒専門店に並ぶこだわりの地酒として龍勢を復活。

当時、藤井酒造が造っていた最高峰の酒「龍勢 純米吟醸」を発売します。


龍勢(りゅうせい) 宝寿 藤井酒造株式会社|麹室

発売当時の龍勢は出雲杜氏の方が造っていました。その後平成2年に蔵元の次男、藤井雅夫さんが蔵に戻ってきて酒造りの修行を開始。現在は杜氏として酒造りをされています。


写真は酒母室です。 龍勢(りゅうせい) 宝寿 藤井酒造株式会社|酒母室

藤井酒造が目指す酒は「燗上がりする酒」。

「酒は純米、燗ならなお良し。」という言葉を残された、上原浩先生の考え方を汲んおられます。

香り偏重ではなく純米で燗酒にしておいしい酒を造っていきたいとの事。
燗上がりする酒が基本、日本酒の魅力はそこにある、と語られました。


龍勢(りゅうせい) 宝寿 藤井酒造株式会社|商品

写真は「酒蔵交流館」です。 龍勢(りゅうせい) 宝寿 藤井酒造株式会社|売店

藤井酒造には「酒蔵交流館」というお店が併設されています。

酒蔵交流館には古い酒造り道具の展示、お酒の試飲販売の他、「たにがき」という蕎麦屋さんがあります。

本格手打ち蕎麦と藤井酒造の純米酒が楽しむ事が出来ます。

竹原に観光に来られた際には是非お立ち寄りたいお店です。

龍勢(りゅうせい) 宝寿 藤井酒造株式会社|記念撮影

最後に、訪問の証の記念撮影は酒蔵交流館の中で撮影しました。

冷で飲むと味の凝縮感がある密度の詰まった酒。燗酒にすると味に膨らみと優しさが現れる絶妙な味わいに驚く吾郎でした。




商品の購入・質問は龍勢(りゅうせい)|藤井酒造株式会社へお問い合せ下さい。
TEL:0846-22-2029 龍勢醸造元藤井酒造株式会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。   

Posted by 佐野 吾郎 at 10:00TrackBack(0)広島県の酒蔵巡り

2011年05月25日

竹鶴(たけつる)|竹鶴酒造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 176蔵目

竹鶴(たけつる)|竹鶴酒造株式会社

広島県竹原市本町三丁目10-29
代表銘柄:竹鶴(たけつる)
創業:1733年(享保18年)14代
杜氏:社員杜氏(諸派)
仕込み水:軟水
訪問日:2011/5/25

代表銘柄
竹鶴 生もと純米
小笹屋 竹鶴 生もと 純米吟醸
小笹屋 竹鶴 生もと 純米原酒

唯我独尊!強い存在感を放つ酒が広島の酒 竹鶴。 竹鶴(たけつる) 竹鶴酒造株式会社|蔵の外観

現在、竹原には3社の酒蔵が稼動しています。
その中で最も長い歴史を持つ蔵が竹鶴酒造株式会社です。

竹鶴酒造は江戸時代の屋号は「小笹屋(おざさや)」といい、ルーツは製塩業を営む商家でした。

江戸時代この地を治めていた大名、広島藩の浅野家はその分家に浅野内匠頭で有名な赤穂藩がありました。
赤穂藩は塩田で潤っていたことから、本家という間柄ということもあり赤穂から製塩の技術を教わり製塩業に力を入れます。
その際に雨が少ないという理由で竹原が選ばれたそうです。

竹原には北前船が寄港する港があり、竹原で造られる塩は北前船に乗って遠方に運ばれます。

当時、塩は高級品であり北前船によって遠方に運ばれ街は発展します。
蔵元が語るには当時の竹原は「シンガポール」のような街で、人口や面積はすくないものの、物流と製塩が栄えたことから密度が濃く豊な街だったそうです。

竹原は製塩と同時に酒造業が盛んな街で、大正時代には竹原には50件の酒蔵が存在し西条を凌ぐ酒の産地でした。
小笹屋は1733年に酒造株を手に入れ、酒造業へ参入。江戸後期に現在の酒名となる「竹鶴(たけつる)」の酒名が誕生します。
酒名の由来は、蔵の裏にある竹やぶに鶴が飛来し巣を作った事を喜び「竹鶴」と命名されたそうです。

またニッカウヰスキーの創業者である「竹鶴 政孝氏」は竹鶴家の出身の方です。


写真はこの蔵に残る木桶の底を撮影したものです。 竹鶴(たけつる) 竹鶴酒造株式会社|木桶の裏

かつては50社以上の酒蔵があった竹原ですが、塩があちらこちらで作られるようになり製塩産業に陰りが現れます。商人はお金がある場所に移動するもので、時代の変化を感じた酒蔵は次々と竹原の地から去っていきます。

しかし小笹屋は竹原の地を離れず、昭和30年代に製塩業を止めてから酒造業を専念する道を選びます。
その結果、竹原に残る3件の蔵元になります。


日本酒ファンの間で、唯我独尊とも言える存在感を放つ竹鶴の酒。
その竹鶴を造り出した14代目蔵元の竹鶴敏夫さんにお伺いしました。


伝統産業とは時代の変化にあわせて姿を変えた事によって、時代を超えて存在し続けている産業を言います。
携帯電話も自動車も、過去から大きく形を変えて来たわけであって日本酒もそうであるべきではないでしょうか。

と語り始める蔵元。

日本酒の需要が減っていく理由に「現在の食生活に日本酒には合わなくなってきた」と考えている方がいますが、そうではありません。

「現在の食生活に日本酒にはあわない」のではなく「現在の食生活にあう日本酒を造らなかった。」からです。

受け継がれた技術は使わせてもらいます。
しかし味に関して従来の日本酒の枠にとらわれず「こういう味があったらもっと日本酒が面白くなるのでは?」
という考え方で酒を造っていきたいと考えています。

日本酒には色々あっていいはずです。
動物でも多様性が無いと種の存続に関わるわけで、日本酒も一つのタイプではなく多様性が必要であると考えています。

なので頭の硬い人に「こんな酒は日本酒ではない」と言われることは蔵にとっては賛辞なのです。

これは日本酒ではないんです「竹鶴」なんです。
うちは日本酒メーカーではありません。竹鶴メーカーです。

酒マニアの方にとって枠外の酒。 そういう存在でありたい。
けどそれは茨の道でもあり大変ですが。


と力強く語る蔵元に圧倒。

現在、蔵元が考案している酒は「たまご酒」のような日本酒との事。

たまご酒とは風邪をひいたときに飲むお酒で、日本酒沸騰させてアルコールを飛ばし、砂糖を少々加えて卵を絡め子供でも飲むことが出来るようにした酒です。蔵元は子供の頃に飲んだたまご酒がとても美味しかったと記憶しているそうです。

私はたまご酒を飲んだことが無いので、どのような味なのか想像でしか解かりませんが、そのような酒を造りたい、というような発想ができるのは竹鶴のみ。

この日の夜、近くのお店で竹鶴を飲みましたがとても不思議な味の酒。全種類飲んでみたくなる酒です。
早々に出会う機会が少ない酒なので、見つけたときには一口お飲みになることを是非お薦めします。


竹鶴(たけつる) 竹鶴酒造株式会社|記念撮影

訪問の証の記念撮影は、蔵に続く立派な木桶の前で撮影しました。

蔵の中は撮影禁止ということで、撮影が許された仕込み部屋しか撮影していませんが、見ただけで解るとおりとても綺麗な蔵元です。
古い年代に造られた木桶だそうですが、それを感じさせない素晴らしい木桶に驚く吾郎でした。




商品の購入・質問は竹鶴(たけつる)|竹鶴酒造株式会社へお問い合せ下さい。
TEL:0846-22-2021 竹鶴醸造元竹鶴酒造株式会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。   


Posted by 佐野 吾郎 at 16:00TrackBack(0)広島県の酒蔵巡り