2012年01月21日

天寿(てんじゅ)|天寿酒造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 239蔵目

天寿(てんじゅ)|天寿酒造株式会社

秋田県由利本荘市矢島町城内字八森下117番地
酒名:天寿(てんじゅ)、鳥海山(ちょうかいざん) ■創業:1874年(明治7年)6代 ■杜氏:山内杜氏 ■仕込み水:軟水(鳥海山の伏流水) ■訪問日:2012/1/21

代表銘柄
純米吟醸 鳥海山
天寿 精撰
天寿 大吟醸 鳥海

秋田県本荘市から鳥海山麓線で40分。終点の矢島町に2件の酒蔵が存在します。
その一つが天寿という名の酒を醸す、天寿酒造株式会社。
天寿(てんじゅ) 天寿酒造株式会社|外観
かつて讃岐からこの地方に移ってきたと言われる大井家。
文政13年(1830年)に、大井家の本家から分家した大井永吉氏を初代とし、糀(こうじ)や濁酒製造業を開始します。

戦国時代、四国は讃岐の土地を治めていた大名、生駒 高俊氏はお家騒動によって改易され天寿の酒蔵がある出羽国矢島藩1万石に転封させられます。

天寿の蔵元、大井家はかつて讃岐からこの地に移住してきたと伝えられており、生駒 高俊氏に近かった人物だったのかもしれません。

明治7年(1874年)に2代目大井永吉氏が、免許料10円を上納し酒造免許を取得。
蔵はこの年を酒造業の創業年とし、最初の製造量は30石でスタート。

昭和初年、「玉乃井」「稲の花」等の銘柄を「天寿」に統一。
蔵は今季で通算139回目の酒造りとなり、約2000石を生産。
当主は代々永吉を名乗り、現在で六代続いています。

明治の初期にはこの周辺には7件の酒蔵があったそうですが、今では2社だけが残り酒造りを続けています。

写真の方は製造部の一関陽介さん。
天寿(てんじゅ) 天寿酒造株式会社|一関陽介 今回、蔵をご案内をしてくれました。

天寿が酒造りに用いる米は山田錦を除いて全て秋田県産米。
天寿(てんじゅ) 天寿酒造株式会社|米 酒造好適米は「美山錦」、「秋田酒こまち」が中心。

秋田県で出来る最上の酒造好適米を目指し、天寿酒米研究会を発足。
生活排水さえ一切入らない山の田圃でアイガモ農法を取り入れるなど、平成2年から完全無農薬米にも挑戦されているとの事。

写真は精米機です。
天寿(てんじゅ) 天寿酒造株式会社|精米機 秋田は米どころと言われていますが、秋田の酒蔵の中でも自社で精米機を持つ蔵はそう多くないそうです。

写真は蔵人が開発した定量・定間隔 洗米システム。
天寿(てんじゅ) 天寿酒造株式会社|洗米機正確に計量した米を一定間隔で排出し、泡の力で米を洗う自動洗米機との事。 蔵人が考案し、地元の機械メーカーに依頼して作ったもの。

杜氏が醸造のアイデアを装置化させることが、とても好き方だそうで、この装置は社長賞を受賞されたとのことです。

写真は釜場です。 天寿(てんじゅ) 天寿酒造株式会社|釜場 写真では連続蒸米機のみが写っていますが、すぐとなりに和釜があります。
出荷全体として地元8割、東京が約15%、輸出3%。
地元市場は「天寿 精選」という普通酒の需要が多く、蒸す米の量によって和釜と連続蒸米機を使い分けされているとの事。

写真は仕込み部屋。
天寿(てんじゅ) 天寿酒造株式会社|仕込み部屋 ご覧のようにしっかりと足場が組まれていて、開放タンクが使用されています。
壁や天井も白で統一され、清潔感がある仕込み部屋です。

蔵元は東京農業大学出身ということで、同校が力をいれている花酵母の採用にも積極的。
特定名称の3割くらいが花酵母で造られている酒で「なでしこ酵母」が最も人気との事。

写真は槽場です。
天寿(てんじゅ) 天寿酒造株式会社|槽場 2機の圧搾機が並んで使用されていました。

最後に訪問の証の記念撮影。
天寿(てんじゅ) 天寿酒造株式会社|記念撮影 次々に米を磨く精米機を見て感心する吾郎。

この蔵は自社で精米機を備えている点や、高価な圧搾機が2台もある点など、醸造設備への投資は積極的な蔵である印象を持ちました。
この後、近くの旅館で天寿 純米吟醸 美山錦を飲ませていただいたのですが、酒質の素晴らしさには目を見張るものがありました。
居酒屋等で見かけた際には是非ともお薦めです。




商品の購入・質問は天寿(てんじゅ)|天寿酒造株式会社へお問い合せ下さい。
TEL:0184-55-3165天寿、鳥海山醸造元天寿酒造株式会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。  

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2012年01月20日

一白水成|福禄寿酒造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 再訪問

一白水成|福禄寿酒造株式会社

秋田県南秋田郡五城目町字下タ町48番地
酒名:一白水成(いっぱくすいせい)、福禄寿(ふくろくじゅ) ■創業:元禄元年(1688年)16代 ■杜氏:山内杜氏 ■仕込み水:弱硬水 ■訪問日:2012/1/20

代表銘柄
一白水成 特別純米
一白水成 純米吟醸 袋吊り

福禄寿酒造は2010年4月以来の2度目の訪問になります。
今回、日本酒愛好家の方から酒蔵訪問ツアーをお誘いいただき再訪問してきました。

一白水成 福禄寿酒造株式会社|外観 八郎潟のとなりにある秋田県五城目町の酒蔵「福禄寿酒造株式会社」。
創業は元禄元年(1688年)という320年以上の歴史を持ちます。
蔵元の祖先は石川県の松任市に住んでいたようで、安土桃山時代に織田信長による一向一揆攻めにより、この地に逃げ延びてこられたとの事。

レンガ作りの外観が映える美しい酒蔵。

蔵の入口の玄関の写真。
一白水成 福禄寿酒造株式会社|玄関

蔵の建物は平成8年に全国登録有形文化財に指定されています。
一白水成 福禄寿酒造株式会社|有形文化財

写真の方は福禄寿酒造株式会社16代目蔵元、渡邉 康衛(こうえい)さん。
一白水成 福禄寿酒造株式会社|渡邉 康衛さん 2006年に誕生させた酒「一白水成(いっぱくすいせい)」は日本酒ファンの間で評判の酒です。

写真は地元銘柄の福禄寿。
一白水成 福禄寿酒造株式会社|商品 福禄寿酒造は、一般の方の見学にオープンな酒蔵です。
外観のみならず、蔵の中もとても綺麗で、古き良き酒蔵の面影を色濃く残しています。
蔵の売店では地元銘柄の「福禄寿」の購入が出来ます。

一般的に首都圏等で話題とされている酒蔵の多くは、一般の蔵見学はお断りしているケースが多いのですが、日本酒の愛好家にとってありがたい存在といえるでしょう。

写真は洗米・浸漬の様子です。
一白水成 福禄寿酒造株式会社|洗米 蔵人は皆さん、お揃いの帽子と作業服で仕事をされています。
米の浸漬ですが、ステンレス製の網ではなくプラスチック(塩化ビニール?)製のものが使用されています。

確かにステンレス製の方が水はけの良さが違うのかもしれませんが、とても高価であるとききます。
限りある予算から最大限の効果を得るには、今はこの部分への投資をする時期ではないと考えておられるのではないでしょうか。
蔵の中にはタンクごと入る大型冷蔵庫をはじめ、2年前に訪問した頃と比べ冷蔵設備がかなり強化されたように見えました。

写真は釜場です。木の甑(こしき)が現役で使われています。
一白水成 福禄寿酒造株式会社|釜場 蔵元の話によると、写真のような昔ながらの木の甑でも工夫次第で「甑はだ」を起きにくくする事が出来るとの事。

この地域は、冬になると雪で建設業は仕事ができないために、冬季に酒蔵で働く建設業関係の人が多いとのことです。
ここの蔵にも、蔵人の中に大工さんがいるそうで、様々な醸造設備を自作で用意されたりメンテナンスを行われているそうです。

創意工夫でカバー出来る部分は人間に頑張ってもらい、そうではなく冷却など機械でないと出来ない部分は資金を積極的に投入する。
そんな感じで資金を効果的に運用しつつ、酒質の向上を図る。
それによって、美味しい酒をお求めやすい価格にて日本酒ファンに提供する。
蔵元はそんな方針で酒造りをされているのではないでしょうか。

写真は仕込み水。 一白水成 福禄寿酒造株式会社|仕込み水 秋田県でも珍しい硬水で、カルシウムイオン・マグネシウムイオンを置く含む水との事。

最後に訪問の証の記念撮影。 一白水成 福禄寿酒造株式会社|記念撮影 今回は愛好家の皆さんに混ざって訪問させていただいたという事で、個人的に踏み入った取材は控えさせて頂きました。
てきぱきと作業をされる蔵人さんの様子に感心する吾郎でした。




ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。  

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2011年04月28日

福小町 秋田杜氏 角右衛門|木村酒造

新進気鋭 酒蔵訪問の旅。
167件目の訪問蔵は、
秋田県の湯沢市で福小町という日本酒を醸す木村酒造です。

福小町 秋田杜氏 角右衛門|木村酒造

所在地:秋田県湯沢市田町2-1-11
代表銘柄:福小町、秋田杜氏、角右衛門
創業:1615年(元和元年)14代
杜氏:社員杜氏
仕込み水:軟水
訪問日:2011/4/28

代表銘柄
純米酒 福小町
吟醸酒 秋田杜氏
純米原酒 秋田一水
特別純米 角右衛門

大阪夏の陣により豊臣氏が滅亡した1615年。
その年に創業したのが木村酒造です。 福小町 角右衛門 木村酒造|蔵の外観 木村酒造のルーツは大阪夏の陣で戦死した豊臣方の武将、木村 長門守 重成の子孫と言われています。

大阪夏の陣で木村 重成が討ち死にした後、豊臣家が滅亡。重成の子孫の一人が秋田県まで逃げ延びて来る訳ですが、豊臣氏が滅亡し刀を捨て商売を開始した1615年を創業の年としています。

とても歴史が長い蔵元ですが、秋田県には木村酒造より更に長い蔵が1件あるとか。


写真は蔵にある展示館。一般の方でも見学が出来ます。 福小町 角右衛門 木村酒造|展示館 明治時代以前、湯沢の街というのはお酒に関する法律がとてもゆるい地域だったそうで、一般人でも全く罪の意識無くどぶろくを造っていたそうです。

蔵元の話によると、400年ほど前の秋田には酒蔵が700件あったと記録されているそうなので、それから推測すると当時の酒造株の取得は比較的緩く、取得しやすかったのではないかと考えられます。

木村酒造も当初は「どぶろく」のような酒から酒造業が開始したのではないかと考えられています。
その後3代目の角右衛門(かくうえもん)氏の代(1681-1728)になって、現在のような酒蔵へと成長を遂げます。


写真は木村家3代目、酒造業を発展させた右衛門(かくうえもん)氏の名を冠した酒。 角右衛門 木村酒造|商品 木村酒造は、古くは「男山」という酒名の酒を造っていました。

ところが明治14年明治天皇が秋田に来られた際に従事の方が木村酒造に宿泊されます。

その夜、酒を飲まれた際とても甘くて円やかであったことから「男山というよりも女性的な酒ですね」という話となり従事の方より「福娘」という酒名を賜ります。


福小町 角右衛門 木村酒造|仕込み部屋

昭和になるまで福娘と男山の2種類の銘柄の酒を出荷していましたが、昭和の初期に「商標が他社と重なる」という問題が発生します。

酒蔵の多くは、現在の商標登録が無かった江戸末期から明治の初期に創業しているため、銘柄がバッティングする事が多々ありました。
地酒の多くは、それぞれの地元の範囲内で酒が消費されてきた訳ですから、遠方の蔵と商標が重なっても問題はなかったのです。
それが明治中期に商標制度が始まり、昭和あたりから商標が重なる事による問題が発生してきます。

そこで木村酒造は、湯沢が小野小町の生誕の地と言われている事から、「福娘」の「娘」を小町に変え、昭和16年に現在の主力商品「福小町」の酒名が誕生します。


福小町 角右衛門 木村酒造|仕込み部屋

平成9年に日本酒の級別制度が廃止された際に、普通酒の製造を止め全量特定名称酒造りに変更されます。
その時に誕生した銘柄が「秋田杜氏」。

少量多品種生産の時代に入り、原酒専門の銘柄「一水」というブランド誕生。
そして専門店限定流通の「角右衛門」という商品が現れます。

酒の特徴ですが、言われると通り、柔らかな甘味が感じられる女性的な酒。
甘いというよりも、口当たりが柔らかく丸いのが特徴。
辛口の酒を意識して造っても、口当たりが柔らかい酒が出来上がるそうです。


福小町 角右衛門 木村酒造|記念撮影 最後に訪問の証の記念撮影は、蔵の展示館で撮影。
蔵に残る古い資料(家系図)を見て感心する吾郎でした。


商品の購入・質問は福小町|木村酒造へお問い合せ下さい。
TEL:0183-73-3155 福小町醸造元 木村酒造
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2011年04月28日

一滴千両(いってきせんりょう)|秋田県醗酵工業株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅。
166件目の訪問蔵は、
秋田県の湯沢市で一滴千両(いってきせんりょう)という日本酒を醸す秋田県醗酵工業株式会社です。

一滴千両(いってきせんりょう)|秋田県醗酵工業株式会社

所在地:秋田県湯沢市深堀字中川原120−8
代表銘柄:一滴千両(いってきせんりょう)
創業:1953年(昭和28年)
杜氏:社員杜氏
仕込み水:中硬水
訪問日:2011/4/28

代表銘柄
一滴千両 パック
一滴千両 上撰
ブラックストーン
そふと新光

一般的な地方蔵とは異なり近代的な企業形態の蔵元、秋田県醗酵工業株式会社。 一滴千両 秋田発酵工業株式会社|外観 一滴千両(いってきせんりょう)という日本酒を造る秋田県醗酵工業株式会社は、一般的な地方蔵とは異なり、近代的な起業の形態を持つ日本酒メーカーです。

創業の経緯も通常の酒蔵とは異なります。

湯沢市には爛漫に代表される普通酒を沢山造る酒蔵がいくつもあります。
レギュラー酒を生産する際に原料の一部分となる醸造アルコールは関西の大手の酒蔵から仕入れていました。

その醸造アルコールを、競争相手である関西の酒蔵から購入するのではなく、自分たちで造ってしまおう。
そう考えた秋田県の複数の酒蔵や財界人が出資、昭和28年に爛漫の敷地内に起業します。

起業当初は、醸造アルコールの製造を行っていましたが、後に湯沢銘醸という酒蔵を吸収。
湯沢銘醸が所有していた「一滴千両」という商標で日本酒造りを開始。
蔵の敷地も爛漫から離れ、今の場所に落ち着きます。

ただし醸造アルコールを地元の秋田の酒蔵に販売していた手前、秋田県醗酵工業株式会社にとって主要取引先は秋田の酒蔵。
取引先の機嫌を損ねないよう、一滴千両という日本酒は秋田県下では販売せずに、首都圏など県外で販売される事になります。

やがて爛漫から焼酎の免許を取得。
日本酒とはバッティングしないという事から秋田県内で販売。現在は、その焼酎「ブラックストーン」「そふと新光」が主力商品となっているとの事。

そして現在は、当初の目的であった醸造アルコールの生産も行っていません。そういう意味では秋田県内でも日本酒の販売も可能なわけですが、現在は売れている焼酎やワインなどの製造に力を入れているそうです。

一滴千両 秋田発酵工業株式会社|記念撮影 訪問の証の記念撮影です。一般的な酒蔵と異なり、完全な企業という雰囲気に驚く吾郎でした。


商品の購入・質問は一滴千両(いってきせんりょう)|秋田県醗酵工業株式会社へお問い合せ下さい。
TEL:0183-73-3106 一滴千両(いってきせんりょう)醸造元 秋田県醗酵工業株式会社
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2011年04月28日

両関(りょうぜき)|両関酒造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅。
165件目の訪問蔵は、
秋田県の湯沢市で両関(りょうぜき)という日本酒を醸す両関酒造株式会社です。

両関(りょうぜき)|両関酒造株式会社

所在地:秋田県湯沢市前森4-3-18
代表銘柄:両関(りょうぜき)
創業:1874年(明治7年)
杜氏:社員杜氏(山内杜氏)
仕込み水:中軟水
訪問日:2011/4/28

代表銘柄
両関 雪月花 純米吟醸
両関 秋田酒こまち純米酒
両関 純米酒 廉士
両関 銀紋

老舗を感じさせる、古き良き酒蔵の外観。
日本酒ファンなら思わず足を踏み入れたくなる酒蔵が両関酒造です。 両関(りょうぜき) 両関酒造株式会社|蔵の外観 両関酒造株式会社は明治7年に7代仁右衛門氏によって創業した酒蔵です。

7代目仁右衛門氏の祖先は、戦国時代が終わった頃、加賀の国よりこの地に移り住んできた商人で、屋号は加賀仁屋と名乗っていました。

やがて地主となり庄屋となり、この地を治めていた佐竹家に取り入り、この地の商いを取り仕切るようになります。

江戸時代に中頃、秋田県の湯沢周辺というのは、院内銀山で潤っていており秋田市よりも人口が多かったそうです。
同時に豊富に米が取れた地域でもあった為、酒造業参入の敷居も低く、どぶろくを造って桶のまま売って商売になったくらいお酒の需要があったそうです。

そのような地域であったため、御用商人に近い立場であった両関酒造は江戸時代頃から酒造業を行っていたはずですが、残念ながら資料が見つからないとのこと。

大正時代になってから酒税方面が整備され、7代仁右衛門氏が現在の酒造免許を取得した明治7年が酒造業の創業としていますが、実際にはもっと古くから酒造業が行われていたようです。


写真は両関の1号蔵。文化庁の登録有形文化財に指定されています。
現在、吟醸酒の仕込みに用いられる長期低温発酵のルーツと言われる蔵です。 両関(りょうぜき) 両関酒造株式会社|蔵のにある蔵秋田県の内陸部にある湯沢の冬は寒く、この蔵の入口のドアの近くにあるタンクが寒さのために発酵が遅かったのです。
後から仕込んだタンクに次々と追い越させるのですが、何故かこのタンクで仕込んだ酒の香りが良いのです。

明治40年に開催された第一回全国清酒品評会にて、このタンクで仕込んだ酒を出品したところ一等賞を受賞します。

全くの無名蔵であった両関酒造は、記念すべき第一回の開催で一等賞の受賞した事により、多くの醸造関係者から注目される事となります。


両関(りょうぜき) 両関酒造株式会社|釜場 当時、科学によって酒造りの理論が解明されかけていた時代。軟水による醸造法も完成されていました。
低温で発酵させてしまうと、酵母が負けたときに「腐造」が起きてしまうため、危険という理論は当時の人々でも解っていたはずです。

両関酒造が一等賞を取った低温長期発酵というのは、当時の考えではかなり非常識な仕込み方法だったようです。

両関酒造としても自然の力によって結果的に低温長期発酵になってしまった訳であり、根拠があって行なった結果ではありません。


写真の方が両関酒造の杜氏を務める武石廉太郎氏。
所属は山内(さんない)杜氏です。 両関(りょうぜき) 両関酒造株式会社|杜氏

よくよく考えてみたら、酒造りはとても不思議です。
お米から16度以上という高いアルコール度数を持つお酒が出来てしまうわけですから。

しかも製造方法は非常に複雑。
マニュアルがあった訳ではありません。
外国から作り方を教わった訳ではありません。
偶然によって得られた発見の繰り返し。そのノウハウが蓄積され、現在の日本酒造りの手法が完成していきました。

明治時代頃までの日本酒というのは、自然が造ってたのでしょう。その結果、自然が様々な偶然という奇跡を与えました。

両関酒造にて偶然に発生した低温長期発酵。
その後、各蔵との技術交流を経て広まり、現在の長期低温発酵の先駆けになったのでは、と言われています。


写真は仕込み部屋です。 両関(りょうぜき) 両関酒造株式会社|仕込み部屋 両関酒造というと、秋田の大手蔵の一角と思われている方が多いと思います。

かつては5万石規模の大きな蔵でした。
しかし3年前、伊藤康朗氏が社長に就任した後、社員を半数に減らすなど蔵の大改革が行われます。

少量多品種生産に舵を切り替え、特定名称酒を造る蔵に方向転換中。
現社長はこだわりの日本酒造りに精力的であり、今後が期待できる蔵元です。


写真はかつて量産していたときの名残の貯蔵タンクです。 両関(りょうぜき) 両関酒造株式会社|貯蔵タンク このタンク1本に、800石の酒を貯蔵する事ができます。
4本並んでいますので、ここだけで3200石の酒の貯蔵が行えます。

大きな酒蔵は1種類の酒を、複数のタンクで仕込みますので、それぞれの仕込みで微妙に味が変化します。
味の安定化のために、ブレンド用として使われていたそうです。


最後に訪問の証の記念撮影は蔵の玄関先に陳列されている、昔ながらの酒道具の前で撮影。両関(りょうぜき) 両関酒造株式会社|記念撮影

もし明治40年に品評会が無く、両関のお酒が注目される機会がなかったら、現在の日本酒はどうなっていたのでしょうか?

他の蔵によって低温長期発酵が解明る事になったのでしょうか?もっともっと後の時代になってから発見される事になったのでしょうか?

酒造の歴史を変えたであろう蔵に訪問し、昔の道具を手に取り関心する吾郎でした。




商品の購入・質問は両関(りょうぜき)|両関酒造株式会社へお問い合せ下さい。
TEL:0183-73-3143 両関(りょうぜき)醸造元 両関酒造株式会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。  

Posted by 佐野 吾郎 at 12:00TrackBack(0)秋田県の酒蔵巡り