2014年07月16日

香の泉(かのいずみ)、唯唯(ただただ)|竹内酒造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 352蔵目

香の泉(かのいずみ)、唯唯(ただただ)|竹内酒造株式会社

滋賀県湖南市石部中央1-6-5
蔵元のサイト:http://www.kanoizumi.jp/


酒名:香の泉(かのいずみ)、唯唯(ただただ)、近江万葉 ■創業:明治5年(1872年)7代 ■杜氏:南部杜氏 ■仕込み水:軟水 ■訪問日:2014/07/16

代表銘柄
香の泉 極上辛口
唯々 特別純米
宮崎へべすのおいしいお酒

日本一大きな湖「琵琶湖」をもつ滋賀県。
県の面積は全国で10番目の小ささで、更に琵琶湖が全面積の6分の1を占めています。

その割には酒蔵の数は多く、滋賀県酒造組合のサイトによると33件の酒蔵が登録。

地産地消が今でも根強く続く特徴があり、特に滋賀県の甲賀周辺ではナショナルブランドの日本酒を目にするのが珍しく、地元の日本酒が根強く消費されているとの事。

香の泉という酒名の酒を造る竹内酒造株式会社も、地元から根強く愛されている酒蔵のひとつ。

竹内酒造株式会社|蔵の外観

竹内酒造株式会社|蔵の外観
竹内酒造株式会社は明治5年に創業した現在で7代続く酒蔵です。

創業当時の酒名は「朝日香の泉」といい、今の蔵の敷地内の旧東海道に面した場所で創業。
酒名の由来は、香りが良く綺麗なお酒というところからきているとの事。
そしていつの頃からか「朝日」が無くなり現在の「香の泉」となったそうです。

写真は2014年に誕生した限定流つ銘柄「唯唯(ただただ)」。
竹内酒造株式会社|唯唯(ただただ)

竹内酒造株式会社|宮崎へべすのお酒

竹内酒造の主力銘柄は香の泉と2014年に限定流通商品として誕生した「唯唯」。

上記でも記載しましたが、香の泉が位置する石部や甲賀周辺は滋賀県の中でも特に地産地消が強く、ナショナルブランドが入ってこれなかった地域だそうです。

滋賀県全体でみたら県内の地酒の消費率は40%に満たない数字だそうですが、旧甲賀郡に関しては90%が地元の酒。
スーパーに行かない限りナショナルブランドの酒は目にしない特殊な地域だそうです。

このような地の利に恵まれているのか、地元の消費が多く、年間で約1000石の酒を製造しているとの事。

千差万別と言われる滋賀県の中で、竹内酒造が造る酒は「フレッシュでフルーティーな酒」がコンセプト。

蔵元自身が若い酒が好みだそうで、香りもあってすっと喉越しがよく、それでいて食事の邪魔をしない酒を目指されているとの事。

若い状態を維持するために、熟成を遅くさせる目的で建物には断熱材を入れ、タンクごと0度で冷やせるよう、蔵は設備を入れています。

写真の方が7代目蔵元、竹内 善彦さん。
竹内酒造株式会社|蔵元

写真は仕込み部屋。
竹内酒造株式会社|仕込み部屋

竹内酒造株式会社|仕込みタンク

仕込み部屋は上から見たらこんな感じ。見ての通り2階から櫂入れなどの作業を行います。
竹内酒造株式会社|仕込み部屋上から

竹内酒造ではかつては能登から杜氏が来ていましたが、現在では人材が多いとの理由で岩手から南部杜氏が来て酒造りをしているとの事。

酒造りに用いる米は滋賀県産の日本晴が最も多く次に玉栄や吟吹雪を使用。 県外の米は兵庫の山田錦のみ。

蔵から約1キロ離れた場所にある里山から湧く水と蔵の敷地内にある井戸水を使用。両方ともとても柔らかな軟水だそうで、この2種類の水を酒造りに使用。
里山の水はパイプで蔵までつながっているそうで汲みに行く必要はないそうです。

写真は酒母室。
竹内酒造株式会社|酒母室

写真は麹室です。
竹内酒造株式会社|麹室
地元を中心に出荷するレギュラー酒などはこちらの部屋で麹を造りますが、大吟醸酒などこだわりの酒は下記の写真の麹蓋を使用しているとの事。

竹内酒造株式会社|麹室 蓋麹

写真は槽場、床がピカピカで清潔に保たれています。
竹内酒造株式会社|槽場 圧搾機

竹内酒造株式会社|訪問の証の記念撮影
訪問の証の記念撮影。麹蓋に感心する吾郎。

地元流通が中心の香の泉ですが、2014年に限定流通商品の「唯唯(ただただ)」という新ブランドを立ち上げました。

全国市場での競争に勝つための酒質改造に向け努力している最中。
ご覧のとおり、設備も特定名称酒造りに適した大きさで、蔵も綺麗に整っていて清潔でした。
良いお酒が出来上がってくれる事を期待したいと思います。




ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。お読みになられている時には変化している事もあります。   

Posted by 佐野 吾郎 at 14:00TrackBack(0)滋賀県の酒蔵巡り

2014年02月07日

五人娘(ごにんむすめ)|株式会社寺田本家

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 351蔵目

五人娘(ごにんむすめ)|株式会社寺田本家

千葉県香取郡神崎町神崎本宿1964
蔵元のサイト:http://www.teradahonke.co.jp


酒名:五人娘(ごにんむすめ)、香取(かとり) ■創業:延宝年間(1673〜81年)24代 ■杜氏:社員杜氏(諸派) ■仕込み水:弱硬水 ■訪問日:2014/02/07

代表銘柄
五人娘 純米酒
菩提もと仕込み 醍醐のしずく
発芽玄米酒 むすひ

東京から電車で約1時間40分の距離に位置する下総神崎。

江戸時代には利根川の水運と米の産地であった事から周囲には沢山の酒蔵が存在するほど栄えていたというこの地は現在は静かな地方の町。

下総神崎駅から車で約10分の場所に位置する場所に、旧家の佇まいを残す蔵が今回の訪問先である寺田本家です。
五人娘(ごにんむすめ) 株式会社寺田本家|外観
五人娘(ごにんむすめ)という名の酒を造る株式会社寺田本家は、延宝年間(1673〜81年)に創業した現在で24代続く酒蔵です。

創業者の名前は忠兵衛といい、近江国からこの地に移住してきたと伝えられています。
香取は米どころであり、仕込み水にも恵まれ、利根川の水運があった事から栄えていたそうなので、この地に根を下ろしたのではないでしょうか?

古くは「菊の友」の酒名で酒を造っていたそうですが、その後「香取」という酒名に変わり、現在の主力銘柄「五人娘」が誕生したのが先代である23代目が当主をしていた昭和63年。

五人娘(ごにんむすめ) 株式会社寺田本家|外観

先代(23代目)の時代には大量生産の酒を造っていたそうですが、儲けが出ず先代が病気で倒れ一時期は廃業寸前にまで陥ったそうですが、その病がきっかけとなり酒造りを改めます。

病に伏せ天井を見ながら「自分の酒造りは儲かればいいという事しか考えてこなかった。酒とは微生物の力によって発酵して出来上がってくるもの。自分の酒造は欲しかなかった。」という事を考えたそうです。

そして病気から回復した後、今後の身の振り方をどうしようかと、思想家の常岡一郎氏という方に相談したところ「あなたのお酒は人に役に立っていますか?」と問いかけられます。

人の役に立つ酒とは何か?を考えた結果、酒は百薬の長と言われ、健全に発酵をしているモロミは腐りません。暴飲暴食をし身体を壊してしまうような酒ではなく、自然の力で発酵させた百薬の長というべき身体に良い酒を造れば、人々のお役に立てるのではないか?を考えます。

そうして昭和63年に誕生した酒名が「五人娘」でした。

酒名の由来ですが、寺田本家は何故か女性ばかり生まれる女系の蔵で、先代も現当主もいずれも婿入りした方が蔵の当主になっています。

先代が新しい酒名を考えていたときに、20代目蔵元の時代に懇意があった歌人の土屋文明氏に相談。
すると土屋氏はこの蔵に最初の訪れた際に娘が多いことに驚いたそうで、娘が5人もいたのかどうか正確な事は聞いていないので不明ですが、とにかく沢山娘がいたことから五人娘という酒名が誕生したとの事。

その後、酒造りの原点にもどり自然のバランス・恵みのなかで商いをする。
微生物が主役の酒造りをしようと決断。
そうして昔の酒造の手法に舵を切り始めます。

五人娘(ごにんむすめ) 株式会社寺田本家|井戸

昔の酒造は分析する道具もなければ温度計も電気もありません。
それでも酒を造ることが出来ていました。

それが文明化されて、酒造がマニュアル化されて来たわけですが、本来の酒造とは微生物の力で発酵を行っていいたわけです。

微生物はどこにでもいて、目には見ませんが環境を整えてあげるとタンクの中に降りてきて発酵を始めます。

微生物が居心地よく発酵できる場所作りを行うため、当時は安い米を仕入れて醸造アルコール、糖類、旨味調味料などを添加していたそうですが、それらを止め、無農薬の米を仕入れ何も添加しない純米酒「純米 五人娘」を造りを始めます。

当時はまだ純米酒を造っている蔵は少なかった時代だったそうです。

五人娘(ごにんむすめ) 株式会社寺田本家|煙突

そうして出来た純米酒ですが、酸味が強く色も黄色みがかかっていて、従来の酒と比べると変わった味だったそうです。

そのため地元の方からそっぽを向かれ、純米酒造りを開始して3年間くらいは売れなかったそうです。

いよいよダメかな?と思っていた時、自然食品をしている店が「味はともかく、良い造りをしている酒だからこの酒を広めよう」と名乗りをあげたそうです。
それからジワジワ売上を増やし起動に乗って行きます。

その後は機械をひとつひとつ廃止し手造り化を進め、昔の人が醸したお酒に近づける方向に進んでいきます。

写真の方が24代目蔵元、寺田 優(まさる)さん。
五人娘(ごにんむすめ) 株式会社寺田本家|24代目当主 寺田 優さん

寺田 優さんは大阪府堺市出身で1973年生まれの41歳。
関東の大学に進学しレストランでアルバイトをしていた時に、後に奥様となる寺田本家23代目のお嬢様と出会われたそうです。

大学を出て社会人となった後、農業をしたいと思うようになり、23代目のお嬢様のお誘いもあり婿入りされたとの事です。

写真は釜場です。
五人娘(ごにんむすめ) 株式会社寺田本家|釜場
蔵にはシューターが無く、こしの上に乗っている木の桶で米を運搬していました。

甑(こしき)は木を使用。
五人娘(ごにんむすめ) 株式会社寺田本家|釜場
寺田本家では昔の酒造り化を進めるべく、可能な道具から昔の物を使うようにしているとのこと。

写真は仕込み部屋。
五人娘(ごにんむすめ) 株式会社寺田本家|仕込み部屋
蒸し米は全量この部屋に手作業で運搬。結構たいへんだと思いました。

酵母は無添加、蔵に自然に降りてくる酵母のみ。 五人娘(ごにんむすめ) 株式会社寺田本家|仕込みタンク
仕込みタンクもゆくゆくは木桶を使いたいそうですが、木桶を造る職人が少ないの新しく木桶を揃えるのが困難との事。

五人娘(ごにんむすめ) 株式会社寺田本家|麹室

五人娘(ごにんむすめ) 株式会社寺田本家|麹

写真は酒母室です。
五人娘(ごにんむすめ) 株式会社寺田本家|酒母室

酒母は乳酸菌を用いない生もと造りが基本。
もとすりでは歌を歌いながら時間を計っているそうで、見学した日は若い蔵人の一人が歌ってくれましたがとても上手でした。
五人娘(ごにんむすめ) 株式会社寺田本家|記念撮影
訪問の証の記念撮影。

私が興味深く、もとりの棒を見ていたら蔵元が「写真をとりたいんでしょう」と声をかけてくれたのでお言葉に甘えて、撮影していただきました。

寺田本家では蔵見学の日が設けられていて、蔵に電話すると予約が出来ます。
一般の方でも大歓迎で、この日は麹室のなかまで入れてもらえました。
とても綺麗で感じのよい蔵です。蔵見学にお勧めします。




ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。  

Posted by 佐野 吾郎 at 14:05TrackBack(0)千葉県の酒蔵巡り

2014年02月07日

仁勇(じんゆう) 不動(ふどう)|鍋店(なべだな)株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 350蔵目

仁勇(じんゆう) 不動(ふどう)|鍋店(なべだな)株式会社

 千葉県香取郡神崎町神崎本宿1916
蔵元のサイト:http://www.nabedana.co.jp/


酒名:仁勇(じんゆう)、不動(ふどう) ■創業:元禄2年(1689年)19代 ■杜氏:社員杜氏(諸派) ■仕込み水:弱硬水 ■訪問日:2014/02/07

代表銘柄
不動 吊るし 無濾過純米吟醸 生原酒
仁勇 特別純米 神崎蔵
仁勇 とろり酒

千葉県香取郡神崎町、利根川のほとりに位置するこの地は気候がよく米の産地であり水運が便利であった事から古くから酒造りが盛んだった土地。
かつては神崎町だけで5件ほど酒蔵があったそうですが今でも2軒の酒蔵が酒造りを続けています。

その1社が仁勇(じんゆう) 不動(ふどう)という酒を造る鍋店(なべだな)株式会社です。
仁勇(じんゆう) 不動(ふどう) 鍋店(なべだな)株式会社|外観
鍋店(なべだな)株式会社は1689年(元禄2年)源五右衛門氏が佐倉藩より1050株の酒造株を預かり創業した現在で19代続く酒蔵です。

江戸時代、金属は有事の際には武器製造に欠かせかった為、鍋であっても金属を扱う商売は「座」という制度に組み込まれていて、信用のある人しか「鍋座」の権利を持つ事が出来なかったそうです。

源五右衛門氏は、酒造業を行う以前は鍋座の権利を持ち鉄の鍋や釜を扱う商いをされていたその事。
老舗の事を「お店(おたな)」呼ばれていた事から鍋店(なべだな)と呼ばれていて、それが蔵の名前として引き継がれています。

明治から大正時代に創業する蔵はとても多く、あと逆に関ヶ原の戦いが終わった江戸初期頃に酒造りをされる蔵もまたに見ます。 江戸中期頃に藩から株を与えられ酒造業を開始する蔵というのは珍しい存在だと思います。

仁勇(じんゆう) 不動(ふどう) 鍋店(なべだな)株式会社|古い看板
創業当初は神埼ではなく成田山門前で酒造りを開始。
市川団十郎によって成田山新勝寺への参拝客が飛躍的に伸びる事で商売は発展。
天明年間には1000石を達成します。

当時は水道もボイラーもポンプも無い時代。
この時代は一つの蔵の製造能力は1000石が限界だったそうで、そうとう繁盛した事が伺えます。
現在でも本社は成田山の門前にありますが、その周囲にも土地があり酒造りを行っていたそうです。

老舗の大店であった為か、他の蔵との交流範囲も広く醤油のキッコーマン、広島の白牡丹、山梨の笹一酒造とも遠縁にあたるとの事。

蔵は更に商いを広げるべく明治32年に神埼に蔵を新設。
明治42年には灘も蔵を設け、最盛期には成田、神埼、灘、印西に4つの酒蔵を持っていたとの事。

古い銘柄としては「蓬莱山」。
「香神」は香取郡神崎町に蔵を建てた際に、その蔵で造られた酒の銘柄。
現在の主力銘柄の一角、「仁勇」は灘の蔵で造られた酒の銘柄。
印西の蔵では利根正宗よいう酒を造られていたそうです。

しかし第二次大戦の企業整備令によっひとつに集約するように迫られます。
その結果、土地が多く水が良い神埼が製造拠点となり今に至ります。

酒名、仁勇は「人は人徳と勇気持って生きるべし」という家訓から命名。 仁勇(じんゆう) 不動(ふどう) 鍋店(なべだな)株式会社|看板

写真は窯場です。
仁勇(じんゆう) 不動(ふどう) 鍋店(なべだな)株式会社|釜場
製造は10月中旬頃より開始し3月中旬頃まで。
年間で約5000石の酒を製造。

千葉県下で製造する日本酒の量としてはダントツの1位。
関東全体でも3位に入る規模との事。

昔ながらの出稼ぎによる杜氏制度を脱却し、社員による酒造りが行われています。
しかし工場長は日本杜氏協会から杜氏の免許を与えられており、蔵人たちも南部杜氏の勉強会に参加されているとの事。

写真は蒸米。 仁勇(じんゆう) 不動(ふどう) 鍋店(なべだな)株式会社|蒸し米
酒造りに主に用いる米は、秋田県湯沢市の酒米研究会が育てる秋田県産の酒こまち美山錦が中心。
秋田の米を使う理由として、米の質が安定している点と安定供給できる事。
年間5000石以上製造するには、米の安定供給が必要になります。
米の品質が不安定だと酒の味が変る為、一定以上の生産量があり品質が安定している米という点で、湯沢の米が選ばれたとの事。

もちろん地元産の米も使用されています。
仁勇(じんゆう) 不動(ふどう) 鍋店(なべだな)株式会社|商品
写真の真ん中の酒は神埼産「総の舞」で造られた生粋の神崎産純米酒です。

写真は蔵自慢の麹室。
仁勇(じんゆう) 不動(ふどう) 鍋店(なべだな)株式会社|麹室

仁勇(じんゆう) 不動(ふどう) 鍋店(なべだな)株式会社|麹
一般的に麹作りは、大きな箱よりも小さな麹蓋で造る方が良いと言われています。
しかしこの蔵では、必ずしもそうではないという考え方をされていて、写真のような大きな単位で麹造りをされています。
この造り方でも麹蓋に勝る良い数字の麹を造ることが出来ているとの事。
蔵人の語り口調から麹作りにはかなり自信があるように感じました。

写真は仕込み部屋。
仁勇(じんゆう) 不動(ふどう) 鍋店(なべだな)株式会社|仕込み部屋_上から
仕込み部屋の一部は昔ながらの建物の中で造られています。

仕込み部屋をしたから見たところ。
仁勇(じんゆう) 不動(ふどう) 鍋店(なべだな)株式会社|仕込み部屋_下から

仁勇(じんゆう) 不動(ふどう) 鍋店(なべだな)株式会社|作業風景

鍋店では現在「仁勇」と「不動」の2銘柄の酒を製造されています。
数量的には仁勇の製造量が多く、杜氏制度から社員で酒造りを行うようになった当初は、出来るだけ綺麗な酒、新潟の酒に近づけたいという事でスタートしたそうです。
しかしお酒の味が面白くないことから、もっと味と香りを強調しようと出来た酒が限定流通の「不動」。

この不動がとても良い酒で、私は千葉の酒メッセで初めて不動に出会ったのですが、その美味しさには驚きました。

会場で知っている日本酒ファンと出会ったのですが、どこが一番美味しい?との質問に迷わず返ってきた答えが「不動」。
ブースは常に人だかりでした。どこかで目にした際はお薦めするお酒です。

最後に訪問の証の記念撮影。
仁勇(じんゆう) 不動(ふどう) 鍋店(なべだな)株式会社|記念撮影
「とろり酒」を試飲。その個性的な美味しさに驚く吾郎。

日本酒度-90、もち米4段仕込みの濃厚甘口にごり酒。
仁勇(じんゆう) 不動(ふどう) 鍋店(なべだな)株式会社|商品

火入れと生酒の2種類あり、蔵が日本一甘い酒と自負するお酒です。

鍋店では清酒の製造期間にあたる10月中旬以降から3月従順頃まで蔵見学が可能。

また限定流通ブランド「不動」は、日本酒ファンの間ではまだ知られていませんが間違いなく注目銘柄。今後が期待できす蔵元です。




ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。  

Posted by 佐野 吾郎 at 11:00TrackBack(0)千葉県の酒蔵巡り

2013年11月30日

風が吹く|合資会社白井酒造店

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 349蔵目

風が吹く|合資会社白井酒造店

福島県大沼郡会津美里町永井野字中町1862


酒名:風が吹く、萬代芳(ばんだいほう) ■創業:1700年代中〜後期頃 9代 ■杜氏:蔵元杜氏 ■仕込み水:弱軟水 ■訪問日:2013/11/30

代表銘柄
風が吹く 山廃仕込み 純米吟醸生酒
風が吹く 山廃仕込み 純米生酒

美里町から風が吹く、
会津の新進気鋭、合資会社白井酒造店風が吹く 合資会社白井酒造店|外観
合資会社白井酒造店は江戸末期に白井忠太氏が創業した現在で9代続く酒蔵です。

忠太氏は蔵の2〜3軒隣にある油屋の出身で、酒蔵をするように言われたことから分家されました。 創業時期はよく分かっていないそうですが、忠太氏が亡くなられたのが天明6年11月(1786年)と記録に残っていることから、1700年代の中期頃に創業されたのではないかとのことです。

創業当初の屋号は「宮川屋」といい、これは蔵の近くを流れる宮川から付けられた屋号です。

現在の主力銘柄の一つ、萬代芳(ばんだいほう)は5代目の泰三氏が灘の酒蔵で修行した際に貰った酒名だそうです。

もともとは萬代(ばんだい)という酒名を貰って帰って来たそうですが、既に他社が萬代(ばんだい)で商標登録していたことから萬代芳と書いて「よろずよし」と読む酒名が誕生したそうです。

その後、第二次大戦後に現在の読み方である萬代芳「ばんだいほう」に改められたそうです。

写真は古くから残っている蔵の看板。
風が吹く 合資会社白井酒造店|看板

写真の方が9代目蔵元、白井栄一さん。
風が吹く 合資会社白井酒造店|蔵元
そして今、売り出し中の「風が吹く」は平成17酒造年度に9代目蔵元、白井栄一さん立ち上げた新しい銘柄です。

大学卒業後すぐに蔵に戻って来た栄一さんですが、当時はコシヒカリがとても良く売れていた為、酒米を作っていた契約農家がどんどん減り、地元産の五百万石の入手が困難だったそうです。

こうした状況が続き、どうしようかと考えていた時に「直接契約でしたら作りますよ。」と、有機栽培を手掛けている近所の農家さんから声が掛かったそうです。

そして平成13年に有機栽培の五百万石を60%に精米したもので純米酒を製造されました。

更に翌年には、折角有機で栽培した米なんだから乳酸を添加しない山廃で造ってみてはどうか?という考えが生まれます。
地元の精進料理のお店で農家や立ち上げに関わった酒販店と食事会をしている際に、どうせ造るなら酒名も変えて新しいブランドを立ち上げましょうという話に発展します。

丁度、そのお店の障子に「風が吹く」という言葉が書かれていたことから、蔵元は酒名に「風が吹く」を考えられます。
そして障子に書かれていた自体も良かったことから、蔵元は精進料理の店主に事情を説明し、「しっかりと良いお酒が出来た際に酒名として使いたいので障子ごと頂けませんか?」とお願いしたところ、快諾して下さったそうです。

それから2年経過した平成17年。
蔵元が納得する良い酒ができたことから、「風が吹く」が誕生しました。

写真は釜場。
風が吹く 合資会社白井酒造店|釜場

仕込み部屋です。
風が吹く 合資会社白井酒造店|仕込み部屋

風が吹く 合資会社白井酒造店|槽場
酒造りに用いる米は有機栽培の五百万石が中心で、全体の約7割を占めます。
残り2割が一般米、1割が山田錦や夢の香を使っているとのことです。

昔は南部から杜氏が来て酒造りをされていたそうですが、杜氏が高齢化し、3年前から造りのスタートと終盤の時だけサポートして貰い、それ以外の期間は蔵元と地元雇用の蔵人のみで酒造りをされています。

「風が吹く」は最初は山廃しか無かったそうですが、レパートリーが徐々に増えるに連れ、山廃ばかりだと飲み疲れするとの理由で速醸で造った酒も少しはあるそうです。

蔵が目指す酒質は「味わいは深いけど重くない酒」。
そのバランスを目指し、毎年試行錯誤しながら酒造りをされているそうです。

また出荷される酒の大半は生酒です。理由はいくつかあって、一番の理由は生にすることで蔵の中に緊張感が生まれるからだそうです。
生で囲うとなると、蔵の中でも冷蔵保存が必須となり、出荷先の酒販店も冷蔵庫で酒を保管しなくてはいけません。
言い方を変えると生で出荷することによって、皆が冷蔵管理してくれることになり、品質の向上に繋がります。
それと、貯蔵スペースに限りがある為、完成した酒は出来るだけ早く出荷したいという理由もあるそうです。

訪問の証の記念撮影。
風が吹く 合資会社白井酒造店|記念撮影
昔ながらの酒蔵に感心する吾郎。

この蔵で注目の酒は「山廃仕込み純米しずく採り」。
槽で搾る際に酒袋を約1日吊るして自然落下する酒を採取したお酒で、値段は1800mlで2940円。
3000円を切る価格設定で、通常の槽で搾ったお酒より100円高いだけです。

一般的に雫酒となると大吟醸酒や吟醸クラスの酒が中心になりますが、純米酒というスペックでは珍しく、これほど価格が手頃になると日本酒ファンの多くは興味を持たれるのではないでしょうか。

今、福島県から次々に新進気鋭の蔵元が表れ始めましたが、「風が吹く」も注目の存在と言えます。まだまだ出回っていないお酒なので、どこかの居酒屋で見掛けられた際には是非一度飲んで頂きたいです。




商品の購入・質問は風が吹く|合資会社白井酒造店へお問い合わせ下さい。
TEL:0242-54-3022風が吹く、萬代芳(ばんだいほう)醸造元合資会社白井酒造店
ここに書かれているデータは筆者が訪問した時点の情報でございます。   

Posted by 佐野 吾郎 at 11:00TrackBack(0)福島県の酒蔵巡り

2013年11月29日

會州一(かいしゅういち)|山口合名会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 348蔵目

會州一(かいしゅういち)|山口合名会社

福島県会津若松市相生町7−17


酒名:會州一(かいしゅういち) ■創業:寛永20年(1643年)15代 ■杜氏:社員杜氏 ■仕込み水:弱軟水 ■訪問日:2013/11/29

代表銘柄
會州一 純米酒
會州一 純米吟醸
辛口 會州一

会津松平家初代、保科正之氏が藩主として会津に来たのが1643年。

その同じ年に、鶴ケ城から距離にして約2キロの場所に創業したのが會州一(かいしゅういち)という名の酒を造る山口合名会社です。
會州一(かいしゅういち) 山口合名会社|外観
山口合名会社は寛永20年(1643年)に山口儀兵衛氏が創業した現在で15代続く酒蔵です。

会津に来る以前、儀兵衛氏は山形で商いをされており、その時代の山形藩主は保科正之氏でした。

保科正之氏は1643年に山形から会津若松へやって来ますが、儀兵衛氏はその際に共に付いてきた御用商の一人だそうです。

創業当初は、今より少し離れた場所で、小さな敷地で商いをされていました。

蔵が大きく発展したのは江戸後期の8代目儀兵衛氏の時代。
蔵を今の場所に蔵を移転しました。約1600坪の敷地には11棟の建物があったそうです。

そして会津藩の領内酒造元総取締役という、酒造株を持つ株仲間を仕切るような存在に出世します。今で例えると酒造組合長に似ているのかも知れません。

會州一(かいしゅういち) 山口合名会社|天守閣が見える街

前の日に訪問した大和川酒造で会津藩の酒造許可証には「酒箒(さけほうき)」と記載されている、という話を聞きました。

会州一の蔵元のお話によると、会津地方では、株のことを掃除をする時に使う「箒(ほうき)」と言い、株を2株持っていることを「箒2本」と言ったそうです。

蔵の商売は順調に進むのですが、やがて幕末の会津戦争を迎えます。
籠城戦となったことから蔵の周囲は新政府軍に占領され、蔵の建物は強制的に新政府軍の屯所として使用されたそうです。
戦争による消失は逃れ、戦後には土地建物は全部返して貰えたものの、金目の物は全部無くなっていたとか。

会津戦争以降は酒造りを再開し、商売が繁盛したようで、明治時代には伊藤博文や谷干城(たにたてき)がこの蔵を訪問されたそうです。

そして昭和初期には全国清酒品評会で全国1位に輝きます。
東北の酒蔵の中で、この時代に全国1位になった蔵は数社しかなかったそうです。

昭和19年に山口儀平商店から山口合名会社となり、最盛期の昭和40年には3000石の酒を製造されていたそうです。

昭和後期頃から特定名称酒造りにも力を入れ、平成元年から福島県・東北鑑評会では金賞受賞の常連に。
優れた杜氏にも恵まれ、蔵元の話によると南部美人の前杜氏で現代の名工、勲六等瑞宝章を受賞した山口一杜氏やかつて飛露喜で酒造りをしていた杜氏も、この蔵出身だそうです。

平成10年以降は全国新酒鑑評会で金賞の常連になります。
会津の老舗蔵として順調に成長を続け、特定名称酒造りも起動に乗っていたのですが、平成17年に関連事業(温泉旅館)が破綻。
1600坪の敷地を持つ蔵がホテル事業の担保に入っていた為、経営危機を迎えます。

敷地は生協が買い取る事になりましたが、蔵の建物が会津若松市の歴史的景観指定建物に指定されていたことと、存続を望む市民の声から蔵の建物の一部を地域のコミュニティーなどに使用する施設とし保存されることになりました。

酒造りは平成17年・18年と休業した後に、平成19年より規模を縮小し再開されました。
1600坪あった蔵の敷地は60坪となり、石数は休業前の500石から160石となりました。

會州一(かいしゅういち) 山口合名会社|かつての外観

會州一(かいしゅういち) 山口合名会社|蔵保存について

写真の方は15代目蔵元、山口佳男さん。
會州一(かいしゅういち) 山口合名会社|山口 佳男蔵元

會州一(かいしゅういち) 山口合名会社|商品
酒名「会州一(かいしゅういち)」の会州とは、会津のことです。
長門国を「長州」、土佐を「土州」と呼ばれたのと同様、会津は「会州(かいしゅう)」と呼ばれていたそうで、会津で一番の酒という意味を持つ、この蔵に長く続く酒名です。

現在、蔵で一番売れている酒が、上記写真の会州一純米酒。
その前は会州一辛口という酒が人気で、燗酒にして美味しいことから地元の飲食店を中心によく売れていたとのことです。

写真は釜場。
會州一(かいしゅういち) 山口合名会社|釜場
休業から復活した年は約8割が普通酒だったそうですが、今では製造量も少し増え、造る酒の種類は特定名称酒が主体です。

昨年は10月25日から酒造りが始まり、終了は4月の上旬頃の予定です。
製造石数は約200石で、総仕込み本数タンク18本のうち普通酒は3本のみ。
2本が大吟醸で、残る13本は純米吟醸、純米酒、特別純米酒だそうです。

甘口のお酒が多いと言われる会津地方の地酒の中で、会州一が目指す酒は、飲み始めはスッキリしているものの旨味がしっかりと残るお酒。
しっかりとした味を持ちつつも口当たりはさらりと飲みやすい酒だそうです。

最後に訪問の証の記念撮影。 會州一(かいしゅういち) 山口合名会社|記念撮影
平成25年(酒造年度は平成24年)の全国新酒鑑評会の金賞受賞の表彰状に感心する吾郎。

この蔵は造り手に恵まれているのか、水に恵まれているのか、以前から全国の鑑評会でも金賞受賞が多く、設備を大幅に縮小された今の体制でも手堅く金賞を受賞されています。

現在は地元への出荷が大半ですが、酒造りの腕は確かですので、今後全国市場向きのお酒を造り始めると、製造量が少ない事もあるのでたちまち蔵が凄いことになるかも知れません。

波瀾万丈な歴史を辿ってきた老舗の酒蔵。
かつての栄光を取り戻すことは出来るのでしょうか?
今後の躍進を見守りたい酒蔵です。




商品の購入・質問は會州一(かいしゅういち)|山口合名会社へお問い合わせ下さい。
TEL:0242-25-0054會州一醸造元山口合名会社
ここに書かれているデータは筆者が訪問した時点の情報でございます。  

Posted by 佐野 吾郎 at 15:00TrackBack(0)福島県の酒蔵巡り
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